エルフの場合 ④


「こんばんはミスター。悪いけれど今日はもう店じまいなんだ」

「店じまいだって? ふざけるのはよせ。お告げを聞かなかったのか? ハロウィーンが始まったんだぞ。今こそ役に立たなくてどうするんだ、闇商人。いいから中へ入れろ」


 妖精はなんとも横暴な態度で無理矢理ジャックを押し除けた。細身の割に随分な腕力だ。ついさっきまでジャックのベッドだった居住スペースのソファに腰掛け、カップの破片を拾うウィリアムに「コーヒーを」と注文する。


「……大変申し訳ございませんが、当店はカフェではないので紅茶しかご用意しておりません。それからそこはプライベートな場所ですので、ご依頼でしたら事務所にてお伺いします」

「事務所なんて大仰なものでもないだろう。同じ空間なんだからここでもいい」

「あなたがよくても、こちらはよくないのですよ」

「おいおい、おまえら闇商人は客が第一じゃないのか? 今すぐ魔人に通報してもいいんだぞ」


 ウィリアムの口角がひくつく。ジャックは仕方なくダイニング用の椅子を引っ張ってきて、妖精とウィリアムの間に置いて座った。


「わかった、話を聞くよ。だけど覚えておいて。僕らのことを魔人に通報したら、自動的にきみもお縄だからね」


 魔人はこの国の秩序を守る存在だ。どんな行いも魔人が悪と判断すれば粛清の対象になる。

 そしてこの国ではすでに、誰かを殺める、なにかを盗むなど、他者を著しく害する行為は悪とされている。もちろんそれを幇助する行為も同じだ。ジャックたちの商売は時に悪行のブースターとなりえる。

 つまり魔人からはとっくの昔に目をつけられているわけだけれど、まだ決定的証拠は抑えられていない。なぜなら「不要物を他者に売りつける」「危険物品を購入する」などの行為も悪だからだ。


「きみも他では買えないものを求めにきたんだろう。お互い探られる腹は痛むばかりだ。穏便にいこうよ」


 そう言って事務所のパーテーションを開くと、妖精は不満げな顔のまま立ち上がって移動した。まだ溜飲が下がっていないらしいウィリアムを一瞥し、本日最後の商談に向き直る。ウィリアムが紅茶しかないと言っていたのは嘘なので、おそらくしばらくしたら豆のにおいが漂ってくるだろう。嫌な客にも手は抜かないのが彼のいいところだ。

 改めて妖精を正面から見る。エマと同じ輝かしい金髪。瞳は蒼い。真っ白な肌に小さく尖り気味の耳。間違いなくエルフ族だ。一日のうちで二度もお目にかかれるなんて。


「僕はジャック。ご存知のとおり商人だよ。僕が持っているものならなんだって売るさ。きみはいったいなにが欲しいんだい?」

「……エルフ族のライアンだ。先に訊くが、もしおまえが持っていないものを要求した場合どうなる? 取り寄せてくれるのか?」

「用意することが可能なものであれば、もちろんお取り寄せの注文も承るよ。別料金はいただくけどね。それからこちらも先に言わせてもらうけれど、トロールを殺す武器は用意できない。取り寄せも無理。なにせ絶対に殺せるという確証のある武器がそもそも存在しないからね」

「トロール? なんの話だ」

「いや、違うならいいんだ」


 ライアンは怪訝な顔をしたあと、ウィリアムが運んできたコーヒーに口をつけた。一口飲んで目を丸くする。傍らに無表情で立っていたウィリアムを見て、気まずげな表情で「……美味いな」と呟いた。ウィリアムは満足そうに微笑んでキッチンへ下がっていく。シェフの機嫌が治ったようで安心した。危うく今夜は夕食にありつけないところだった。


「それじゃあ取り寄せてもらいたいものがある」

「いきなりかい。僕の手持ちにあるかもしれないよ」

「いいや、それはない。俺が欲しいのは『夢の粉』だからな」


 ジャックは驚いてライアンを見た。


「『夢の粉』だって? それは自分で用意したほうが早いんじゃないのかい?」


 夢の粉。それは名前のとおり夢を見させる粉だ。

 その粉末をひと匙吸い込めば、瞬く間に夢の世界へと誘われる。眠っているわけではない。ただこの世の極楽とも呼べる空間に脳だけが連れていかれる。通常の魔力による操作では味わえない絶大な開放感。それはいわば酩酊状態に近い。

『夢の粉』はエルフ族にしか作れないと言われている。なぜ自分に依頼するのか解せないと言うと、ライアンは苦い顔をした。


「それができればこんなところに来ていない」

「こんなところとは心外だけれど、なにか事情がありそうだね。うちは良心的な商売だから、相談は無料だよ」


 ジャックに促され、ライアンは重い口を開いた。


「『夢の粉』には質の違いがある。丁寧に作ったものと雑に量産されたものでは、見せる夢の精度がまったく違う。俺は百年もかけてたったひと瓶ぶんの粉を作り上げた。つい先日完成したそれは、まさしく最高級だ。他のどの粉も勝てないと自負している」

