第6話 大団円→

 境内は真夜中にも関わらず、真夏日のような暑さと明るさだった。

 俺たちの濡れた服が乾いていく。境内の真ん中には、立膝を立ててしゃがんだた教主がうっすらと笑っていた。

 本殿の跡形はなかった。粉みじんになった土くれが敷地の塀に積み重なるのが、辛うじて確認できるくらいしか残っていない。

 要石にリュウが爪を食い込ませて、暴れ出すのをこらえているように見えた。龍の巨リュウだけでなく、大獅子が、阿吽の虎が、黒豹が、こちらを見て、よだれを垂らしている。

 土御門は狼狽した。

「先ほどまではこうじゃなかった」

「副隊長! 先刻、本殿の水蒸気爆発と噴煙を確認しました!」

「噴火口直上の吸引はどうした。教義に残る、ほぼ唯一の対応策だぞ!」

「わかりません。先ほど、完全に沈黙しました!」

 土御門も蛇も、俺たちも、教主を凝視した。

「お前、何をしたっ」

 不気味に沈黙していた教主が、忍び笑いを漏らした。だんだんと、その笑い声は大きくなっていく。ゲラゲラと笑っている彼が過呼吸になりかける頃には、誰もが、リュウへの警戒を忘れて、彼を凝視していた。

「自然を敬って、何になるんだバーカァ!」

 乙別離教主は叫ぶ。

「リュウの正式名称を教えてやる! 火砕流、火砕サージだ! 自然現象を敬って祈祷して、何になるってんだよ!」

 彼は続けて、先代教主を説得して、要石を置かせたものの、その時の事故で教主は生まれ変わってしまったことを話す。

「だから教義のすべて、独学する羽目になった。文化面はともかく、他は、俺はバカだから理解できなかった」

 黙ろうとする彼を、土御門が問い詰める。彼はおびえながら、続きを口にした。

「俺が理解できないものは、説明できない。誰だってそうだよなぁ? だから、教義から理解できない部分はごっそりなくした。こんなことになるとは思わなかったのだ」

 土御門が、信じられないという顔で首を振る。

「わからないなら、人に聞けば良かっただろう。何百年教主の座に座っているか覚えていないのか。三百年だぞ!」

「俺はバカだから、一回で理解できるとは思えない」

「理解できるまで、何度も聞け」

「それじゃ、俺がバカにされるだろっ!? 異変に気付いた島民たちも、生まれ変わらせてしまった。もう後には引けないんだよ」

 土御門は隊長もか、と問いかけ、教主はこくこくと頷いた。

 数秒後、言葉の意味を理解した土御門が激昂する。

「島全体を苦しめて、対処療法で、どれだけの罪を重ねるんだバカが!」

「そうだって言っているだろう! 死因もそれが原因みたいなものだ」

 言い争う二人に釘付けだった視線が、噴火口からした異音に吸い込まれる。ごうごうと何かが流れる音だ。教主以外の皆にとっては、日常的な音。

「噴火前兆確認。総員、位置につけ」

 合図と同時に、要石の爪をはがそうとするリュウたちに、蛇たちが放った刃物が殺到した。急所や、動きの制限の出来る手足、単純に的の大きい胴体に過たず、無数の刃が突き刺さる。息の合った十三人の攻撃は、誰一人干渉しあうことなく、リュウに傷を負わせた。

「総員、目をつぶれ!」

 土御門が警告の声を上げた。

 直後、高温に熱せられたマグマが、直視できないほどの輝きを放つ。ぱちぱちと音を立てているのは、まさかプラズマ化までしているというのか。

 ぶわりと高速で近づく熱気に、俺は目を閉じたまま、機械兵を最前線に押し出した。

 目を開けたとき見えたのは、金属と岩石が溶けながらも、液体のまま動こうとする地獄絵図だった。ナイフを投げた小柄な影が、液体の獅子の胴体に吸い込まれていくのを見て、舌打ちした。

