探索の前に何か食べたくなって

鶴崎 和明(つるさき かずあき)

食事処『ベナッサ亭』

 魔術都市『ヴィルダナ』の外れ、森を前にしたところにその店はあった。

 石と漆喰しっくいつたで固められたその店は、あたかも昔からあるようでいて、木製の看板によると昨年できたばかりのようである。


 ――ベナッサ亭。


 目の前に広がる森の名を冠したこの店は、果たしてどのようなところか。

 これから森に住むという伝説の冒険隊パーティ『マクロウェーヴ』を探さなければならないのだが、それよりも腹が減っている。

 気付けばもう昼過ぎじゃないか。

 よし、ここは森に入る前に、腹に何かを入れていこう。

 一度頷いてから、ささくれだったところに気を付けながら、重い木戸を開けた。




 昼飯時を過ぎていたせいか、客は三組しかない。

 中央のテーブル席で出来上がっているのは、迷宮ダンジョン探索を終えたパーティーだろうか。

 既に、戦士と思しき黒いプレートアーマーの男が突っ伏してしまっているが、お構いなしに大声を上げている。


「いらっしゃいませ、初めてのお客様ですか?」


 苦笑していると、褐色のディアンドルに身を包んだエルフに案内され、カウンター近くの席に着いた。

 オープンキッチンも店全体も良く見える好立地で、否応もなく期待が高まってくる。

 見ると料理人はまだ若いようだが、中での動きは堂に入ったものだ。

 カウンターで静かに酒を飲むドワーフの爺さんがいるのも頷ける。


 さて、とメニューを開けてみればかなりの品数が並んでいる。

 最近は冷凍冷蔵庫という魔法道具マジックアイテムが一般的になって、様々な料理を出す店も増えたが、これだけあるというのは珍しい。

 これを一から作るとなれば、どれだけの時間がかかるのだろうか。

 そんな心配をよそに、奥の卓に次々と料理が運ばれていく。


「はい、竜殺しドラゴンバスター定食と焼けつく息ヒートブレスセットをお持ちしました」


 竜殺し《ドラゴンバスター》……ということは、あの鉄板で音を立てているのはドラゴンの肉ということだろうか。

 先週立ち寄った店だと、絞め方が悪かったのか硬くて食えやしなかったが、果たして……。

 それに、女がフォークを伸ばそうとしている焼けつく息ヒートブレスも気にかかる。

 俺が子供の頃に流行ったパスタだが、ニンニクとアンチョビのペアを唐辛子が支えるというのを思いついた奴は天才だ。

 そして、名前もいい。

 確かこれを食った後のカップルが、その強烈な匂いに閉口して関係が焼けついてしまったからこの名が付いたという。

 このパスタを食って精のついた男が、夜半に槍が焼けつくまで女を愛したという説もあるが、このニンニクの力強さを表すなら通説の方が合っている。


 いや、余計なことに考えを持っていかれすぎている。

 今は何を食べるのか、何を食べたいのか、それだけを考えるべきだ。


「はい、おじいちゃんいつものシェルヴァーナ風ポテト炒めね」


 今度はカウンターに目が行ってしまう。

 確か西の方にあるシェルヴァーナ王国は香辛料の使い方が巧みで、特にあの黄土色に配合された粉を振るうと、どんな料理でも美味くする。

 それに、近頃ではいいものが見つかって盛んに使われるようになったポテトと腸詰肉、キャベツの組み合わせに間違いはない。


 いや、余計なことに考えを持っていかれすぎている。

 いい加減にしないと空腹のせいで失踪ロストしかねないぞ。

 こういう時は、無理にでも早く注文するべきだ。


 まずは定食を中心に組み立てよう。

 ふむ、主食にはパンとライスが選べるのか。

 ここ十年ほどで、西の大陸から伝わったライスも一般的になったが、俺は慣れ親しんだバケットが一番いい。

 特にこれから何日探索することになるか分からんのだ、ここで定石を外すわけにはいかない。


 それにしても、この定食の名前はどうしたことか。

 恐らく迷宮に臨む冒険者が立ち寄るせいだろうが、やたらと名前が勇ましい。

 竜殺し《ドラゴンバスター》定食はまだいいとして、海竜リヴァイアサン定食やら救姫セイブクイーン定食とは何事だろうか。

 いや、ここまで奇抜なら敢えてライスとこの地獄の魔猪ヘルオーク定食を合わせるのもいいかもしれない。

 それなら……。


「すみません」