「それはすごい。市場に出回っているのは、数ヶ月熟成された粉がせいぜいだろう。百年もの年月をかけて作られた『夢の粉』……疲弊した国民たちは喉から手が出るほど欲しいだろうね」

「俺が手間暇をかけたのは国民のためじゃない。いつか必ず来ると信じていたチャンスのためだ」

「チャンス?」


 訊き返すと、ライアンは力強く頷いた。


「それがまさに今日到来した」


 なるほど、と今度はジャックが頷いた。つまりライアンはハロウィーンのために最高の『夢の粉』を作ったのだ。


 ──いつくるか、そもそもくるかもわからないチャンスのために百年……正気の沙汰じゃないな。


 ジャックは本音を押し隠し、ふたたび「すごいね」と感嘆した。ジャックの引き出しの中にはそれ以外に彼を褒める言葉がなかった。白々しさを見透かしたように、ライアンはじろりとジャックを睨めつける。


「ついにきたんだ。ハロウィーンのお告げを、俺はずっと待ってた。なのに──」


 ライアンは声を詰まらせて俯く。ちょうどそのとき、窓の外で鐘が鳴った。時刻は午後八時。いつもならウィリアムのご馳走にありついているところだけれど、今日はまだお預けだ。せめて明日にしてくれたらこんなに空腹を堪えなくて済んだのに、とぼんやり考えた。


 しかしライアンとの邂逅が後々運命を大きく変えることを、このときのジャックは露ほども知らない。


「……なくしたんだ」

「え?」


 項垂れたライアンは、泣きそうな声を出した。


「よりによって今日だ。完成したばかりの粉は、誰かに盗まれたらいけないと思って常に肌身離さず持ってた。それをよりによって今日、どこかに落としてきちまった」


 ──それはまあ、なんとも……。


「間抜けだろう。笑いたかったら笑えよ。馬鹿にされても構いやしない」

「かわいそうだとは思うけれど、笑ったりしないよ。大切なものをなくす気持ちは痛いほどわかるからね」


 そう言うと、ライアンは意外そうな顔をした。


「とにかく、話はだいたい理解したよ。きみは僕に『きみが作った夢の粉』を要求している。そうだろう?」

「そうだ。取り寄せが可能なら、無理な話じゃないだろう」

「取り寄せとはまた話が別だと思うけれど、確かに無理ではないよ」


 本来であれば専門外の依頼だけれど、ライアンの真剣な瞳に気圧された。それになくしものを探すことには慣れている。ジャックはちらりとダイニングへ目を向け、ウィリアムから反対されていないことを確認して頷いた。


「ライアン。きみの依頼を、僕たちは受けることができる。だけど同時に断る自由もある。僕の言いたいことがわかるかい」

「周りくどい言い方するな、外道が。わかってる。報酬だろう。これくらいの準備はしてある」


 ライアンはエマと同じように紙コースターの裏に金額を提示した。ジャックは口元が緩みかけるのをなんとか堪え、首を横に振る。


「僕の倉庫から持ち出せばいい通常の依頼とは違うんだ。落とした場所の調査、そこまでの出張。その間に考えられるアクシデントも想定して、これくらいは用意してもらわないと」

「な……! おまえ、これじゃあ俺が提示した金の倍じゃないか!」

「無理ならいいんだ。他を当たってくれ。だけどきみはこの問題をとにかく早く解決したいんだろう? なにせお告げを聞いて真っ先にここへ飛んできたくらいなんだから。そんなに切迫した状況で、僕ら以外の誰かがきみの依頼を受けられるとは思えないけれどね」

「……この極悪人が……」


 なんとでも言いなさいな、とジャックはライアンに微笑みを向けた。おそらくライアンの『夢の粉』はひと目見ただけでそれとわかる代物なのだろう。もし他の誰かの手に渡ったら、もう二度とライアンの元には帰ってこない。そうなればニンゲンに献上できない。神になる野望は潰える。

 しばらく唸りながらジャックを睨み続けたライアンは、やがて諦めたようにため息をついた。目を伏せ、小さな声で「わかった」と了承する。


 これが成功したら、防音カプセル三ヶ月ぶんがまとめ買いできる。ジャックはついに思う存分口角を釣り上げた。パーテーションの向こう側からは困惑のオーラが見て取れたけれど、たまには違う趣向の仕事をやってみてもいいだろう。ちょうど最近、少しばかりマンネリしてきたところだった。


「それじゃあ、商談成立だ」


 ジャックがライアンに握手を求めると、彼は心底疲れ果てた様子で応じた。

 帰る間際にはカップに残っていたコーヒーを一気に飲み干し、ウィリアムに向けて礼を告げていた。ジャックには鋭い視線を残しただけだった。取引相手とは信頼関係が最も大切。今日の一端を担ってくれたのは、ウィリアムの絶品コーヒーかもしれない。


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ジャック・オー・ランタンは祈らない 衣川自由 @ziyuuhamudai

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