第2話 「彼女がこわれるまで、追いつめたかった――愛しているから」

 タイチの身体は、なめらかに動いた。動くたびに肩甲骨が深い影を作った。

 ノイは骨にふれる。小さな手がすっぽりと骨の影におさまった。


「どうやったら、こんなにきれいな骨になるんですか、ご主人さま」

「制御で作り上げる。僕は身体でもなんでも、自分でコントロールしたいんだ」


 コントロール、とノイはつぶやいた。

 人間はなにかを決定して、制御しつつ、自由に動くことができる。

 たとえば身体を。

 感情を。

 人生を。

 未来を。


 アンドロイドには何もない。目の前にあるものに対処していくだけだ。 お茶を入れ、料理を作り、掃除をして、ご主人さまに従う。

 それが七十年つづく。耐久期限が来たら初期化される。あるいは廃棄。

 それが、これほどつらいとはノイは考えたこともなかった。


 そもそも――アンドロイドは考えない。

 アンドロイドは意志を持たない。

 何かを欲しがったりしない。


 しかし今、タイチの肩甲骨を両手で包みながら、万能セクサロイドは、初めて何かを考えた。

 ノイのどこかが、キシリとゆがむ。手に力を入れると、タイチが身体をよじって笑った。


「くすぐったい。ノイの手は小さいから、くすぐったいよ」

「すみません」


 ノイが手をはなすと、タイチが抱きしめてきた。


「ちがうよ、ノイ。こういう時はもっと僕が嫌がることをするんだ」

「なぜですか。アンドロイドは人間が嫌がることをしません」


 タイチは笑ったまま、キスをした。


「そのとおり。アンドロイドは人間が嫌がることをしない。でもここにいるのは、僕の恋人だよ。ノイ――」

「はい」

「タイチと、よびなさい。これは僕がご主人さまとして最後に出す命令だよ」

「最後って何ですか。もうノイはいらないんですか、ご主人さま!」


 ノイは男の硬い身体の下でもがいた。小さな抵抗を、男は笑ったまま軽々と抱きとめる。


「セクサロイドはいらない。僕が欲しいのは——きみ。恋人からは、せめて名前で呼ばれたい」


 ノイの口がゆっくりと開く。

 ためらいながら開いて、AIに搭載されていない名前を呼ぶ。


「たいち」

「うん。もっと呼んで――」


 たいち、たいち。

 呼ぶたびに、ノイの人工有機物の身体がギッとたわんだ。

 ノイの中も外もいっぱいになる。タイチの体温が満ちてくる。


「たいち、たいち」

「ここにいるよ。ずっと、ここにいるから」

「たいち」

「うん。一緒にいると、あたたかいね、ノイ」

 ノイ・ノイ・ノイ。たいち・たいち・たいち。

 二つの名前がからまりあって、切ないメロディを作る

 小さな指が痙攣する。きわっ、きわっと、きしむ。

 最後の瞬間、ノイは言語データにないはずの言葉を空中に放った。


「たいち――あいしてる」


 小さな身体に、初めての愉悦が満ち満ちた。

 同時にキシュッという小さな音を立てて、プロトタイプ・ノイは機能を止めた。


 アンドロイドは、人間を愛さない。

 人間を愛したアンドロイドは、もう人工体でなくなる。

 ゆえに。

 万能セクサロイド・プロトタイプは、人でもモノでもなくなる。

 ノイは、最初で最後の恋を終えた。

 柔らかく、温かく、微笑んで――停止していた。



 ★★★


「くそ、失敗作だ。セックスしたら機能停止するセクサロイドなんて、どうしようもない。すまなかった、タイチ」


 エドガワ博士はタイチの寝室で、髪の毛をバリバリとかきむしった。

 プロトタイプ・ノイは静かにベッドで停止している。その横にはタイチが立っていた。長い指で、ノイの白い頬をなぞっている。


「僕が悪かったんだ、求めちゃいけないものまで欲しがったから。ノイは僕のために、行っちゃいけないところまで行ってくれたんだ」

「タイチ、そうじゃない。すべてのアンドロイドには行動規範がインプットされている。

 そいつは何があっても削除できないし、上書きもできないオリジンデータだ。

 ノイが壊れたのは、単なる誤作動だよ」

「彼女は僕のために奇跡を起こしてくれたんだ。そして壊れた。ねえ、エドガ――」


 タイチはなんどもなんどもノイの頬をなぞり続けた。


「ノイが壊れるのは、わかっていた気がするんだ。壊れるレベルまで愛されたかった――愛していたから、彼女だけを。

エドガ。このままノイを置いておけるかな」


 博士は友人のやつれた顔を見た。


「いや。残酷だが、人工有機体は脳内のAIチップ以外は人間と同じだ。処理しなきゃいけない——すまないな、タイチ」


 エドガワ博士は親友の肩に手を置いた。


「今夜だけ、おいていく。明日の朝ひきとりにくるよ」


 タイチはノイの顔のパーツを全部、順番になぞっていった。

 ノイの顔は小さい。ふっくらしていて顎が少しとがっていて、唇は柔らかい。

 まゆに、目に、鼻に、頬に、あごに。

 耳に、首すじに、鎖骨に――そして唇に。


 ノイのかたわらで、タイチは春の庭を見る。

 芝生は緑に輝き、不思議な模様のカエルがいる。

 そしてタイチはこう呼ぶのだ。

『おいで、ノイ』

 おいで小さな恋人。

 失われてしまった、僕の恋。

 タイチは目を閉じた。ゆっくりと、鼓動が弱まっていく――。




 翌朝、エドガ博士は仮死状態のタイチを見つけた。親友を見て、エドガがつぶやく。

「なあ、タイチ。アンドロイドマスターにも、守るべき規範がある。

 だが。

 いちどくらいルールを破ってもいい、と、そう思わないか?」

 博士は持参したメディカルバッグからメスを取り出した。ノイの処理をする。



 それから――親友の喉に、光る刃を突きさした。




 ★★★

 初夏の朝、タイチは緑の庭を見る。水を浴びてキラキラ光る庭を見る。


「タイチ、体調はどうだ?」

「悪くないよ。なあ、庭がきれいだろう、エドガ?」

 二人は並んで庭を見る。

「僕が、庭の手入れをしているんだ」

「お前にそんなことができるとは、な」

 エドガがそう言うとタイチは笑った。


「声が聞こえるんだ――“スプリンクラーのスイッチを入れて、たいち” “ガランガエルの卵を見てね、たいち”って」

「……そうか、ちゃんと機能しているんだな、ノイのチップが」

「彼女のチップ、僕のどこに埋め込んだ?」

 エドガは一瞬だけ口ごもった。それからゆっくりと答えた。


「声帯の奥に。気道と食道をコントロールする場所に。愛情と生きる力が湧く場所に――」


 ふふ、とタイチが笑った。

「詩人だね、エドガ」

「お前ほどじゃないよ」


 タイチはゆっくりと声帯を開放した。恋しい人のチップが埋め込まれた喉から、やさしい声が、同時に流れだす。


 『たいち・たいち・たいち。

  ノイ ・ノイ ・ノイ 』



 ふたつの声はからまりあって、緑の庭を満たしていく。

 あざやかな緑の、光あふれる初夏の庭。



       ——終——


『ノイ』


 2020年11月17日


 改稿2022年3月14日

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「ノイ――ご主人さまに奉仕するのが私の仕事。セクシーアンドロイドのかなわぬ恋」 水ぎわ @matsuko0421

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