ベージュの天寿

かなぶん

ベージュの天寿

「待ってよ、ユウ君!」

「…………」

 高い声に名を呼ばれ、フードを被った男が立ち止まって振り返る。

 渋々と言った動作にふさわしい目が見つめる先には、手を振り駆け寄る見目麗しい美少女。そして、その隣で浮遊する、巻き角を両側につけたモコモコの生き物。

「もう、歩幅が違うんだから、少しはゆっくり歩いてよ」

「……ああ、ごめん……」

 追いつき、「ふぅ」と大きく息をついては、口を尖らせて文句を言う少女へ、男は苦虫を噛み潰したような顔で謝罪した。

「まあ、お前の気持ちもわからなくもないがな」

 そう宥めたのは宙から少女の頭へぽふっと収まったモコモコ。

 見た目の割に渋い男の声が宥めるのへは、力なく笑ってみせる。

 と、頭上のやり取りにムッとした少女が、頭上のモコモコを両手で挟んだ。

「どうしてあなたにわかるの? ずっと浮かんでいるだけなのに」

「しゅきれふかんれいぅわけれふぁ……もひゅもひゅふるふぁ!」

「ふふふ、何言っているかわかりませーん」

 少女の手から逃れようとぷるぷる震えるモコモコだが、両側から挟む華奢な手の拘束は見かけよりも強いらしい。どれだけ暴れても少女の手の中でもふもふされるばかり。仕舞いには頭から少女の胸前に下ろされ、そこで際限なく揉まれている。

 端から見れば、小動物を可愛がる少女の図だが、内情を知っている男はモコモコを哀れんで少女の暴挙を止めに入った。

「……ばあちゃん、そんな風にしたら、じいちゃんが可哀想だろう?」

「もう、ユウ君は本当におじいちゃん子なんだから。少しくらい、おばあちゃんの味方をしてくれてもいいのに」

 そう言いつつも、モコモコから手を離す少女と、解放されたというのに再び少女の頭の上に収まるモコモコ。

 旅のともが増えてから何度も目にした光景に、男はこっそりため息をついた。


* * *


 ユウ君ことユージンが呼んだ通り、この美少女とモコモコは、正真正銘、ユージンと血の繋がりを持つ祖母と祖父である。

 とはいえ、旅暮らしでもユージンが見たまま人間なのと同様に、祖母と祖父も、本来はこんな美少女でもモコモコでもない、極々一般的な、普通のおばあちゃんとおじいちゃんだった。

 それがどうしてこうなってしまったのかと言えば、話は14年前に遡る。

 今ではすっかり美少女の祖母だが、当時は齢を重ね、いよいよ臨終の時を待つばかり。長年連れ添った祖父は元より、同居の家族、遠方の親戚、他国の友人たちも、祖母へ最期の挨拶をするため、皆思い思いに祖父母の家に集っていた。

 もちろん、その中には11歳だったユージンも。

 たくさんの人に愛され、たくさんの人を愛した証のような集いは、終始穏やか。

 そのまま祖母は皆に見守れながら大往生――となるはずだったのだが、ここに一人、招かれざる客が現れた。

 ――魔王ロカオノ。

 当時から数えて60年ほど前、世を脅かしながらも封じられた絶対悪。

 田舎の農村暮らしの祖母の元に、何故そんな大層な輩が現れたのかと言えば、後に知ることになるのだが、実は祖母と魔王には因縁があった。

 何を隠そう、60年前にこの魔王を封じたのが、他ならぬ祖母であったのだ。

 齢14歳ながら神の使いとして、愛と正義の名の下に魔王を封じた祖母。

 その今際の際に突如、封印を破って現れた魔王は言う。

 年輪を刻んだ肌に、死の間際だというのに仇敵を見つけて炎を滾らせる老いた瞳に、弱った身を起こそうともがく姿に、ただ一言。

『醜い』――と。

 そうして腕を振り下ろしては、その場の誰もが祖母と共に死を覚悟したのだが。

 その場に居合わせたユージンも同様に恐れおののき、目を閉じていた。が、いつまで経っても来ない痛みに、何も感じぬままに死んだのかとさえ思った矢先、周囲のどよめきに目を開ければ、見つけた光に更に目を見開く。

 月の輝きにも似た銀の髪に、晴天を写し取ったような蒼の瞳。なめらかな肌には皺一つなく、花弁にも似た唇は紅の色づき。古びた衣を纏う身体は華奢で、成人には届かないながらも、少女の丸みを帯びている。

 ここだけの話、彼女を一目見たユージンは一発で恋に落ち――次いでその姿が祖母の居た場所にあると知り、細い腕で押さえる古びた衣が祖母の着ていたモノだと気づいたなら、彼の初恋と言って良いソレは人知れず散っていた。

