エルフの場合 ③


 あんまり大きな音なものだから、アパート自体が揺れてミシミシと唸る。ウィリアムが窓辺へ駆け寄った。ジャックもあとに続き、何事かと窓の外を覗き込む。すぐそこを行き交っていた魔女たちが箒からずり落ちそうになっていた。地上では小人や動物たちが音の方向を一斉に見上げている。


 サイレンは街の真ん中にある灯台から響いていた。この国で最も有名な建物だ。

 灯台の火は千年燃え続けている。雨が降ろうと嵐が来ようと決して消えない。粛々と灯り続ける炎を、この国の住民は『神さまのいのち』と呼んでいた。


 その炎に今、変化が起きている。

 ゆらゆらと揺れながら縦に引き伸ばされたかと思うと、下のほうが二つに割れ、上のほうは丸い球のように形を変えた。まるで魔女や魔法使いたちと同じ姿形だ。しかしジャックはそれが魔女や魔法使いを象ったものではないとすぐに気づいた。いや、今この現象を目にしている者すべてが知っていた。


 あの炎は『神さまのいのち』だ。あれは神さまの形なのだ。


「──ニンゲンさま」


 誰かが呟いた。すると瞬く間に、皆が口々にそれを囁く。


「ニンゲンさまだ」

「ニンゲンさまが降臨なさった!」

「おい嘘だろ、何年ぶりだ?」


 感動の叫びがあちこちから聞こえてくる。ウィリアムがぼそりと「六百年だな」と呟いた。


「うーん、ニンゲンさまが出てきたってことは……」

「十中八九だろうな」

だろうね」


 ジャックとウィリアムは頷きあって、部屋の中へと戻った。居住スペースのほうのソファに腰を下ろし、エマが食べなかった茶菓子をつまむ。

 外はいまだ騒々しい。サイレンは鳴り止んだけれど、興奮した国民たちがお祭り騒ぎだ。六百年前にも見た光景だろうに、なにがそんなに感動的なのだろう。ジャックが解せないねと言うと、ウィリアムは辟易したように同意した。


 そんないつもと変わらない日常風景が流れる四◯四号室にも、神さまのお告げは届いた。


「人ナラザル者タチ ニンゲンニナリタケレバ 『美』ヲ献上セヨ」


 窓を閉め切っていても聞こえてくるほどの大きな機械音。頭が痛くなりそうだ。思わず顔を顰めると、ウィリアムも同じ表情をしていた。


「あーあ、始まっちゃうのかあ……『ハロウィーン』が」


 ハロウィーン──それは神に憧れた愚者たちの祭り。

 名もないこの国にはニンゲンと呼ばれる神がいる。ニンゲンは豊かで、平和で、幸福に満ちた世界にいるらしい。


 六百年前、今日と同じように『神さまのいのち』が形を変えた。そしてやっぱり同じように告げたのだ。「ニンゲンになりたければ『美』を献上せよ」と。

 彼らの世界に悪や醜といった概念はない。だからもしニンゲンになりたいのなら、神々が納得できるほどの『美』を持っていないといけない。美とはなにか。この国で最も美しいものとはなにか。その答えは個々の感じ方によって違うだろうが、神という絶対的存在に認められれば、それは絶対的正解なのだ。そして見事正解した暁には、絶対的存在になることができる。


 と、そんなややこしいうんちくを鵜呑みにした国民たちは六百年前、こぞって自慢の『美』を炎へ献上した。驚くことに「神になりたい」なんて野望をほぼ全種族が抱いていたのだ。美しいドレス、美しい宝石、美しい歌声──


「前回はサンタクロースだったよな」

「そうそう。サンタクロース族の長が献上した『美』が神に認められて、種族の全員がニンゲンの世界に旅立っていったってわけ」

「あれって結局なにを献上したんだ?」

「さあ。僕も知らない。もっと言えば、この国から消えちゃったサンタクロースたちが今どこでなにをしているのかも知らない」


 ニンゲンの世界がどこにあるのか、誰も知らない。だけど数百人いたサンタクロースたちが一夜で皆いなくなったのだから、どこかにはあるのだろう。そこで元気に神さまをやっているのかはわからないけれど。


 紅茶で唇を湿らせ、窓の外を見る。炎は元の形に戻ったらしい。街は夜の色を取り戻していた。しかし喧騒は止まない。あちこちで火の玉や光の輪が浮かび上がり、暗い空を彩っていた。

 面倒なことになった。ハロウィーンの期間はお告げがあった夜から十月三十一日の夜まで。これから三ヶ月近く、ほぼ毎日がこの騒ぎだ。これじゃあおちおち眠れやしない。


「ウィル、防音カプセル買わない? 窓辺に置いておくだけで一週間効くらしいよ」

「気持ちはわかるがあれは高い。毎週買い換えるなんて、うちの財政じゃとても無理だ」

「さっきの依頼、やっぱり受けておけばよかったなぁ」

「馬鹿言うな。どんな状況でもルールは守れ。それに心配しなくても、明日からは十分忙しくなる」


 それもそうだろう。なにせハロウィーンの火蓋が切って落とされたのだ。今この瞬間からも、国民のほとんどが『美しいもの』を探しているはずだ。探しものならば闇商人の出番である。

 明日からの忙しさを想像するとうんざりした。ジャックはハロウィーンに参加するつもりは毛頭ない。そもそも神に興味がない。金と紅茶とウィリアムがいればジャックの生活は十分に満ち足りる。そこに女性も追加されたらもう完璧だ。神以上に幸福な自信がある。


 冷たくなった紅茶を一滴残らず飲み干し、ソファに横たわった。片付けくらいしろと小言が飛んできたが寝たふりをしてやり過ごす。もう一時間以上経ったし、魔力で片付けてもらいたいところだ。


 落ちてくる睡魔を気持ちよく受け入れ、夢の世界へ足を突っ込む。数歩進んだところで、爆音に叩き起こされた。まさになにかが爆発したかのような大きな音だったけれど、どうやらドアノッカーが叩かれているようだ。衝撃でドアが激しく震えている。キッチンでカップを洗っていたウィリアムは驚いて手を滑らし、ジャックお気に入りのカップが無残に割れてしまった。


「あーっ! 僕のカップ……」

「わ、悪い。驚いて」

「もう、なんなんだよ。誰だよ。それが人の家を訪ねる態度か?」


 憤慨しながら玄関を開けると、今度は短い金髪の見目麗しい妖精がいた。


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