「はい、お呼びでしょうか」


 先程のエルフが何とも愛想よく駆け寄ってくる。

 若いのにしっかりしているな、と年上かも分からぬのに感心してしまった。


「えーっと……この地獄の魔猪ヘルオーク定食を一つと、烏賊王の真珠パールクラーケンに青豆とコーンのイラーティア風をお願いします」

「はい。定食はパンとライスを選べますけど、どちらにされますか?」

「ライスで」

「お飲み物はいかがされますか?」

「レモングラスティーをアイスでお願いします」

「あら、これから探索クエストですか?」

「ええ、まあ。ちょっと森の奥まで」


 あまり気に留めなかったのか、エルフは通る声でオーダーを通していく。

 それを、厨房の男が返すのだが、こちらは少々落ち着いている。

 それよりも、気づかなかったがもう一人女が奥にいるらしい。

 長身から伸びた細い真紅のポニーテールは、それだけでこの空間に華やぎを与える。

 なるほど、これを目当てに来る男もいるだろうなと笑いつつ、視線は中央の卓へと向かっていく。


「ほらほら、今日は牛魔人ミノタウロス討伐してお宝が入ったんだから飲んだ飲んだ」

「キリーナ、僕は君ほどの蟒蛇うわばみじゃないんだ。そろそろ遠慮させてくれ。見てみろ、バルファスなんかさっきから起きないじゃないか」

「そんなのバルが弱いだけでしょー。ほら、ペルクも飲んだ、飲んだ」


 ペルクという名前に、スイッチが僅かに切り替わる。

 そういえば、探していた冒険隊パーティのリーダーもそんな名前だった気がする。

 やや小柄というのも聞いた噂と合っているし、もしかすると森で成果を上げて冒険者ギルドに向かう途中なのかもしれない。


「ほーらー、この左手知らずロストレフティ美味しいんだから、もっと食べて飲みなよぉ」


 その思考を幻想鳥コトカリスのもも揚げが遮断した。

 左手知らず《ロストレフティ》はあまりの旨さに呑兵衛が酒を忘れることから付いた名前だが、普通は鶏肉が使われる。

 しかし、やや脂身の多く特徴的な皮目は、遠目から見ても幻想鳥コトカリスの肉に間違いない。

 流石、魔法都市『ヴィルダナ』ともなると、こうした食材が容易に手に入るのだろう。

 俺の住む王都『ゲルテ』だと、旬を外すとまず手に入らなかったはずだが……。




 その時、甲高い音が二つ店内に響き渡る。

 時刻を知らせるものにしては早く、加えて音が聞き慣れない。

 他の客には馴染みのある音なのか、ドワーフの爺さんなどビールを追加で頼んでいる。


「おじいちゃん、もう七杯目ですよ。そろそろ切り上げないと、奥さんに怒られても知りませんからね」

「あぁ、あいつは怒らせとけばいい」

「そんなこと言って、この間もしばらく家に入れてもらえなかったの知ってるんですからね」


 全く、威勢がいいのは口だけということか。


「お待たせしましたー、お先に青豆とコーンのイラーティア風とアイスレモングラスティーですね」


 早速運ばれてきた一品は、南方のイラーティア地方の名物で、シンプルにベーコンの油で炒めてあることが多い。

 しかし、どうやらここは少々バターを使っているようで、近付いただけで豊かな香りが駆け上がってくる。

 向こうのしきたりではフォークでいただくのがいいらしいが、どうせ男の一人飯、スプーンで豪快にすくって口に運ぶ。


 うん、これはいい。

 青豆を旨いと思って食うようになったのはいつからだろう。

 子供の頃はあれほど嫌がって母さんに叱られたはずなのに、この一粒一粒が森を孕んでいるようで今はすっかり好物だ。

 下手な料理人であればこの独特の風味も失われてしまうが、しっかり青豆もコーンも活きている。

 さじが止まらない。

 これはいい店に当たっただろう。


「はい、お待たせしました。地獄の魔猪ヘルオーク定食と、烏賊王の真珠パールクラーケンをお持ちしました」


 卓上に所狭しと並ぶ皿たちが俺を祭りへと引き込んでいく。

 その中でもひと際目を引くのが大鉢であり、その赤さは鮮烈な印象を残す。


「この地獄の魔猪ヘルオークはスプーンで切れますから、フォークは使わなくても大丈夫ですよ」

「え、そうなんですか」

「はい、しっかり煮込んでありますから」


 エルフの言葉に半信半疑となる。

