廃れた西洋館で一晩

城島まひる

本文

数年ぶりに故郷であるヨアンの街へ向かう途中、観光地の一つであるレビストンの自然公園に寄った私はあろうことか道に迷ってしまった。

おぼろげに記憶していた帰路を外れ、観光地に寄ったのが仇となった。もうすぐ日が暮れるというのに、私は山道を上ったり下ったりして愛車を走らせていた。

山の中腹あたりを走行していると、ふと視界の端にオーストラリア建築特有のコロニアル様式の洋館が入り、私はブレーキを踏んだ。辺りを見回し洋館に続く道はないかと辺りを見回すと、草花が踏み倒された小道を見つけた。しかし踏み倒された草花の隙間から、新しい植物が生えてきているところを見ると、人の出入りは少ないことを伺せた。

私は洋館が有人だろうが無人だろうが、雨風を防げるところがあれば良かった為、山道の路肩に愛車を駐車し、洋館に続く小道に徒歩で入っていった。

洋館の扉の前に着いたとき、既に日は半分程その姿を隠していた。それに加え遠くから雷の音が響き、これから来るであろう大雨の到来を予感させた。

私は両開きの扉に付いているドアノッカーを二回叩き、居るかもわからない家主に客人――勿論、自分のことだ――の来訪を伝えた。しかし待てど反応がなく、私は再度二回叩くと、次は数分待たずして扉に手を掛けた。

両開きの扉はなんの抵抗もなく開き、私は鍵が掛かっていないことから、無人の廃墟と化した洋館だと確信した。

しかし両開きの扉を開けた先、巨大な玄関ホールと四つの扉、そして正面にある二階へ続く幅広い階段。その階段から降りてくる、白いドレスに淡い桜色の髪を下ろした貴婦人がガス灯を片手に、勝手に扉を開けて入ってきた私を見ていた。

私は盗人ではないこと、道に迷い一晩泊めてほしいことを早口で伝え、洋館の主であろう貴婦人に弁明した。

「加えて謝罪する。無人だと思い、勝手に貴女の洋館に入ってしまった。大変申し訳ない。」

すると私の謝罪に、貴婦人はガス灯で私の顔を照らすと

「確かに悪人面には見えませんわ。どうぞお上がりになってガウスさん」

それから貴婦人は再度階段を登り始め、一度振り向くと付いてきてと私に言った。

私は雨風を凌げることになった喜びから、軽い足取りで貴婦人の後を追った。

「ところでこの洋館は貴女一人しかいないのですか?」

ガス灯が照らす薄暗く長い廊下を歩いている間、暗い雰囲気に圧倒させそうになった私は貴婦人に問い掛けた。

「ええ、私一人しか住んでいませんわ。夫は出ていってしまいまして...」

と貴婦人が言葉を濁す。私は貴婦人の境遇に同情しながらも、見知らぬ男を一晩止めてくれる彼女の心広さに感謝した。無論、山の中で野宿など御免被る。

客室につくと貴婦人は室内にある二つのガス灯に火を着けた。ベットとローテーブルだけシンプルな造りだが、細かい意匠が施されており、年季を感じさせた。洋館内が全体的に埃っぽいのに対し、客室内には埃などの汚れは一切見つからなかった。貴婦人が去った後、私はベットに横たわり短い睡眠をとることにした。長距離の運転から来る疲労が眼球と四肢にじんわりと広がっていき、やがて消えていく感覚を感じながら私は眠りへ誘われた。

ノックが響く。客人に気を使った軽いノックの音は、眠りの世界から戻って来るのに充分だった。私が客室の木製のドアを開けると、ガス灯を片手に持った貴婦人が立っており、夕餉の準備が出来ましたと言った。

私は客室内の二つあるガス灯のうち一つを持ち出し、貴婦人の後に続いて廊下に出た。時折なにかとすれ違った様な気がして、私は何度も背後を確認した。窓の近くを通ると外は酷い豪雨であり、私は強風が木々の枝を振るい、愛車のポルシェを鞭打っていなか不安になった。

窓の外の嵐を立ち止まって、眺める私に気づいた貴婦人は近くまで寄ってくると、そっと私の手を取り食堂まで案内した。

縦長の二十人ほど座れそうなテーブルには、木製のボウルに様々な果物が盛り付けられていた。ボウルのすぐ側にはエメラルドで出来たナイフが置いてあり、貴婦人はそれを手に取ると慣れた手つきでリンゴの皮をくるくる剝き始めた。

毎日酒と肉だけの食生活であった私にとって、この食事は満足いくものではなかった。しかし洋館の雰囲気がそうさせるのだろうか。薄暗く天井の高い食堂で貴婦人がエメラルドのナイフ片手に、果物をきれいに盛り付けていく様は決して悪くなかった。まるで一種の魔法に掛かったかの様に、非現実的な時間を私は楽しんだ。

