来世でまた会いましょう

佐古間

来世でまた会いましょう

「珠子ばあちゃん、おめでと~!」

 ぱちぱち、と軽い拍手と共に目の前に大きなケーキが差し出される。大きな蝋燭が八本。小さな蝋燭が八本。年齢分の蝋燭でいうならば、これで八十八なのだそう。

 長男の嫁の、紗枝さんが私の背中をゆっくり摩ったので、私はできるだけ目いっぱい空気を吸ってふう、と息を吹きかけた。緩い息が蝋燭の炎を揺らす。数本消えて、消えなかった分を消すためにもう一度、ふう。

 何度か試して、真ん中に刺さった小さな一本がどうしても消えなかった。紗枝さんが私の吐息に合わせて素早く手を振り風を送る。漸く蝋燭が消えると、ゆらゆら、白い煙が上がった。

「おばあちゃん、これ、お祝い」

 蝋燭が消えると、ぱちりと部屋の電気がともった。私はケーキはほんのちょっとで良いので、紗枝さんに子供らに多くしてねと声をかけた。紗枝さんは笑顔で「大丈夫ですよ」と返事をしながら、さっさとケーキを台所まで避難させる。

 そうしないと、孫たちが我先にと私のところへ集まるからだ。代表して大きな包みを持ってきたのは、今年中学生になった、次男の娘の由香だった。ありがとうね、と声をかけて包みを受け取る。開けてみて、と子供たちに催促されて、ぺりぺりと包装紙を剥がした。

 包まれていたのは、落ち着いた黄色の、綺麗な毛糸のカーディガンだった。胸元に花の刺繍がつけられている。思わず感嘆の声を上げた。

「おばあちゃん、ベイジュっていうんでしょ。黄色いものをあげるんだって聞いたの」

 皆で選んだよ、と、由香が言った。呼応するように、長男のところの双子が「選んだよ!」「選んだの!」と胸を張る。この双子は今年小学三年生だったか、入学の時にランドセルを選んであげたのがつい最近の事の様だ。

 きれいねえ、ありがとうねえ、と声をかけると、子供たちは嬉しそうに笑った。

 それで、紗枝さんが切り分けたケーキを持って戻ってくる。ケーキですよ、の掛け声に、孫たちは我先に席へ戻った。紗枝さんは最初に、私の元に小さく切ったケーキを置いた。

「もう少し食べますか?」

 聞かれて、大丈夫、と首を振る。ケーキだけでなく、テーブルの上にはオードブルも沢山並んでいた。私の誕生日だから、と、奮発して寿司を頼んでくれたので、満腹でもあった。あと少し、ケーキを食べたら、食事は十分である。

「おばあちゃん、それ着てお散歩行けるようになるといいね」

「あ! でもお散歩じゃなくっても着てね! 約束だよ!」

 目の前のケーキに夢中になった子供たちが、思い出したように顔を上げて口々に言う。私はその度、わかりましたよ、約束ね、と返事をした。



 誕生日会は和やかにな笑い声に包まれて、夕方を過ぎた頃、もう少し遊ぶという子供たちを残して私は先に下がらせてもらった。

 今は春休み、次男家族は今晩泊って、明日帰ると聞いている。自室にいても聞こえてくる賑やかな声に、紗枝さんが「うるさくないですか?」と気遣うような声をかけた。

「大丈夫よ」

 ゆっくりと返事をする。立ち上がった私に気づいた紗枝さんが、支えようと近づいてくる。それを制して窓に向かった。

 数年前、長男家族と同居するにあたってリフォームされたこの家は、ところどころ生家の面影を残しつつ、今はすっかり別の家だ。それでも、窓の外から見える風景はあまり変わらないように見えた。お隣の塀までの小さな庭。子供の頃、母が育てていた花壇を私は上手く整えられずにいて、今は紗枝さんが家庭菜園をしている。無駄にせず活用してくれて、ありがたいことだと思う。

 子供の頃、庭を駆け回って遊んだ様子が目に浮かぶようだった。大人になって、この家に戻ってきたときの事。息子二人に囲まれて暮らす日々は騒々しくて、けれどもかけがえのない日々だった。やがて子供たちに家族が出来て、私にも孫が出来た。

「……うん」

 ひとつ、頷く。

 ベッドを整えていた紗枝さんが、気が付いて「お義母さん?」とこちらを向いた。

 私はさっき貰ったばかりのカーディガンに身を包むと、くるりと紗枝さんに向き直る。ぎくり、と、紗枝さんが僅かに身じろぎをした。

「……お義母さん?」

 もう一度。呼ばれて笑みを浮かべる。

「大丈夫、私は幸せだったわ」

 十分に、この人生も幸せだった。気が付いたように、紗枝さんが「では、」と口を開いた。

「もう……?」

「この間、手紙が届いたの、あなたも知ってるでしょう」

 伝えれば、紗枝さんは躊躇って小さく頷いた。

「私の選択を尊重してくれるわよね?」

 もう一つ、問いかける。それには紗枝さんは頷かず、そろり、とこちらに近づいてくる。

「冷えてしまいます」

 カーテンを開けていたからか、窓際にいた私の体は確かに少し冷たくなっている。カーディガン越しの紗枝さんの手が僅かに震えていた。

「ねえ、紗枝さん」

 促されてベッドに向かいながら、私は紗枝さんに声をかけた。

 長男の嫁として、紗枝さんがこの家にやってきたのはそう最近の話ではない。長男とは長い間付き合っていて、私も実の娘のように可愛がってきた子だった。二人が結ばれた時は本当に嬉しかったし、生きていてよかったと涙したものだ。