 本殿跡地の正面の地面が真っ赤に焼けて、穴の形を作り出しつつある。

「横穴だ!」

 俺は組み付いている機械兵を解除し、穴を埋めるために差し向ける。噴火口から何とか顔を出そうとしていたリュウたちが顔をひっこめる度に、横穴は赤くなっていく。

「この要石のせいで、火流が変わって横穴が出来たんだ!」

「要石を壊すと、リュウたちが解き放たれるぞ」

 蛇たちは各々、絶望の表情を浮かべた。さらに悪いことに、ぬるりと要石の隙間をぬって、蛸のリュウが境内に現れた。

「海洋生物のリュウは比較的穏やか、だろ、土御門」

「気が立ってなきゃな」

 要石に引っかかるリュウたちが、脇をすり抜ける蛸に、深く牙を突き立てた。

 廃村で見たときの三倍は大きい蛸は真っ赤になると、八本の足を振り被った。満天の夜空から星も月も掻き消える。

「もうムリですよぉ」

 誰かがつぶやいた言葉は、その場にいた蛇たちの総意だった。逃げ出したくとも、巨大すぎる足から繰り出される攻撃は、全員を捉えることだろう。

 俺は、腰を抜かしている三原をかばって、前に立ちふさがった。

「兄さ「諦めるのかぁ~!?」

 間が抜けた喋り方が、蛸の足のさらに上から聞こえた。ジェット音に全員が耳をふさいでいるのに、俺にはよく聞こえた。

「これでもぉ~、食らえタコがっ!」

 空飛ぶ船は椚の手によって落とされ、蛸のリュウを押しつぶした。

 天空から隕石が降ってきたかのような衝撃波が、踏ん張れなかった者や体重の軽い者を吹き飛ばす。

 俺は三原に掴まれて、吹き飛ばされるのを免れた。

「ありがとう!」

「それより、あれを!」

 蛸は岩石となって、船底を傷つけながらも停止する。甲板から、椚が顔を出した。

 俺は声を張り上げる。

「もう一回、要石ごと、リュウたちを砕けるか!」

「無理ぃ! ジェットエンジン以外が壊れたぁ。飛ぶのに必要な揚力を得られない」

「ジェットは生きているんだな?」

「そうだ藤原ぁ、何をする気だ?」

 教主が奏上していた姿で、俺は、正式な祝詞を知った。

「かしこみかしこみ申す、かしこみかしこみ申す。遠く神笑み給え」

 祝詞を述べるには、時間がかかる。

 目くばせに頷いた三原は、これから起こることの動線上の人間を退避させながら、リュウたちを要石周辺に集めて押し留めるように、指示を出す。

「わかった。任せろ」

 土御門は地面に向かって、要石のすぐそばに十字の溝が出来るよう、太刀を振るった。

 奈落までつながっていそうな深い溝は、リュウたちの足止めとして、また、都合のいい位置にある横穴として機能した。

 ずしん、ずしんと足音が響く。二足歩行での大質量の移動は、祝詞の奏上と同じくらい時間がかかった。

 俺が操る塩の巨人は、歪に大きくした右手で、船を掴み上げた。

 小指の方の船頭を地面に傾ければ、椚が転がるように走り、逃げる。彼は、俺が何をしようとしているのか、わかったのだろう。お腹を抱えて笑っている。

「あーはっはっは! 今までの準備を無駄にするのは楽しいなぁ!」

「今さらだが、良いか!?」

「ああ! ぶちかませぇ!」

 雲をつくような塩の巨人が、見えないほどの高さまで船を持ち上げる。最も高い位置で止まり、限界まで船を握りこむ。

「わん!」「ゴン!? なんでこんな場所に!?」

「総員、伏せーッ!」

 ジェットエンジンを起動した船は、握られた拳ごと音速まで加速した。要石とリュウに白い拳が直撃する。摩擦熱と高温でプラズマ化した着弾点が、黄色に光った。

 轟音と暴風が、周囲を包んだ。蛇たちと教主とは固まって、永遠とも感じられる暴威に耐える。俺は耳の奥でかちりと、歯車が回り出した音を聞いた。

 せき止めていた火砕流が、正常の流れを取り戻す。

「お前は根本的な原因を突き止め、歪を正した。ここからは俺の仕事だ」

 夢のなかで聞いていた声が、すぐ近くで聞こえた。倒れたまま、痛む体に鞭打って、顔を上げる。

