エルフの場合 ②



「こんばんは。少し早くに着いてしまったのだけど、もうよろしいかしら」

「もちろん。こちらへどうぞ」


 依頼人が美しい女性だったことでジャックの気分はガラリと変わった。彼女をソファに通し、自分は向かい側のソファに座る。テーブルの上の茶菓子を勧めると、彼女はにこりと笑った。


「ありがとう。素敵な事務所ね」

「清潔感には気を使っていまして」


 ジャックがそう言うと、パーテーションの向こうから不満のオーラが伝わってきた。もちろん事務所の掃除をしているのはウィリアムである。


「わたしはエマ。エルフ族よ」

「はじめまして、ジャックです。妖精が美しいことは承知でしたが、あなたはもはや女神の域だ。僕がエルフだったら一目で求婚したな」

「あら、エルフは族外婚姻も可能よ」

「そうなんですか。それならぜひ一度食事にでも……」


 いつもの調子で誘いかけたところで、不満オーラが怒りのオーラに変わっていることに気づいた。まったくウィリアムの堅物にも困ったものだ。

 ごほんと咳払いし、会話を軌道修正する。


「それで、本日はどのような品をお求めでしょうか」


 ジャックの質問に、エマは困ったような顔をした。


 この四◯四号室で事務所を構えるジャックたちの生業──闇商人。

 客が要らないものを買い取り、客が求めるものを売る。そこに善悪の観念はない。


 誰かにとっての不要は、誰かにとっての必要になりえる。ジャックは世界中のあらゆるガラクタを口八丁で安く買い取り、それを欲しがる誰かに法外な価格で高く売りつける、いわば悪徳商人だった。


「品と言われると少し困ったわ。わたしは自分が欲しいものの確かな名称を知らないのよ」

「ではどんな用途かお訊きしても? こちらから具体的に提案できるかもしれません」

「ええ、そうね……その、つまり、えっと」


 急に口籠るエマに嫌な予感がした。話がうまく進まない商談はだいたい厄介なのだ。

 目を泳がせたエマは、やがて意を決したように拳を握った。


「トロールを殺したいの。そのための武器が欲しいわ」


 ──あー、やっぱり。


 内心で困った。もちろん顔には出さない。

 エルフ族とトロール族が長年揉めているのは有名な話だ。同じ妖精でも、この二種族は性格や生活観念がまったく違う。隣同士の村で暮らしているけれど、その関係はもう何百年も険悪なままらしい。そういえば戦争をしていた時期もあった。街からはだいぶ離れた小さな村の諍いなのであまり大事にはならなかったものの、百年も続けばさすがにこちらも黙っていられない。魔女や魔法使いなどの他種族が間に入ってようやく収束したのだ。


 じっと見つめてくるエマに視線を返し、どうしようかと悩んだ。別に殺生を止めたいなんて綺麗事を考えているわけではない。ただ現実問題で、トロールを殺せるほどの武器が手元になかった。

 トロールは強い。腕っぷしや戦略がどうではなく、生命力が強いのだ。顔が潰れるほど殴っても、死の呪文をかけても、身体にダメージは負ってもなかなか死なない。単純に頑丈なのだろう。そんな彼らを殺せる武器となるとかなり限定される。


 あれこれと考えるが、ないものはない。大砲ならあるけれど、これで確実にトロールを殺せるという確信はない。胸を張って保証できないものを売るのは信条に反する。ジャックは法外な値段で品を売るだけで、品自体を偽ることはしなかった。そこを踏み外せば商売人ではなくなってしまう。それではただの詐欺師だ。


「ごめんなさい。今の僕たちでは用意できそうにありません」


 正直に頭を下げた。エマは残念そうな顔をする。


「いいの、仕方ないわ。あいつらって本当にゴキブリ並みのバイタリティがあるから」


 綺麗な顔に不似合いな毒のある言い方をして、エマは紅茶を飲んだ。ジャックもカップを持ち上げる。ダージリンの香ばしいにおいがふわりと漂った。


「あなたに尋ねるのは失礼かもしれないけれど、ここの他に武器を売ってくれるようなところを知らないかしら?」

「一番街に出れば武器商店があります。だけどトロールを殺せるほど強力なものは、どこも置いていないんじゃないかな……」

「そう……お金ならあるのだけど」


 エマの呟きを拾った脳が勝手に反応し、カップを唇へ寄せる手が止まった。


 ──お金。金。金ならある。家計は火の車。


「ちなみに予算はおいくらでしたか?」

「そうね、これくらいは出すつもりだったわ」


 そう言って紙製コースターの裏に書かれた数字は、目が飛び出るような高額だった。こうなると一気に残念感が強くなる。年に一回あるかないかくらいのレア案件に、信条がポッキリ折れそうになった。あの大砲を売りつければ一年は働かなくていい。

 むくむくと顔を出しかけた悪心を吐き出そうとしたとき、ふいにパーテーションが動いた。エマが驚いたように振り返る。


「いらっしゃいませ。ご挨拶が遅れて申し訳ありません。ジャックの助手のウィリアムと申します」


 すっかり顔色の治ったウィリアムが余所向きの微笑みを浮かべた。普段はしかめ面ばかりなのに、こうして柔らかい表情を作ると優しそうに見えるのだから不思議だ。もっともこんなことを考えていると知られれば、俺はいつも優しいだろうと睨まれるのがオチだけれど。

 ウィリアムは膝をついてエマと目線を合わせた。申し訳なさそうに眉を八の字にする。


「力不足で本当に申し訳ありませんが、わたくしどもではエマさまのご希望に添うことが難しそうです。お客さまに必ずご満足いただける自信のあるものしかお売りしない規則でして……」

「いいのよ、気にしないで。もしまたなにかあったら相談させてもらうわね」

「恐縮です。ぜひご贔屓に」


 エマは明らかに気落ちした様子だったが、大人の対応よろしく立つ鳥跡を濁さず帰っていった。彼女がいなくなった途端、ウィリアムは持ち上げていた口端から力を抜く。ぎゅっと眉根を寄せ、深く長いため息を吐いた。


「ジャック……おまえってやつは……」

「なんだいウィル。僕はちゃんと断ったじゃないか」

「報酬額を知って受けようとしただろ。おまえの悪巧みはパーテーション越しでもわかるんだよ」

「だってきみが言ったんじゃないか。うちの財布は火の車だって」


 そりゃそうだけど、とウィリアムは苦虫を潰したような顔をする。


「だからって信条を破るのは許されない。あそこで下手な商品を彼女に売りつけていたら、おまえは嘘をついたことになるんだぞ」

「嘘にはならないよ。大砲ではトロールが殺せないと誰に証明されたわけでもない」

「屁理屈言うな。わかってんのか、おまえは嘘をついたら──」


 瞬間、ウィリアムの声を遮るようにけたたましいサイレンの音が鳴った。


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