第6話 大運動会

さて秀樹と香織の幼い時の楽しい記憶は同じで、それは9歳の時に行われた町内会の大運動会。これは地域の顔役が市会議員選挙に出るための宣伝として行われたものだが、娯楽が少なくて貧しい家庭にとっては楽しい行事。

地域の町内会、10所帯程度でチームを作り、約20チームが参加。100m競争、500mリレー、借り物競争、玉入れ、障害物競走、綱引きなどが主な種目。参加者全員に賞金や商品即ち、石鹸や野菜、お菓子などが貰える。各競技の1位には1000円程度の景品、総合優勝には3万円の賞金が用意された。


競技を終えジュースを飲んでいると「秀樹君、頑張ったね。君の笑顔見てると元気が出てくる」、「私もそう思うよ。私たちに楽しい夢を見させて欲しいな」と日頃、あまり付き合いの無い隣に住んでいる、富田おばさんと中年のお姉さんから声を掛けられ励まされる。

「ありがとうございます。色々、迷惑掛けていると思いますけど宜しくお願いします」

大人びた返事を返すと笑顔が返って来た。

更に「秀樹、お前、足速いな。見直したぞ」と福岡さんの所の中学生の勲さんが話し掛けて来た。たしか、中学生だが、学校に殆ど行かずに、寿司職人の見習いをしていた。秀樹にとって兄貴分のような存在で行動を真似ることが多かった。

「勲兄さんも走って下さい。お願いしますよ」

「俺は酒飲んだからもうあかん。お前が俺の分まで頑張れ」

そして、茶碗に酒を注いで飲む。

「香織ちゃん格好いいね。身軽で足速いね」

「範ちゃんも玉入れ頑張ったもんね」

「秀樹、兄ちゃんも見直した。格好いいもんね。それに香織さんも」

オマセな東田範子も話に絡んできた。


下山おばさんの娘で水商売をしているヒロ姉さんが綺麗で、その恋人でガリガリに痩せたパチプロの男との組み合わせがやけに目立っていた。子供心に、世間には色んな人がいると思う。

「秀樹君、競争頑張ってるね。最後までしっかりしてね。期待してるからね」

と言いながら恥ずかしがる秀樹を見ながら悪戯っぽく言って握手する。小さく、暖かくて柔らかい手にドキドキした。というような表情を示した。

「お姉ちゃん、ありがとう。頑張ります」

声が上ずっていた。

「頼もしいね。香織ちゃんのためにもね」

秀樹は意味も分からず顔を赤らめる。

「坊主、照れずに頑張れ。いいか負けたらあかんで承知せんからな。分かったか」

パチプロが自分に言い聞かせるように言ったのがおかしくて、笑ったが、その意味も知らずにヒロ姉ちゃんとパチプロが同時に笑った。このパチプロは胃がんで1年後に亡くなり、ヒロ姉はいつの間にかいなくなる。


さて秀樹たち、いわゆる“門屋チーム”は日頃の団結力を発揮、主に団体競技で活躍し最終競技を残して一位となっていた。最終レースは、小学校3・4年生の男女二人による競争で、これは男女二人が手をつないで100㍍を走るもの。 

当時、各地域にはこれ位の子供がゴロゴロいてレースの成立が可能だった。

門屋の期待を担って、秀樹と香織はレースに臨む。

「秀樹、負けるな。蹴散らしてでも勝て」

「香織、必死に走れ。負けたら承知せんど」

走る前から大声援を受けた。フライングがあって二回目でスタート。それだけ気合いが入っていた。最初、秀樹達が出遅れたが、途中から巻き返す。

「秀樹走れ、香織行け。俺に肉食わしてくれや」多分パチプロ。

「2丁目いけいけ、いけ。負けるな」

「門屋、秀樹、ひでき行け。買ったらすき焼きだぞ……」房次郎が言った。

「6丁目ガンバレ。勇太行くんだ」

「香織、死ぬ気で走れ」勲さん。

出場者は会場からの大声援を受けその中を走り、ゴールして秀樹と香織が勝った。見事期待に答えて優勝し、団体優勝をチームにもたらす。

 秀樹と香織、二人の大事な思い出になった。

今から考えると運動会は、選挙の事前運動であり露骨な利益供応だったが、門屋チームは大いに盛り上がり、獲得した商品を公平に分け、1週間後に総合優勝の賞金で近所の海に海水浴に行き、念願の肉とマッタケ入りすき焼きをして食べる。


この海水浴に行った時、酔って泥酔状態に近い房次郎が、秀樹と香織に向かって、「お前達は、よう頑張った。二人は大きくなったら夫婦になってここで暮らして俺の面倒を見ろよ。ええか……」と房次郎のこの言葉に気丈夫にも香織は、「ええよ、おじちゃん分かった。私、面倒見るから」と答える。

これに気を良くした房次郎は、1000円札を無造作に香織に渡すと、「おじさんありがとう」、「これで、将来頼むよ」、「分かった。必ず、世話して優しくするから」と香織が答え、既にこの年でおねだりと甘えという一流ホステスとしての技術をマスターしていた。

この時、秀樹は、『絶対、俺はこんな男にはならない』と思ったが、二十年後には同じことをする自分を見ることになる。貧しいが、助け合いと明日への希望があって皆、必死に汗をかいて闇雲に頑張っていた。


さて秀樹は、高校卒業後、神戸の会社に就職し積極的に秀正と門屋から離れる。幼馴染の香織は、いつも秀樹の傍にいて周りがヤキモキしていたが、最後のところで距離を縮めることが出来なかった。

そして生活に自信が持て余裕が出来た1973年、大学生になっていた秀樹が23歳の時に、新しい世界を求めて奄美大島を旅行。そこで、南国情緒としなやかな人間性、空と海の青いグラデーションが織りなす自然に魅了され、約1ヶ月留まり当地の女性と出逢い結婚し新しい故郷を得た。これで門屋での生活を完全に過去にする。


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