食事を終えると私はガス灯片手に、一人客室に戻ることにした。玄関ホールの怪談を上り、踊り場から左右に分かれた階段の右側に進もうとした時、その踊り場に大きな絵画が飾られていることに気づいた。薄暗くて気づかなかったのだろうその絵画は、本来であれば洋館の顔であったことが優に想像できた。洋館に入って真っ先に目に入る位置に飾られている絵画だ。金持ちが威厳を保つため、これっぽちも興味がない芸術に倣い、庭を手入れする様に。この絵画も以前は大変美しく、高値の価値が付いていたのだろう。

私は金持ちたちへの冷笑を浮かべ、もっとよくこの絵画を見てやろうとガス灯を高くあげた。しかしそれが間違いであった。踊り場の床から天井まである巨大な絵画には、ガス灯を持った黒い人物が描かれていた。私は疑問符を頭の上に浮かべ、もっと近くに寄ることにした。すると絵画の方から生ぬるい風が吹き出した。私は思わず数歩後ずさり、ガス灯を前に突き出した。警戒して待てど何も起こらず私は勇気を奮い起こし、ゆっくりゆっくりと確実に一歩ずつ絵画に近づいて行った。

そして私は絵画に描かれた黒い人物の正体を知ることになった。

その人物は描かれていたのではない。切り取られていたのだ。絵画は人の輪郭にそって切り取られており、黒いのは空洞の影。つまり絵画とその裏の壁が人型にくり貫かれていることを示唆していた。

私は理解が追い付かない頭を抑えつけ、好奇心のままに動いた。つまり人型の空洞の中に首を突っ込んでみたのだ。しかし空洞の暗闇が視界を奪い、何も見えないと判断した私はガス灯を空洞の中に差し出した。

と同時に背中に強い衝撃が掛かり、私はガス灯もろとも人型の空洞に押し込まれてしまった。私が空洞の入口の方を見ると、白いドレスに淡い桜色の髪を下ろした貴婦人が幽鬼の様に、ゆらゆら体を左右に揺らしながら立っていた。

私は自分を突き飛ばしたのが貴婦人であると気づき、何をするんだと怒りに身を任せ駆け寄った。しかし人型の空洞から出た瞬間、目の光景が、洋館の玄関ホールが、ずるっという音を立てて消えていった。それは水に溶けた絵の具の様に、洋館の壁が床が天井が森の木々たちに吸い込まれていった。

急な出来事に自失茫然として立っていると、妙に眩しい朝日が私の目元を照らした。そして砂堀で汚れたスーツ姿の私を朝日が照らしだした時、この洋館の全貌が映し出された。今自分が立っているのは焼け崩れた廃墟であり、瓦礫の間から草木が生えているところ見ると半年前からこの状態であったことと推測できた。

私は階段に敷かれていたのであろう赤い絨毯の上から、瓦礫を幾つか踏んでその

場を後にした。洋館に続いていた――今は廃墟だが――小道へ入った時、背後から良い一日をというあの貴婦人の声が聞こえた。しかし私は振り返ることはせず小道を抜け、無事に故郷であるヨアンの街に辿り着いた。


 *


「それは面白い体験をしたものですね」

ヨアンの街に着いた私は若い頃に通っていた行きつけの酒場で、ヤミュレー・ロッド・カシューという変わった名前の――ユダヤ人とドイツ人のハーフらしい――老人と酒を酌み交わしていた。

「人型にくり貫かれた絵画……もしかしたらガウスさん、貴方が出会った貴婦人というのはその絵画に描かれたいた人物だったのでは?」

面白いことをいう人だ、と私は彼の言葉を一笑する。お互いアルコールが入っており、悪い気はしない。それからも私はヤミュレー氏と言葉と酒を酌み交わした。その後、二人して酷く酔いつぶれ酒場の店主のご厚意で、酒場に一晩泊めてもらうことにした。

翌朝私はヤミュレー氏を自宅まで送ろうと申し出た。するとヤミュレー氏は雑貨屋に寄りたいと言い、私は快く彼の希望を受け入れた。ヤミュレー氏は私が長いこと留守にしていたヨアンの街で起きたことを順に語ってくれた。仕事のために故郷から遠く離れていた私には酒の力もあって、その

語りには感慨深いものがった。その為か、私はヨアンの街に来る直前に体験した洋館と貴婦人の話をヤミュレー氏に漏らしてのだ。

私が雑貨屋の前で愛車のポルシェを止めて待っていると、紙袋を持ったヤミュレー氏が店から出てきて助手席に座った。私はアクセルを踏み、ヤミュレー氏の自宅の方角へ車を進めた。

「ところで雑貨屋では何を?」

私は運転の傍らヤミュレー氏に問いかける。するとヤミュレー氏は紙袋の中に長い腕を入れ、紅色の絵の具一つと、白色の絵の具二つを取り出して言った。

「実は半年前に白色の絵の具を大量に使用してしまったので、この補充ですよ」

後で知った話だがヤミュレー・ロッド・カシュー。彼は絵画の世界では有名な天才的画家だった。何故彼が天才的かと囁かれていたのか、少なくとも私は口にしたくない。しかし同時に道理で人間離れした美しさをもっていたわけだと、件の洋館の貴婦人を思い出すのだった。


─了─

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