 ゴンが俺の目の前に座って、わんと鳴いた。

「まさか、お前が?」

 ゴンは頷くと、立ち上がった。白くふわふわした毛皮は、厚手の白い外套に変わり、笑ったような口元は引き締められる。

「ありがとう、藤原、君が謎を解いてくれたおかげで、俺の封印は解けた」

「お前は誰だったんだ」

「古代の祈祷師。乙別離大島を変える代わりに、乙別離大島の問題を知る者がいなくなったら、犬となる呪いを受けた者たち」

 祈祷師はいたずらそうに、三原も見た。

 三原は突然姿を変えた愛犬に、驚愕の表情を向けて、固まっている。

「ありがとう、三原。飯美味かったし、散歩も楽しかった。いつか、お前の願いも叶うよう、毛むくじゃらの友人として祈っているぞ」

「ゴン」

 三原の呼びかけに、それ以降、祈祷師が答えることはなかった。

 祈祷師が祈ると、宙に幾重もの文様が浮かび上がり、噴火口を取り囲んだ。

「火山災害すべてをリュウに変換することはなしだ。完全に止めるのもなしだ。自然はあるがまま、超常ではなく奇跡の範疇に」

 いつの間にか、島中から集まってきたのだろう犬猫が、境内を埋め尽くしていた。

 彼らは瞬きの間に、両手を合わせて天を仰ぐ老若男女に変わっている。

『かしこみかしこみ申す。遠く神笑み給え』

 ガキンッと、地中で大きな金属音が、組み変わった音がした。

 街とは反対方向の山の斜面が、先ほどの土御門の斬撃のように、しかしより深く、抉れていく。

「仕上げだ!」

『かしこみ、かしこみ申す』

 噴火口から、溶岩が大きく吹き上がり、意思を持つかのように折れ曲がる。火砕流は溶岩のまま、落下した先の溝に沿って流れだした。

 火砕流が吹き上がり、空で溶岩と灰に分かれる様子は、まるで、流離山が山頂に天使の輪を戴いたようだった。

「本当に、ここは異世界だったな」

 真っ赤な天使の輪は、消えない。

 舞い上がった灰は天使の輪から外れ、風に吹かれて、畑の方向に流れていく。

「火山灰の対策なんて、誰も知らないよな」

「ああ。きっと今年は不作の年になる」

 土御門は身を起こして、祈祷師の成すことをじっと観察していた。俺がそっと声をかけると、一言だけ彼は返した。

「やっていくしかないさ」

 リュウという欠けて歪み、一部の人間に負荷を与えるシステムを使い続けるよりも、これを機に一新したほうが良いと、土御門は言った。

「乙別離教は解体だ。誰かが教主の責任を取らねば」

「何を言っているんだ」

 土御門は真剣そのものの表情だが、俺は水を差す。

「乙別離教は、社会維持のために不可欠だろう」

 蛇は、衝撃から回復したメンバーから順に編成を組んで、足早に行動を始めていく。

 先の戦闘の余波の影響を調べ、救助が必要でないか調べるその手際は、島民に心からの安堵を与えている。

「元が何であれ、この数百年、記憶喪失者の島で治安を維持してきた」

 原初の教義書の場所を、尋問する蛇たちを見るに、火山対策を島民に共有されるのは、時間の問題だろう。

「土御門、お前は誇れ。仲間たちのために」

「そうだ。末代の乙別離教徒たちよ。お前たちはよくやった」

 ばっと振り向くと古代の祈祷師が、軽薄そうに手を振っていた。

「初代様」

「やめろ、堅苦しい。祈祷師でいい」

 土御門にうっとおしそうに手を振って、祈祷師は俺の方を向いた。

「俺は言ったな。この島の根本的な原因を解決したなら、帰る方法を教えると」

「ああ」

「向甲島に迎え」

 あっさりと口に出した言葉は、聞きなじみのない島の名前だった。俺はこの異世界に来て初めて、乙別離大島以外の地名を知った。

「天国に向かうのは悪い手ではない。向甲島には、天国に向かう回廊がある。空飛ぶ船を作るより、近道だろう?」

「教えてくれれば、夢のなかで喧嘩せずに済んだんじゃないのか」

