まだまだこれから
義仁雄二
第1話
どれだけ歳をとっても嬉しさは枯れない。心中より湧き出る温かく明るい。まるで春の陽射しが芽吹かすように、皴がより餓鬼のような身体を巡り湿潤する。
子と孫に囲まれて八十八歳の誕生日を祝られている。ただ会えるだけでも幸せなのに、自分の為に集まっていくれているという事実に思わず顔が綻ぶ。感謝の念が自ずと顔を出すが、口にからは出ない。この年になると人に感謝を伝えることが難しい。頑固にもなった気がしている。ばあさんが生きていた頃はそうでもなかったか。毎日一人で過ごすと、言葉が重くなる。
あと何回誕生日がきて感謝を伝える機会が回ってくるのかも分からない。どうにかして伝える方法はないものかと思案する。手紙で伝えるのは気恥ずかしい。遺言に書くのは違ている気がする。
悶々としていると「一緒に住もうや」と息子が切り出した。
介護という言葉が脳裏を過る。確かに視力は悪化し、腰と膝は痛み、物忘れも酷くなったため家事をすることだけでも一苦労だ。
それ故息子の提案は大変ありがたい。家事をしなくてよくなるだけでも助かるのだから。
しかし、家事をしなくなって何をしろと言うのか。この年になるとできる趣味などたかが知れている。毎日の家事が暇な時間を潰してくれていたのも確かだった。
なにより息子夫婦に迷惑をかけたくない。
介護疲れで夫婦の中を悪くしたくない。介護が苦痛で自殺した人の話も聞いたことがある。こういう話を聞くと早く死んだ方がいいのではないかと考えられずにはいられない。
「大丈夫や。まだ一人でできる」
「ほんまか?」
「ああ。意外に家事が楽しいねん」
だからそう嘯く。
楽しくはないが、無性に長く感じる時間が短くなる。しなければいけないことがあるのは気がまぎれるのがありがたかった。
「それにもう十分生きた。死ぬと時はころっといくは」
冗談めかして言った。
だがもし長生きするのならお金はあるのだから老人ホームや、介護ロボットを買う方がいいのだろう。
「地獄に行くんにはまだ早いやろ、父さん」
「タイムカプセルをやりましょうよ」
唐突に息子の嫁が言う。
「きっと目標とか未練とかそんなのあれば長生できますよ」
「それはおもろいな。父さん、やろうや」
この年になって未来の自分を想像するなんて考え付きもしなかった。自分はどんな風に老け込んでいるのだろう。何かやっているだろうか。未来に向けた手紙を読むまで生きて行けるだろうかと妄想する。妄想できるのは若者の特権だとばかり思っていたが、そうでもないのかもしれない。
なるほどちょっと面白いかもしれないと思ってしまった。
「……じゃあやってみるか」
息子夫婦が嬉しそうに頷いた。
「さしあたって何年後にするか……」
老人に未来は少ない。子供なら十年後二十年後でもいいのだろうが、明日をも知れぬ身なれば無難に一年後か二年後ではなだろうか。それとも挑戦して五年後だろうか。そして未来の自分に何を伝えようか。
息子と一緒に頭を捻っていると、その嫁が言った。
「じゃあ取り敢えず百年後で」
「長いわ!」
「どんだけ生かそうとすんねん!鬼か!」
息子と一緒に思わずツッコんでしまった。
久しぶりに腹から声を出した。
まだまだこれから 義仁雄二 @04jaw8
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