その日がこの日であの日はどこで
半崎いお
なっているやらいないやら
暑いなぁ、と、思った。
目が覚めて、最初に思ったのは、それ。
そして最初に目に入ったのは、夫の姿。
なんだか妙に目がかすんでいた。
すこしはっきりとめがさめたところに夫曰くの”ちゃんとした説明”をぶちこまれた。いや、あんたむかしからそうだけど、相手の状況かんがえて話しろよ……流石にきついわ! とか言ってられるような内容でもなかった。理解する方が無理じゃんそれ。ほんとになんだよそれは。アホか!とか罵詈雑言が脳内を占め、信じらんないくらいに頭がぐわんぐわんする。考えよう、理解しようと思っても完全に範疇を超えている。このバカ夫め。
頭を抱えることすらできなくて、もう完全に思考は停止してしまった。
もう『うわぁ……』としか思えないわとかぶつぶつやっていたら、照れたような声が降り注いできた。
「ね、ちゃんと、君との約束はこうやって、守れたでしょ?」
そう言い放って、そっぽをむいた夫は、心なしか赤面しているような気がする。
鮮明には見えないけど!!!
それ以前にこれ、守ったって言うのか……??
色々とツッコミどころしかない気がしてならないが、こいつが突拍子もないことを実現してしまうなんて今に始まった話ではなさ過ぎて、楽しそうだし満足してるっぽいからまあいいか、なんて結論に達してしまった。いや、よくないけど多分絶対。こういう許し方ができてしまうなんてありえないって自分で一番よくわかってるけど!!
++++++++
夫と私の結婚は、遅かった。
おたがい40手前での結婚、そして、そこからの育児に教育に起業に老いに、もう、息つく暇もないまま、ここまで走ってきてしまったような気がする。まあ、その分人生の前半部分にだいぶ時間を浪費してしまったのだといえばそうなのかもしれないけれど。
周りの、若いうちに結婚して子供を産んだ人たちが羨ましく見えたり、それでも良かった事もあると発奮してみたり、色々、してきたものだ。
でも、ひとつだけ、どうしようもなく羨ましく、なってしまった日、が、あった。
その日、私は、とんでもなく、泣いた。
なんであんなことでそんなに泣いてしまったんだろうと今では思うのだが、あの時は、それが本当に悔しくて、悔いても悔いても悔いきれない大罪のように思えて、たらればの話なのはわかっていたのに、どうしても、どうしてもおさまらずに帰宅後、夫のまだ帰らない居間で、泣き喚いてしまったのだ。どうしても、止めどなく感情が溢れてきてしまって、どうしようもなくなってしまったのだ。
あの日、若い同僚が、頬を染めて、恥ずかしげに、でも明らかな誇りを滲ませて呟いたセリフ。
「うち、もう人生の半分どころか2/3は一緒にいるので、あの人と」
39歳、ちょうど私が結婚した年齢の子がそう言ったのだ。
中学の時から付き合って、それから結婚したと言っていたから、確かにそうなのだろう。彼女の事実、そして、私にとっての、不可能。
夫と出会ったのは、結婚の前年。なかなかのスピード婚だったのは否めない。
”人生の2/3以上ともにいる” これを実現するためには私は117歳まで生きなければならない。
人としての限界に近い年数であり、圧倒的不可能な話になってしまうのだ。
そうだよ、あの日、確かに私は言った。
確かに言ったよ、覚えてますよ。
泣きじゃくったのをほんの少し見られてしまったので、夫に説明せざるを得なかったのだ。
激烈に恥ずかしくなりながらも、なんとか説明を終えたあと、
「117と123の2/3は無理でも、半分ならいけるかな? 長生きしようね」って
「あなたといられる時間が、あなたと一緒にいる自分が、私の人生の大半であって欲しかったの。そうじゃないのがとても悔しくてかなしいの」って言いましたよ。ええ、年甲斐もなく乙女なことを言ってしまったので、一字一句違わずに覚えてますよ。あんたが妙に驚いた顔をしていたのもめちゃめちゃ覚えてますよ。慰めるもなんもしなくて驚くってどういうことよっておもったら「できるだけ叶えるって約束するよ」って妙に真剣な声で言いましたね、確かに!
それで、こう来るか……
予想もつかないようなところも魅力だって言って結婚したけど、これは予想がつかなさすぎだ流石に。
で、私の1/2である、78歳であれば、彼は83でまだ現実的だなという話もした。確かにした。その時、俺もそうじゃないと嫌だからって、「純粋生存目標88歳」と明言するようになったのも覚えている。
覚えていますけどね?
