第10話 森高穂高の焼き餃子 1
「家にさぁ、お中元とか送るべきかなぁって思うんだけどさぁ」
弟がまた可笑しな事を言い始めたぞ、と思う。彼の世界観は独特だ。いつも何か不思議なことを至極まじめな顔付きで主張するので、兄としては、噴き出さないように表情筋が鍛えられることこの上ない。
「お中元はいらんだろ」
「そう?」
「困るだろ、中年夫婦が貰っても」
そうかぁ。と、半分納得したような顔。要ると思ったんだけどなぁ、サラダ油とか。呟く背中に今度こそ噴き出しそうになって、ひとつ、乾いた咳をした。なにそのサラダ油チョイス。
俺の名前は森高穂高。名前に同じ漢字が使用されるのはレアケースだと思うんだけど、それはレアなシチュエーションがコミットしたせいでリアリゼィションしたものだ。……いまは英語をなんとかモノにできないかと画策している。ギターだけとか、料理だけとかでは、流石に海外放浪なんて無謀がすぎるだろうから。
盛夏の昼下がり。冷房のついたキッチンには誰もいない。みんな学校やら職場やら、それぞれの場所でそれぞれの役割をこなしている事だろう。セミ達も今だとばかりに鳴き声を張り上げている。
自分はどうなのか。すっかりぬるくなった麦茶のコップを前に、出がけの弟の妙な言動を思い出してニヤついている自分は、特にこれといった肩書きがない。まぁ、挙げるとしたらフリーター。
楽器店の店員、ライブツアーのアシスタント、音楽教室のアシスタントなんてのも、そのほか、適当に、エトセトラエトセトラ。正体もない、というのが俺の正体なのかもしれないけど。
カゴからミニトマトをひとつ取る。包丁で縦半分にして、ヘタを取って、並べていく。後でまとめてタネを取ってから天日干しにする。ドライトマトの作成は、ここの夏のお手伝いのひとつ。夏はドライトマト、冬は切り干し大根など。そうやって夕凪さんの手伝いをして過ごして、三度目の夏を迎える。
ガサガサと音を立てながら誰かが玄関から上がってくる。首を伸ばして伺い見れば、大きな緑の塊が廊下をやって来る所だった。途端、草の匂いが鼻をつく。
「あ、穂高くんいた!」
「うわ、見つかったか」
草の束を抱き抱えているのはここ「シェアハウス鶉の巣」の主こと夕凪さんだった。ボーイッシュを通り越してほとんど坊主頭に近い長さの髪。前に、酒の席で「五分刈り」って言ったら「お前も五分刈りにしてやろうか」と凄まれた過去がある。
夕凪さんが腕の中のものを流し台に下ろして、やれやれと服の前を叩く。珍しく汗の玉なんか作ってるのを見咎めて、冷蔵庫の麦茶を注ぐべく棚からコップを取り出した。
「夏前に庭にバジル植えたの覚えてる?」
白州さんが土木工事みたいな事してたやつ、と言われて合点がいく。
「セメント練って」
「そう、それ」
梅雨と夏の間のわずかな期間、狙い澄まして土木工事を敢行した白州さんの手腕はいつもながら見事だった。
白州さんと俺の違うところはたくさんあるけれど、同じ「器用」の枠に入りつつも白州さんにあって俺にないものとなると「計画性」が筆頭に挙がるだろう。
「あのヒョロヒョロだったバジルが、大変生い茂ってくれましてね」
なるほど。それでこの有様か。
「それでね、刈るの手伝ってくれないかな」
「は? まだあるんすか!?」
「これで三分の一くらいかな」
なるほど、なるほど。
鶉山夕凪さんの要請とあらば、我ら住人が手を貸さない訳がない。
「よーし。じゃ、これ干しがてら、収穫しちゃいますか!」
「そう来なくちゃ」
ご機嫌に応えた夕凪さんは、コップの麦茶をぐいと飲み干した。
シェアハウス鶉の巣からは本日も美味しそうな匂いがしてきます。 野村絽麻子 @an_and_coffee
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