「ノイ――ご主人さまに奉仕するのが私の仕事。セクシーアンドロイドのかなわぬ恋」

水ぎわ

第1話 「僕が死んだあと、きみは20年も生きるんだ――ほかの男のために」

「庭でお茶を飲もうか」


 ご主人さまが言う。ノイは銀色のトレイを持って、すべるように芝生を歩いた。

 本当は時速130キロで爆走できるが、今は静かに歩く。

 ご主人さまの邪魔にならぬよう。

 小柄な身体にメイドの制服とエプロン。栗色の髪が春の風にほどける。


 主人であるタイチはヒゲをひっぱりながら、庭の椅子をじっと見ていた。

「椅子の上にカエルがいるんだよ、ノイ。去年と同じやつかな。背中の模様に見おぼえがある」

 ノイは答える。

「同じ個体である可能性は87%です。このお屋敷に住んでいるのはガランガエルという種類で、宇宙から来たカエルという伝説があります。寿命は約120年です」

「すごいね。きみもそれくらい生きるかな。次の秋もここにいる?」


 タイチはちょっと色素の薄い目で、ノイを見た。ノイはうなずく。


「重大な故障がなければ、おります。アンドロイドの標準稼働期間は七十年です」


 タイチはため息をついた。

「ヒトの寿命は80年。僕は30歳だから、あと50年で死ぬ。そのあと、きみは20年も生きるんだ――ほかの男のために」

「稼働していれば、そうなります」

「ノイ、お茶を入れて」

「はい」


 ノイは丁寧にお茶を入れて差し出す。タイチはまだカエルを見ている。


「ご主人さま、気に入りませんでしたか?」

「僕、お茶なんか大嫌いなんだ」

「そうでしたか」


 かちっと音がして、ノイのチップにデータが書きこまれる。

“ご主人さまはお茶が嫌い”。

 タイチが続ける。

「僕は本当に好きなのはね、きみだよ、ノイ」


 次のデータが書き込まれる。

“ご主人様は、万能セクサロイドが好き”。

 万能セクサロイド。

 料理や掃除、主人の身の回りの世話、仕事のサポート。ありとあらゆる事を片付け、主人のセクシャルな要求にもすべて従うアンドロイドだ。


 ノイはタイチの友人、エドガワ博士が作りあげた超高性能セクサロイドのプロトタイプだ。

 最初の個体。

 唯一の、個体。



 ★★★

 ノイとタイチは定期的にエドガワ博士のラボに行く。メンテナンスのためだ。

 マシンチェックを終えたノイは、おとなしく部屋のすみで座っている。エドガワ博士はタイチに言った。


「機能上は何の問題もない。そっちの家ではどんな感じだ?」

「よく働いてくれるよ。そうだ、僕、最近よく料理をするんだよ、エドガ」


 エドガワ博士はちょっと不思議そうに言う。


「プロトタイプには調理機能もあるぞ?」

「一緒に料理するんだ。たのしいよ」

「……お前が楽しければいい。しかし、本来の用途では使っていないようだな。

 何が気に入らない? ビジュアルはお前の出した条件どおりだ。

 アジア系美少女、高さ151センチ、重量42キロ。切れ長の目にタヌキ顔を合わせるのはアンドロイドマスターのおれでも至難のわざだった。

 セクサロイドの逸品だ」


 うん、とタイチは超絶どうでもいいという顔つきで答えた。


「外見より、大事なのはノイが何をしゃべるかってことなんだ」

「学習機能つきAIが搭載されている。お前のききたい言葉を返すよ」


 タイチは笑った。


「エドガ、それが問題なんだ。僕が聞きたいのは、学習機能の言葉じゃない。ノイの言葉なんだ」

「これはアンドロイドだ。オリジナルの言葉はない」


 わかってるよ、とタイチは立ち上がった。

「だけどいつか、ノイの言葉が聞けるかもしれない。期待しているんだ」

「デフォルト以上の機能はないぞ、機械なんだ」

「そうだね。しかしこの世には、奇跡というものがあるからね」


 タイチはノイに向かって手を差し出した。

「おいで、ノイ。家に帰るよ。あのカエル、卵を産んだかな」

「はい、ご主人様。ガランガエルは一年に二つの卵を産みます。昨日はまだ、卵は確認できませんでした」

「じゃあ、今日帰ったら生まれているかもね。エドガ、ありがとう」


 タイチはノイの手を握って帰路につく。

 温かくて柔らかい。

 万能セクサロイドはセックスが仕事だ。筐体は人工有機物でできている。

 血が流れている。汗もかく、涙も流す。

 そして主人が愛してやれば。

 甘い蜜もあふれ出す。

 しかしノイは、まだ一度も本来の機能を使用していない。

 タイチの求める言葉が、出てこないから。



 ★★★

 夕暮れの庭にカエルはいなかった。金色のひかりのなか、ただ、緑の芝生が輝いている。

 タイチはぎゅっとノイの手を握った。


「次の秋もここにいる?」

「登録されている所属先はここだけです」

「きみの家は、ここだよ――ノイ、女の子はキスするとき目を閉じるそうだ」


 夕暮れの風が吹き抜けていく。甘い香りがする春の風。ちょっと冷たい、夜を呼ぶ風。

 ノイが尋ねる。

「キスをするんでしょうか、ご主人様」

 タイチは笑った。


「きみが、したければ」

「アンドロイドに“○○したい”という言語はありません。ご主人さまのオーダーに従うのが仕事です」

「質問を変えよう。ノイは、どこにキスされたい?」


 コンマ2秒ほど、万能セクサロイドは黙った。

 

「――額に」

「うん。それから?」

「まゆに、目に、鼻に、頬に、あごに」

 タイチの目は、くっきりと開かれたままノイを見ていた。

「ほかには?」

 ノイは呼吸をした。切れ長の目を伏せてささやく。


「——くちびるに。話したことのない言葉を使っている、唇に」

 やっとタイチが笑った。

「それが聞きたかったんだ――あいしてるよ、ノイ」


 タイチの唇はちょっと冷たくて。

 ノイの口に入ってきた舌は、温かく、柔らかかった。



 この夜の先を、予感させるように――。


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