「純粋」って何だって聞いても教えてくれませんでしたけどね。
いやぁ、まさか、私があんなにさっくり死ぬとは思ってなかったんですけどね。
いや、正確には死んでなかったみたいなんですけどね。
あとちょっとで、私の1/2って頃合いに、すっ転んで階段から落ちそうになった孫娘を庇って自分が落っこって、そのまま意識不明になった、ところまではもう聞いたわ。
「説明は先にしとかないと、怒るかなと思って」
じゃないわー、ないわ〜。
漫画かよ。
なんか昔あったよね、こういうの。
脳だけで生きてて、意思疎通できたり体動かせたりしちゃう人間。
はーい、科学そこまで進んでませんでしたー。
私脳だけでーす。脳だけで合成音声で発語はできるし、聴覚も視覚もあるみたいでーす。それだけで十分すごいでーす。温度感覚とかもありまーす。
そんな私を見て、横でドヤ顔してるのがうちのアホ夫でーす。
いろいろ検査に協力させた挙句ホックホクしてまーす。
なんで人を勝手に検体提供してますか。
書類とか勝手に作ったんすか。
「なんとか間に合ったんだよ! ほら、88歳の僕と一緒に過ごせたよ」じゃありません。
これじゃ過ごしたっていえません。
ぷんぷん怒っていたらしょんぼりされました。
「懐かしいけど、嬉しいけど、怒らせてしまったのか……」じゃないです。
「だって、私、手を繋いで、ありがとうっていえたらな、って思ってたのにこれじゃできないもん!」
その日になったら、素敵なおじいちゃんとおばあちゃんになったら、手を繋いで歩きたかったのです。これじゃあ無理です。
涙も出ないから、ぷんぷんし過ぎたら、オーバーヒートでもしたみたいで、暑くなってきました。
頭が文字通り、カーッとしてきます。
周囲から慌てた声が聞こえます。
脳だけ人間が激怒するとか想定してなかったんでしょ、ばーか。
そういう人だよねあなたは!!
そう思ったところで、記憶は途切れて、これが死なのかな
って
思ったのに。
ああ。
++++++++++
「今度こそ約束を果たしたよ」
じゃないですよ。
あんたもアンドロイドみたいになってるじゃないですか……ですよね、それ。
「本当に君がしたかったことを、叶えたくて」
じゃありませんよ。
あんたまで脳人間ですか?
「君の3倍だけど、ね」って、123歳じゃないですかあなた。
「動かせて感覚がある手があるなんてすごい!! けど何でこうなった!」
手は繋いでる、確かに繋いでる感覚はあるけど、違う。これ違う感がすごい。
しかも、何かを操作してるのか、目線はこっちに向いてない。いや、多分目線とカメラの位置がずれてるとかなのかもしれないけど、やっぱりなんか違う!!!
「また、怒らせてしまったか……」
と言われてしまったので、つい、絶対言わないようにしていたことが口から飛び出てしまった。
「これじゃあ、この日に会えたのは確かだけど、ずっと一緒に時間を過ごしているわけではないじゃん! 違うじゃん!!」
夫は、固まった。
「それに、こんなにずっと生かしといて、私いつ死ぬの?今死んでるの生きてるの戸籍は??」
さらに、夫は目を見開いた。
あ、こいつ気づいてなかったか聞いてなかったかだな。
このバカああああ!!!
もう知らない
ほんと知らない馬鹿。
きっと、彼の研究チームの他の人は気づいてたんだろうな
私のこの先がどうなるのかってことに。
自分の記憶の中からスッと、自爆装置のスイッチみたいなものの推し方が現れたよ。こういうふうにそうさ、というか考えたら、脳の保護液に停止液が流れるんだってさ。
このままだと絶対、暴走しやがるだろうからもう少し、生きていてやろうかな。
確か、私が事故にあった日は78になる1週間前くらいだったはずだから、後1週間くらいは、生きていたいかな。
ここまでやらかしてやったバカタレの望みが成就しないのはなんか悔しいからね。
多分、ほんとこいつ気付いてないよなほんとに。
あんたは人生の2/3、私のこと考えてたかもしれないけどさ
私、意識ずっとなかったから、私的にあんたといた時間は1/2を超えてないんだよね。
これ言ったらさらになんかやるって言い出しそうで怖いから絶対言わないけどね。
まったくもう、バカなんだから。
満足させてやるから、安心してくたばりやがれ!だ
……わたしもな。
優しい研究員さんに、心からの感謝を、しなくちゃね。
その日がこの日であの日はどこで 半崎いお @han3ki
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