第4話 秀樹の家族

秀正は、異邦人だった義父と鶴に気兼ねしながら人生を送ったと言える。自分が全盲だったこともあり、自己主張をせずに回りに合わせて生きる道を歩み、自分に求められていることを着実に行うのが、幸せとの人生観を持つようになった。一家の生計は秀正が支えていたが、房次郎が大きな重石となって中々自分の意見が言えなかった。ひたすら働いて家族に尽くす。この人生観は終生変わらなかった。そんな秀正が一度だけ房次郎に強く言ったことが。

「お父さん、秀樹を春木競馬に連れていくのは止めてくれませんか」

「お前にそこまで言われる筋合いはないな」

「子供のことを思うと心配なんです」

「俺を信用できんのか。俺もお前さん以上に孫のことを考えとる。その証拠に俺が、お前の姉から秀樹を返してもらっただろうが。もっと感謝しろよ。これでお前を全盲にした責任の少しは返したと思うけど……」言って絶句する。

 当時、秀樹は5歳位でこの記憶は鮮明では無いがおぼろげながら覚えている。この時、房次郎は言ってはいけないことを言ったと後悔したが言葉は取り戻せなかった。自分が不甲斐なくなって仕方なく卓袱台を足で蹴ってひっくり返し、足早に家を出て、鶴がその後を追う。この話は、十数年後の房次郎の葬式後の精進落としの席でも紹介された。秀正の気持ちを知る行為として大いに盛り上がる。参列者は隠れた秀正の気概を知った。

秀正は、房次郎が、春木競馬に行って、昔の仲間と和気藹々で昔話に花を咲かせ、秀樹がその環境に馴染むことが許せなかった。子供にとっては余り行儀の良い話ではなく裏世界の話が多かった。秀正のこの危惧は、正解で、少し大きくなってからも連れて行かれるこの場所で話される房次郎と仲間の話は、真面目一本で面白みの無い秀正の話より、秀樹の心を捉えて大袈裟に言えば夢とロマンを与えたことも事実だった。

これから暫くして、秀正は心の平安を得るためか、見たことの無い母親への思いからか一人でキリスト教に入信し、心の平安を得る。秀正にはキリストの前では健常者も障害者も差別が無く一人の人間として扱われたとの思いがあり、秀正の心と健康を支えた。毎日曜日に通う教会が秀正にとってのオアシスだったのかもしれない。


遊び人の房次郎と妻、物言わぬ秀正、若い里美という家族の中で、家計の実権を握っていたのは、祖母の死後に後妻として家に入った鶴だった。

自分の意見をあまり言わない人だったが、秀樹が10歳の時、小さな紙を取り出して、「秀樹さん、わたしはもう戒名もらったんだよ。それが良い戒名でね」と言うので「戒名って、それなんなん。何か書いてあるけど」と答えると「これは有難いものや。昔、留萌に居た時に3万円でお坊さんに書いてもらった」と嬉しそうに言う。

秀樹は驚き「その紙が3万円か?凄いな」と言うと「凄いやろ。これで天国に行けるんや。よう見てみ」鶴は満面の笑みで語り喜んで、半紙を日頃、あまり馬が合わない秀樹にまじまじと見せる。そこには、“釈尼寶恵”と達筆で書かれてあり、脇に贈名を行ったお坊さんの名前があり、赤い印が押されていた。

「なあ良いやろう、寶に恵まれるって言うんだよ。これは天国にいけるということだよ」

 そこには日頃は余り見せない笑顔があった。

「本当にそれは凄いね。この紙でほんまに天国に行けるんか」

「そうやで……」

嬉しそうに言うと、財布から100円札を取り出して秀樹に渡す。当時の100円は、うどん50円、タクシーの初乗り100円の時代で秀樹に取っては大金だった。


こんなこともあったが、秀樹はこの鶴が苦手で特に料理には閉口していた。幼いながらも料理のセンスが無いことが分かり、1週間同じ料理を出すことも。それも野菜の煮たものが多く、なかでもクジラの肉を小さく刻んで野菜と炊く料理が多くて箸が進まない時もあった。

そんな時は、里美が、「秀樹、お前は出されたもんは、文句言わずに美味しく食べんとあかんよ」と秀樹を見て諭すので仕方なく食べたが、気持ちは沈んでいた。

「でも……でも……俺、でもな……」秀樹が言った。

「でもなんや。はっきり言ってみ」里美が聞く。

「何もない。わかったからもういいわ」秀樹が言い放つ。

「それで良いから、料理作ってくれるおばぁにもっと感謝せんと罰が当たるよ」里美が秀樹を諭した。

最後は秀樹が口ごもって無言になる。


そんなことがあった数日後、秀樹の気持ちが爆発。

「おばぁ。たまには俺の好きな玉子焼きでも作ってくれや」

「文句あるんやったら親父に言えや。これしか出来んのや」

「なんでや。なんでなんや」

「金がないんや。貰った金でやるのがおばぁの役目やから。文句あったら御父に言えや。お前にそれが出来るか」

「でもちょっとは工夫が欲しいんや」

「口答えすな。お前とはもう話さん」

このやり取りで、おばぁは何処かへ消える。秀樹は自分の気持ちをストレートにおばぁに告げたのだが気持ちは落ち込んだ。 しばらくしておばぁが秀樹の好きな黄な粉団子を大きなささ船一杯に買って来て「これでも食えや」と不器用に差し出し、秀樹もぎこちなく嬉しさを押し殺して手に取り、たまたま訪ねて来た香織と一緒に食べて心が温かくなり蟠りが無くなる。

「秀樹、優しいおばぁちゃんやね。香織もおばぁちゃん欲しいな。ほんまに黄な粉団子美味しかった」

「美味しかったな。俺、これ好きやねん」

「ほんまに美味しい。温かくて」

「香織、大きくなったら一緒に作って食べような。約束やで」

指切りをした。

「二人は仲がいいな。ほんまに。羨ましいな若い二人が」鶴が笑いながら言った。

「おばぁさんありがとうございます。香織、嬉しいほんまに」

香織が笑顔で言った。貧しさと鶴を思い出す出来事。この時におばぁが言った言葉の意味を知るのは中学生になってからだった。このおばぁは後年、脳梗塞をわずらいながら90歳過ぎまで生きて、秀樹の一番の理解者になる。


なお秀樹の母親である里美は房次郎の実の娘で、17歳の時に房次郎の希望で秀正と結婚。163cmと長身で整った顔立ちの女性だが、たぶん恋愛も知らず、娘としての喜びも知らずに母親となり女を捨てた。か細い身体で子供を産み、育て必至に生きた。人生に無理をしない人で、目の前にある現実を淡々と生きた。

また門屋の住人の常として身体を動かす仕事を評価し、身体を動かさない仕事を評価しなかった。即ち、工場で汗を流して働く労働者を高く評価し、事務職で働く人を評価せず、幼心に「ぼくは将来、オジイに教えてもらって畳職人になる」と里美に言うと満面の笑みを返してくれた。

この時、秀樹は本気でそのように思っていた。少し成長するとそれが寿司職人になりたいと思うようになる。動機は単純で好きな寿司を思い切り食べたいとの思いからだった。秀樹が勉強したいと思ったのは中学2年になって奇麗な転校生に出会ってから。

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