第5話 “洋食”の秘密

ところで、門屋の住人は盆、正月を始め年数回は中庭に集まり宴会をした。秀樹や香織を含め門屋の子供はみんなこれが楽しみ。大家さんが、中庭に放し飼いにしている鶏を捌いてみんなに振る舞う。田んぼで取れたドジョウを豆腐と一緒に焚いた料理もあった。子供達は豆腐に頭を突っ込んだドジョウの姿を面白がりながらも必死に食べる。

この日はバイキングで食べ放題。大家さんが店子を労わる優しさと余裕があった古き良き時代だった。

「香織、これ面白いで。昨日、田んぼで取ったドジョウが豆腐に頭突っ込んどる」

「かわいそうに。生きたまま炊かれたんやろ」

香織が目を背けた。

「でもこれ美味い。お前も早う食べんかいな」

「ようたべんわ。かわいそうで」

秀樹は空腹に堪える香織の可愛さを見で心が騒ぐ。


こんな門屋での生活だが、月に1回ほど、秀正に臨時収入があった時、“洋食”と呼んでいた料理が出された。

里美から学校に行く前に「秀樹、今日は洋食にするからな」と言われると、もう浮き浮きして気もそぞろに。

さてこの洋食とは、メリケン粉(小麦粉)にキャベツと油カスだけが入ったお好み焼きのこと、でも仕掛けがある。まず油カスの半分を水で煮て出汁を取る。この出汁を冷ましてキャベツとメリケン粉を入れてこねて生地を作る。また出汁を取った後の油カスを小さく刻んで生地の中に「美味しくなれ、美味しくなれ」と言いながら? 混ぜる。このちょっとした細工がうま味を増すことになる。

次に里美は、房次郎が近くの鉄工所でもらってきた40㌢角で厚みが1㌢程度の大きく分厚い鉄板をガスコンロで加熱して、その上に薄く切った生の油カスを置いて焼くと共に油を出す。ここで段取りした生地をお玉にすくい油カスの上に直径15㌢程度に整え2つ置き、洋食が焼き上がるのを「早く焼けろ、焼けろ」と心で念じて家族で待つ。

しばらくするとキャベツが焼ける甘酸っぽい匂いが香ってきて腹が鳴り、まず秀樹と弟が食べることに。これに甘いソースを目一杯掛けた。口に入れると、ソースがキャベツと良い具合に絡まって何と表現したらよいのか、歯ごたえ良く暖かさと甘さが口の中一杯に広がる。この時、油カスから取った出汁が肉の味を増し、刻んだ油カスがそれを増幅させ微妙な歯ごたえも感じる。さらに表面の油カスが交じり合って2種類の肉を食べていると満足感が増す。表面の油カスは硬く何回も何回も噛むと肉汁がにじみ出るが、それは食べた者でも言葉で表現できない程に美味い。

秀樹が1枚目を瞬く間に食べ2枚目を待っていると、決まって秀正と鶴が、「自分より先に秀樹に先にやってくれ」と言ってくれると、小躍りして喜びを素直に表現した。この時、秀正は決まって、「秀樹はしょうない奴やな。寅年だけあってまるで腹減ったライオンみたいやな、ちょっとは弟を見習えや」と笑いながら言ったものだ。

そこで秀樹が「でも美味いもんは、何といっても美味いからしょうないは。誰でもそう思うと思うで」と言うと、「お前は口数の多いやつやなほんまに。香織にも、これ少し持って行ってやれや」と言い鶴も「それがええな」と、洋食の日は決まってこんな会話があった。

洋食の日はこのように会話も弾み、普段10分程度の夕食が1時間を越えた。この出来事は、今となれば懐かしい思い出で、門屋での洋食は秀樹のみならず家族にとっての原点だった。

また、洋食の日は秀正の指示で少し多めに作って、お裾分けとして秀樹が香織の家に持って行く。そのお返しに欠けた豆腐を貰った。これが翌日の味噌汁の具になるが、秀樹は豆腐が好きだった。


この様な生活の中で、里美が珍しく「勤務先の鉄工所の同僚の結婚式に行く」と言って、着飾って出かけて行く。ベージュのワンピースを着て、胸にコサージュを付け、薄く化粧をした里美は、子供心にも輝いていて生き生きしていた。

後日、集合写真で見た里美は写真の中でも一段と輝いており、すぐに見つけることが出来て子供心にも嬉しかった。

「お母ちゃん綺麗で輝いてる」

秀樹が言うと一緒に居た香織も、「おばちゃん綺麗な。別人みたいやで」と驚いたような声で、真顔で誉める。

「ほんまか。おばちゃん嬉しいな」

「ほんまやで、一番輝いてる。いつもこの格好で居て欲しいわ」秀樹が弾んだ声で言うと、それには答えずに、4歳違いの秀樹の弟を抱きながら優しい笑顔を返した。


いっとき、話して香織が帰ると秀樹は里美から説教される。

「秀樹、おばぁちゃんの言うこと、良く聞くんやで。お前が逆らうと、おかあちゃん寂しいは。泣きたくなるは」

しんみり言った。

「分かってるけどな。俺、おばぁちゃん嫌いとちゃうねん。でも何か巧く出来んのや。うまいこと表現出来んけどな」

「そうか、お前の気持ちは分かった。素直に言うこと聞くんやで、そしたらお母ちゃん嬉しいから。それが、お前の一番の勉強やから。そうしとると段々と馬が合うようになるから」

「うんわかった」

里美はおばぁとの関係を心配して、ここまで言って、家を出て近所の駄菓子屋でアイスキャンデーを買って来て二人で食べる。子供心に、その姿は母親ではなく未婚の娘のように見えた。

里美は自然体で生き、幸いにも病弱で短命と思われていた自分の人生を裏切って、長生きし家族をまとめることに心血を注ぎ、人生の終盤では面白い出来事を経験することになる。

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