梅の花と五十年

千賀春里

第1話

 雪国の冬は長い。

 他県では桜の開花を知らせるニュースが次々と放送されるというのに、こちらではようやく梅の花が見頃になったばかりだ。


「有馬さん、今年も綺麗に咲きましたよ」


 そう言って静江は縁側に座り、零れそうなほどの白い花をつけた梅の木を眺めながら写真立てを隣に置いた。

 写真に写るのは三十八歳でなくなった夫の有馬と若き日の静江だ。

 この庭の梅の木の前であの日の二人は幸せに満ちている。

 

「そろそろ貴方の所に行きたいのだけど、なかなか神様からお許しがでないのよ」


 静江は今日で八十八歳の誕生日を迎える。

 有馬を亡くして迎える五十回目の誕生日だ。

 一人息子も結婚して、孫の顔を見ることが出来て、その孫も成人して社会人になり、花嫁姿を見ることが出来た。


「私だけ幸せを満喫してしまったわね」 


 誕生日、年末年始、お盆、入学式や卒業式、祝い事があればいつもこの梅の木の前で写真を撮るのが代々続く我が家のルールだ。

 有馬がいなくなってからも写真の数は増えていった。

 そして今日の静江の誕生日でも恒例の写真撮影は行われた。


「でも私にちゃんちゃんこは似合わないっていわれてしまったわ」


 そう言ってくれたのは息子の嫁である。

 ちゃんちゃんこの代わりに、綺麗な着物を引っ張り出して、イマドキの化粧をしてくれた。仕上がりには静江も満足である。


「なかなか美人に撮ってもらったの。後で見せてあげるわね」


 ふふっと写真の中の有馬に静江は少女のように微笑みかけた。

 一緒に過ごせたのは二十年とあまりにも短い。

 しかし、共に歩めた時間は未だに色あせることなく静江の胸に残っている。

 けれども寂しくなかった訳ではない。


「米寿のお誕生日まで一緒にいようと言ってくれたのに詐欺にあったわ」


 死ぬまで一緒だ、米寿の誕生日は盛大に祝おう、そう言ってくれたのに有馬は三十八歳という若さでこの世を去ってしまった。


「この際ですから言わせてもらいますけど、私、とってもモテモテでしたのよ。銀行の頭取、社長令息、政府の役人に、色んな方から縁談を山程頂いていましたのに」

 

 静江の祖父はこの辺り一帯の大地主で不動産業や株で財を成した。娘の静江はお金持ちの名家の子息などの経済的につり合いの取れる家に嫁に行かせると息巻いていた。

 

「交番勤務のお巡りだなんて、お父様もおじい様もカンカンで……。何度も説得してやっと一緒になれたのに」


 沢山の縁談を蹴って選んだのはずっと憧れていた交番に勤務する有馬だった。

  


 しかし、薄給な警察官に娘を幸せにできる訳がないと断固反対する父と祖父を説得するのは骨が折れた。

 有馬は何度も何度も玄関先で父と祖父に頭を下げ続けた。

 仕事が休みで父と祖父が家にいる日は必ず来て頭を下げ、静江も隣で一緒に頭を下げた。

 こんなに自分の為に必死になる有馬と以外に結婚はかんがえられなかったからだ。

 一番先に折れたのは母である。父と祖父のいうことには従う母だが、この時はとても心強かった。

 静江の幸せを願ってはやれないのですか、その母の一言はかなり効果があった。

 母の説得もあり、有馬の熱意はようやく伝わって頑固親父二人に認めてもらえたのだ。


「子供達も手が離れてようやく二人の時間がとれると思っていた矢先に逝ってしまうなんて残酷だわ」


 横断歩道を渡っていた妊婦目がけて突っ込んで来た車から妊婦を庇って跳ねられてしまったのだ。


「人を助けて死ぬなんて、本当にご立派ですこと」


 五十年来の恨み言が止まらない。

 しかし、静江に怒りの色はない。


「未練のある場所に幽霊が出るって聞きますけど、何枚撮ったって写らないじゃないですか。私を残しておいて、未練がないと言うのかしら?」


 静江は唇を尖らせて写真の中の有馬に言う。

 微笑む有馬が憎たらしいと思った。


「もうそろそろ貴方に会いたいわ。でも貴方は若いままなのに私はこんなにシワシワのおばあちゃんになってしまったわ」


 どうせならシワが目立たないうちに逝ければ良かったと思う。

 何度同じことを考えたか分からない。

 しかし、その度に静江を思いとどまらせる嬉しい出来事が起こるのだ。


 けれど、もう充分。


「もう少しで会えますね」

 

 写真の有馬に微笑む。


「おばあちゃん、ただいまー!」


 明るい声が響き渡り、静江はその声に振り返る。


「お帰り。元気だったかしら?」


 去年嫁に行った孫娘が静江の誕生日を祝うためにわざわざ遠くから帰省してくれたのである。


「うん。おばあちゃんも元気そうだね。あ、おじいちゃんもただいま。今日もいい男ね」


 口が上手い孫娘に静江は少しおかしそうに笑う。


「おばあちゃん、あのね、私ね、赤ちゃんができたの!」

「えぇ? 本当に!?」


「そうなの! ひ孫の顔を見るためにも長生きしてね!」


 そう言い残して嫁に呼ばれて孫娘は台所に消えていく。


「貴方の所に行こうとするとこれだもの」


 静江は溜め息をつく。

 しかし溜め息は春の空気に溶けて笑顔へと変わる。


「お土産話を沢山用意していきますから、もう少し待っていて下さいな」


「おばあちゃんー! お寿司届いたから食べよー!」

「はいはい、行きますよ」


 写真を置いて静江は立ち上がり、梅の木に背を向ける。

 

 家族に囲まれて微笑む静江を梅の木の前に立つ有馬が優しく見つめていた。





 

 

 

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