 いくら探索クエスト前に刃物を使うのを嫌う冒険者が要るからといって、これだけ分厚い三枚肉がさじで切れることなどあるだろうか……。


「本当ですよ?」


 悪戯っぽく、金髪のエルフが念を押す。

 くすくすと笑った彼女に胸を高鳴らせてから、俺はまずカップのポタージュに口をつけた。


 淡い灰色のポタージュというのは珍しい。

 何を使っているのか見当がつかないが、なんだか大地を呑み込んでいるような心地がする。

 塩味は控えているのか、この正体不明の食材が持つ仄かな甘みを存分に楽しめる。

 それに、せっかちな冒険者のためかカップに入っているから珈琲のようにそのまま飲める。

 ともすれば手が止まらなくなりそうだが、一旦、置いておこう。


 烏賊王の真珠パールクラーケンは名前の通り、烏賊を瓜と炒めたもののようだが、マヨネーズのおかげで全体的にまったりとしている。

 船乗りの嫌われ者を宝石に変えるなんて、甲斐性のある大将だな。


 小鉢に盛られたグリーンサラダはドレッシングがいい。

 キャベツに胡瓜とトマトの組み合わせに出会えるとは驚きだが、キャベツを恐らくミレット高地から仕入れているのだろう。

 これを澄んだ黄金色が包み、口に運べば爽やかな酸味が心を癒す。

 酒飲みならこれだけで一杯やってしまいかねない。


「そういや、この細長いやつなんて言うだい、ねえちゃん。胡椒が効いてうめえじゃねぇか」

「牛蒡っていう食べ物らしいですよ。西の大陸だとよく食べられてて、見た目は木の根っこみたいですけど、美味しいんです」


 喧騒もまた心地が良い。

 そして、この具入りのオープンオムレツもまた見事だ。

 どのようにして作っているのかは分からないが、どこにも焼き目が付いておらず、それだけに卵と野菜の甘みに集中できる。

 切り分けた際に焼き目を取り除いたのだろうか。

 それをこの温かさでやるのなら、大した根性を持っている。


 そして、地獄の魔猪ヘルオークは正に主菜だ。

 魔猪オークの皮つき三枚肉を丁寧に煮こんだのだろうが、確かにさじですっと切れていく。

 豚のトマト煮はこれまでいくつも食べてきたが、ここまで見事なものは見たことがない。

 あの料理人、さぞ腕が立つのだろう。

 若くて小柄な青年だが、料理の旨さがその存在を大きくしている。


 香辛料が効いているのか、身体が熱くなってくる。

 それを滅多に食べないライスと共に頂くと、見事に手綱を握って旨さを増す。

 なるほど、普通の豚、普通のパンではここまでの感動は出せないだろう。

 そして、このいじらしく添えられたクリームを和えると、旨味の底が抜けた。

 没入して、飯を食う。

 気付けば卓上に空の皿が並び、後にはレモングラスティーの抜ける香りが残った。




「はい、締めて二ガル金貨です」


 勘定も安い。

 これだけ満足して、日常から離れられる飯屋がこんなところにあったとは……。


「そういえば、あのオムレツは見事でしたね。旨さを存分に味わわせるため、焼き目を切り取られたんですか」


 思わぬ出会いに、カウンター向こうの大将に声をかける。

 やはり小柄だが、鍛えられた肉体はその修行が厳しかったであろうことを彷彿とさせた。


「いえいえ、あれは電子レンジという魔法道具マジックアイテムを使ったんですよ。お手製ですから他では見られませんが、火を使わずに食べ物を温められるんです」


 何とも奇妙な話である。

 料理の腕前もさることながら、この青年は魔法道具マジックアイテムを自作するという。

 なるほど、錬金術にも長けているとは、天は二物を与えるということか。


「それで、今日はどのようなご用件で森にいらしたんですか」

「いやあ、冒険隊パーティ『マクロウェーヴ』さんに依頼があってですね。森にいらっしゃると聞いて、これから数日かけて探す予定なんです。何か大将、ご存じないですか」


 俺の言葉に、大将は目を丸くし、二人の給仕も立ち止まる。

 何か気に障ることでも言ったのだろうか。


「なんだ、それでしたら俺達のことですよ。ご存じなかったですか」


 大将の言葉に、店中で笑い声が上がる。

 少し赤面しつつ、満たされた腹をさすって奇妙な探索成功クエストクリアに、一つ苦笑した。

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