「悪いな。乙別離大島のために必死だった。それに、道案内人が犬では信じてもらえないだろう?」

 祈祷師は、向甲島に案内できるのは、自分だけだと言った。

「この島から三十里ほどの距離だぞ。しらみつぶしには遠いだろう」

「東京から静岡までの距離か」

「僕を差し置いて、何を話しているのさぁ!」

 自称天使の科学者の大声に、衆目が集まる。土御門が言動を諫め、椚は挑発をしている。相性の悪い二人を、周囲の人間が止める。

「土御門さん、今は陣頭指揮を。あなたがいなければ、仕事ができません!」

「……俺は必要なのか?」

「当たり前でしょう。何を今さら!」

 俺はこれからのことに頭が痛くなりながら、三原に話しかける。

「三原、俺に言いたいことがあるんじゃないか」

「ないよ」

「おお、そうかよ」

 沈黙。俺はその返答に、三原が隠し事をしていることを確信する。弟も、今の三原がしているような表情をしていた。そう、日記に書いてあった。

「お前も、一緒に天国に行くか?」

 俺が問いかけたとき、三原の表情が目まぐるしく変わった。喜びから逡巡、迷い、深い後悔と悲しみの順番だった。

「一緒に行くぞ」

 俺が二の句を告げさせなかったことで、三原が、最初に出した表情は喜びだった。かすれた声で、彼は言った。

「とりあえず、ご飯でも食べましょうか」


 ※


 豪勢なごちそうが、食卓の上に並んでいる。肉から魚、みずみずしい野菜まで、乙別離大島で見れるすべての料理があった。

 開放された教主の別宅に、今後の相談に集まった地域の住民が料理を持ち寄った時点で、始まるのは話し合いではなく、宴会場のようになるのは、当然のことだった。

 三原はにこにこと、その大騒ぎを眺めている。考え事があるため、目立たない隅を陣取って、密かに刺身に舌鼓を打っていた。醤油とからしをつける食べ方は、乙別離大島で覚えた食べ方だ。

「ここ、いいか」

「ゴン……いや、初代様」

 祈祷師が三原の横に座り、手酌で酒を飲みだす。

「お前が何に悩んでいるのか、俺にはわかるぞ」

「何だと思います?」

「藤原の天国までの道中に、ついていくかどうかだろう」

 無言で杯を傾けあう。先に口を開いたのは、祈祷師の方だった。

「なんでアイツはかたくなに、ここが異世界だと信じているのやら」

「元の世界では流行っていましたからね。そういう小説」

 ふっと笑う二人は、まあ、異世界と言えなくもないか、と言いあう。

「転生とまで言っていて、どうして、自分が死んだから、帰れないと思わないのか」

「乙別離大島は住みやすいですから、何でも叶う気がするんです」

「ちょうど、天国を目指す科学者のようにか」

「ええ。乙別離大島は、無理やり住みやすくした地獄だと知ったら兄さんは死を自覚してしまいます。訂正しないでくださいね」

 三原は、罪悪感の交じった表情をした。

「兄さんは、あのまま振り返らず、帰ってほしいんです。黄泉比良坂のように」

「自身が地獄にいたと知れば、蘇れないからな。逆に知らなければ、蘇りの実例はある」

 祈祷師は気の毒そうな顔で、追加の刺身を差し出した。

「そして、弟は名乗ることもできない」

「私は兄さんと妹が笑えれば、何でもやりますから」

 三原は、じっと楽しげな兄を見つめている。

「それが終わったら、今度こそ、私は成仏できそうな気がします」

 兄の事、帰らせる。そう決意する三原に、祈祷師は呆れたようだった。

「その頑固さ、兄によく似ているぞ」

 三原は、乙別離島に来て初めて、心から嬉しくて笑った。

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兄の俺、帰る。異世界転生先の謎めいた火山島から 小早敷 彰良 @akira_kobayakawa

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