 紗枝さんは少しだけ、瞳に縋るような色を滲ませて、私を見下ろす。今は紗枝さんに手伝ってもらいながらやることの方が多くて、一人で外を自由に出歩くこともままならない。

 今日、こんなに動いているのが不思議なくらいに。

「お義母さん……お義母さんの選択を、尊重はします。でも、私は……私たちは、寂しいです」

 紗枝さんは正直に言った。うん、と、それには笑顔で答えて、手紙を持ってきて、と頼む。

 私がベッドから動かないのを確認して、紗枝さんは戸棚の中から手紙を持ってきた。数日前に届いた、役所からの白い封筒。

 白地に金の文字で宛名の入ったこの封筒は、転生通知と呼ばれる。米寿を迎える老人に向けて、「新しい生」への転生を促す通知書面だ。

 勿論、転生は任意選択だ。今生を全うしたい場合は、転生せずに寿命まで生きたって問題はない。導入当初は色々と問題の出た制度だが、緩やかに社会に受け入れられて、今は当たり前の選択肢の一つになっている。

 転生を、することのメリットは一つ。

 大切な記憶を持ったまま、生まれ変わることが出来るということ。

 寿命まで生きた場合はそうはいかない。今生と来世は切り離されてしまうので、今生から持っていけるものは何もない。転生は、それを少し早める代わりに、記憶の保持ができるので、生まれ変わった先で前世の知識を生かすことも、運よく転生前の家族が生きている場合は、会いに行くことだってできた。

 紗枝さんは手紙を持つ私の指にそっと触れると、寂しそうに、悲しそうに、「お義母さん」ともう一度。

「……本当の、お母さんの様に思っていました。ずっと、大好きです」

 それからほとりと涙を落とす。泣かせるつもりはなかったのだけれど。

 私は紗枝さんの頭に触れると、彼女が子供の頃そうしてあげたように、ゆっくりと頭を撫でた。紗枝ちゃん、紗枝ちゃんはいい子。ありがとね。歌うように伝えれば、紗枝さんはゆっくりと頷いた。



 さて、転生制度が適用されるのは米寿になった老人だけで、米寿の年に転生処置をしなければ、以降の転生は基本的に難しくなる。

 それは記憶の保持に関わっているらしい。それ以降の年になると、正しい記憶を保持できない可能性が高く、技術的に転生自体は可能だが、メリットが殆どなくなるため拒否されることが多いと聞いた。米寿の人についても、既に認知症など記憶に関する病気が発症している場合は、転生通知自体が届かないと聞いている。いわば、転生通知は「あなたは転生する権利がありますよ」という通知書面なのだ。

 実のところ、私は前の生も転生制度を利用して転生をしている。「前」の時の記憶は既に朧気だが、「前」の時には解明されていなかったことも今は解明されていたりして、だから「転生」を選んだというのも理由の一つだ。

 つまり、「転生」は遺伝情報に引っ張られるということ。

 普通に寿命まで生きた場合、次の生がどうなるのかわからないが、転生した場合は記憶保持の関係で同じ家系に生まれることが多いらしい。ついで、転生処置を受けたおおよそ五年~十年内に転生できるので、例えば孫の子供として生まれてきたりすることがある。

 「前」は転生処置にも少し痛みがあったはずだが、今はそれもないらしい。棺桶を模した装置に入って、眠くなる薬で静かに眠り、それから、記憶保持をした魂を次の生へ移す。外科的な手術は全くなく、全て機械だ。かなりセンセーショナルな光景のため、家族の付き添いはおろか、職員も同席しない決まりになっていた。

 誕生日祝いの後、家族全員に、「転生」することを告げた。子供たちは泣いたし、息子たちもショックを受けたようだった。それでも、私は十分生きたし、これからも家族を見守っていきたい、強い欲望がある。

(そう、これは欲望ね)

 装置の閉まる音を聞きながらそんなことを思った。今頃、控室で家族が待っていることだろう。残される彼らは、私の転生の成功を信じて、次、もしかしたらまた会えることを願うしかできない。申し訳ないとは思う。それでも。

 黄色いカーディガンをそっと撫でる。装置の中に眠くなる薬が入り始めたのだろう、ゆっくりと思考がまどろんでいく。次に意識を取り戻した時、きっと私は、大切な家族の記憶を持って、誰かの子供になっている。

 このカーディガン、“終わったら”脱がして、大切にとっておいてね、と。紗枝さんに伝えた時、紗枝さんはくしゃくしゃにした顔で頷いていた。泣きそうになりながら笑みを浮かべる紗枝さんに、だから「次にまた着たいから、大切にしておいてね」と伝えたのだ。

 紗枝さんはきっと、希望の通りにしてくれるだろう。私はこのカーディガンの記憶も持って、きっと、次に行ける。

 意識が遠のいていく。するすると体の力が抜けていくのを感じた。

 恐ろしくはなかった。

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