 それはそれとして、だ。

 状況を鑑みるに、祖母の姿を変えたのは、間違いなく魔王。

 放っておいても死ぬはずだった祖母の前に現れたばかりか、その姿を己と対峙した全盛期の姿へと変えた、その真意はと言えば――

『美しい……』

 打って変わり、美少女の姿の祖母へそう呟いた魔王は、頬をぽっと赤らめたりしつつ、厳つい顔・身体に似合わない仕草でもじもじしては、毒々しい花束を祖母へ向けて差し出し、そして、

『臨終を超えた君よ。これより先は我が伴侶として――』

 その言葉を最後まで聞く者はいなかった。

 いや、ここまで覚えている者もユージンぐらいだろう。

 何せ、次の瞬間には、魔王は――魔王だったモノは、全盛期の力を取り戻した麗しの乙女の、そのたおやかな手によって、ミンチにされてしまったのだから。

 文字通り、物理的に。

 凄惨なその光景は、記憶を抹消してもおかしくないトラウマレベル。

 ユージンもできれば忘れたいところではあるが、その姿すら美しかった初恋の君ともなれば、なかなか記憶を飛ばせず。

 そうして後に残されたのは、死に損なった元・老婆の美少女。

 美少女となった祖母により、またしても救われた世界とも言えるが、話はそう簡単にめでたしめでたしで終わらない。

 死を迎える気満々だった祖母が若返って、「また青春をやり直す!」だったら良かったのだが、全盛期の力を取り戻した祖母は、とんでもないことを一族や友人たちに言い出した。


 曰く、自分より先には誰も死なせない。


 この最初の犠牲者となったのが、今では美少女のモコモコマスコットになっている祖父だった。

 祖母の若かりし頃の姿にときめくどころか、何かしらの嫌な記憶が呼び出された祖父は、魔王がミンチとなると同時に胸を押さえ、そのまま息を引き取りかけた。これを察した祖母は、祖父の名を呼ぶ間も惜しみ、祖父に祝福という名の呪いをかける。

 そうして出来上がったのが、あのモコモコ。

 この出来事を持って、先の宣言を周囲に知らしめた祖母は、その後も死にかけの親類・友人の前に現れては、同様の呪いをかけていった。

 全ては、臨終の狂いによる、見なくても良かった死を嘆き悲しみたくない故に。

 お陰で、今現在、祖母周辺の人間関係は、ファンシーな地獄絵図と化している。

 ちなみに、祖母自身は自殺を是としていないため、今後もこれらのファンシー生物は増え続けることが予想されており、ユージンの旅はこれを打破すべく、魔王のかけた呪いを解く方法を探す目的も兼ねていた。

 だが困ったことに、あっさり討伐されてしまった魔王は魔力だけはその肩書きに見合うだけのものがあるそうで、祖母にかけられた若返りと停滞の魔法は、この魔力を上回る力で解除するしかないという。

 げに恐ろしきは、一片も報われる余地のない60年モノの腐敗した恋心か。


* * *


 そんなわけで、当初一人で旅をしながら、魔王を上回る力を得る方法を探し回っていたユージン。それがふらっと実家に立ち寄ったせいで、祖父母を伴う羽目になったのは、母から「お願い」されたためだ。

 なんでも、少しでも体調を崩すと、枕元に祖母が立っているという噂が、まことしやかに村で広まっているためらしい。

 たぶん、事実だろう。

 今ではすっかり、美少女のマスコットのモコモコが板についた祖父と、そんな姿にしても変わらず祖父を愛する美少女の祖母を尻目に、ユージンは内心ため息をつく。

 イチャイチャする二人は気づいているのかいないのかわからないが。

(魔王の魔法を解除する……それはつまり、この二人を死なせること……)

 解除が即死に繋がるかすら不明だが、そうでなくとも、魔法が解けるということは、そういうことだ。

 もちろん、自分より遥かに年上の二人なら、先に逝くのが自然の摂理ではある。

 それでも、そのきっかけを自分が探しているという事実は、一人で探している時よりもユージンの気を重くさせた。

 二人がこうも楽しそうに、自分より若い姿で生きているから、なおのこと。

(だからって……放っておくわけにはいかない)

 またも美少女の手の中で、モコモコの身体を揉みくちゃにされる祖父を見ては、そう思わざるを得ない。

 このまま魔法が解除できないままユージンが死を迎えようものなら。

 待っているのはファンシーな世界の一員。

 ユージンはとても平和な地獄絵図を払うように頭を振ると、もう一度だけ、短いため息をついて、次の目的地を思い浮かべた。

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ベージュの天寿 かなぶん @kana_bunbun

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