妖精王の料理人をスカウトします!

江田 吏来

おアジはいかが?

 クラムハガクの森は、迷いの森。

 豊かな恵みを求めて、うっかり足を踏み入れてしまったら最期。うっそうと生い茂る木々が完全に道を塞いで、いたずら好きの妖精ピクシーたちになぶり殺される。

 人はクラムハガクの森を恐れて暮らしてきたが、例外もいた。


「くそったれぇーッ!」


 甲高い叫び声がクラムハガクの森に響くと、小鳥たちが一斉に羽ばたいた。


「あたしはリィーバ。森の恵みを盗みにきたんじゃない。森の外から珍しい食材を持ってきた。妖精王の料理人に調理をお願いしたい。ただそれだけだ。うまい飯が食いたいのなら、邪魔をするなッ!」


 声を荒げても返事はない。ザワザワと騒ぐ木の隙間から、妖精たちの笑い声がかすかに響くだけ。リィーバはチッ、と舌打ちをして磁石を取り出した。


「そろそろ目的地に到着するはずなのに……」


 方向を探りたいのに磁石の針はグルグルと回り続けている。空を仰いでもあいにくの曇天で、太陽の位置さえわからなかった。


「妖精に嫌われたか」


 妖精だらけのクラムハガクの森で、妖精に嫌われるということは死を意味している。冷たい汗が背中を伝うと、湿気たっぷりの不快な空気が重くのしかかってきた。

 一歩進んだだけでやたらと汗が噴き出してくるから、リィーバは頭からすっぽりとかぶったフードを脱いだ。

 まだ幼さが残る十四歳の顔に、赤い髪がべっとり張りついて不快だった。清らかな泉で汗を流したくても、腐臭を放つ泥沼しか見えてこない。


くさッ。クラムハガクの森は妖精の楽園のはずなのに。うへぇ、吐きそう」

 

 立ち止まると急に周囲の木々が葉を落として、痩せ細っていく。同時に人肉を好む黒鳥くろどりたちがカア、カアと鳴きながら、空を黒く染めていく。


「まずいな、いまにも襲ってきそうだな」


 身の危険を感じて逃げ出しそうになったが、リィーバは肩掛けの麻袋を地面に置いてぐっとこらえた。


「どうせこれは妖精お得意の幻だよね。あたしを森から追い出すつもりだろうけど、そうはいかないよ。妖精王の料理人に会うまで居座ってやる」


 妖精王の料理人は、この世界の人間ではなく異世界からやってきたらしい。

 ふしぎな能力を持った男で、恐ろしい魔物も厄介な害虫もうまい料理にすることができるから、妖精王のお気に入りだとか。

 その話を耳にしたリィーバは、港町である賭けをした。

 漁師を困らせる存在をうまい料理にかえれば、金貨二十枚をもらう。できなければ、冒険者登録の抹消。体を売って生きていけ、ということだ。


「こっちにも生活がかかってるからね、ゆずれないんだよ。妖精たちの弱点も調査済みだし、いますぐ妖精王の料理人をおびき出してやる」


 いたずらを思いついた少年のようにニシシと笑って、リィーバは麻袋の中からブリキの缶を取り出した。

 パカッと勢いよくふたを開けると、数十匹の芋虫がウネウネと太い体をくねらせていた。

 これは森の木々を食い荒らす、ジアーボゥの幼虫。森に住む妖精たちの天敵だが、冒険者にとっては栄養満点のご馳走だった。

 リーバはふんっと鼻をならして仁王立ちになり、きのいい一匹をつまみあげた。すると森がザワザワと騒ぎはじめる。


「安心しな、こいつを森に放すつもりはない。でもね」

 

 ジアーボゥの幼虫は、ほのかに甘い香りがする。疲れた体にはたまらない香りだった。鋭利なくちばしがついた頭を引きちぎってがぶりと食いついた。


「ひいぃぃぃぃっ」


 どこからか悲鳴が聞こえてくると、木々の隙間から淡い光の玉が散り散りばらばらになって消えていく。

 異臭を放つ泥沼は磨かれた鏡のように輝き、人肉を好む黒鳥たちの姿も見えない。


「けっ、やっぱり幻か。あたしはこれでもベテランの冒険者だ。簡単にだませると思うなよ」


 強気な発言をしても、指先は震えていた。

 体力はごっそりと奪われて、めまいもする。一時的に妖精を退けても、また幻につかまれば今度こそ死ぬ。

 いまのうちに撤退するか悩んだが、


「まずは腹ごしらえだな」


 ジアーボゥの幼虫をもう一匹、取り出した。

 茶色の頭を引きちぎり、口を大きく開けて食べようとしたとき、人の気配を感じた。


「そこのお嬢さん、すまないがジアーボゥの幼虫をしまってくれ。妖精たちが怖がっている」

「ん?」


 見慣れない上着とズボンを身につけた青年が立っていた。

 顔立ちは悪くないが、中肉中背で平凡な黒髪に黒い目をしている。


「もしかして、おまえが妖精王の料理人か?」

「え? どうしてそれを?」


 青年はふしぎそうに首を傾げるから、リィーバは噴き出して笑った。


「ここはクラムハガクの森だぞ。荷物をひとつも持たないで歩く人間なんて聞いたことがない」


 ああ、そうか。と、間抜けな返事をするからリィーバはブリキの缶を突きつけた。


「おまえもひとつ、食うか? ほどよい弾力と濃厚でクリーミーな味がする。栄養満点だぞ」

「無理、無理、無理。そいつはどう見てもカブトムシの幼虫だ。そのまま食えるわけないだろ」

「カブトムシ? なんだそれは」

「俺がいた世界で、不気味な艶を浮かべた生き物だ。夏休みによくつかまえたけど、食うもんじゃない」

「うまいのに?」

「確かに味はいいが、せめて火を通せ。塩をふって串焼きにすれば、雑菌も死滅するから」


 ブリキの缶を取りあげられた。


「ひぃ、ふぅ、みぃ……ずいぶんたくさんいるな」

「妖精に襲われたらぶん投げようと思って、ね」

「これだけあれば、すりつぶしてクリームソースになりそうだ。いや、まてよ。ジアーボゥの幼虫はふにふにしてやわらかいのに、ブチッと簡単に噛み切れない。思いのほか弾力があるから、すりつぶしてもトロトロにはならないか」

「トロトロにしたいなら、ミノタウロスの乳があるぞ。金貨三枚でゆずってやる」


 三本の指を立てると青年はじっとリィーバを見つめた。


「商人がこの森になんの用だ?」

「あたしは商人じゃない。冒険者のリィーバだ。妖精王の料理人に頼みがあって、ここへきた」

「俺に?」

「そんなことより、ミノタウロスの乳だ。買うのか、買わないのか」

「んー、乳があれば材料をそろえて、うまみたっぷりの濃いクリームソースが完成する。【ジアーボゥのクリームソースパスタ】が作れそうだが、この世界にパスタマシンはあるか?」

「なんだそれは?」

「やっぱりないか。それなら買わない。で、頼みっていうのは?」

「聞いてくれるのか?」

「命がけでここにきたんだろ? 俺にできることなら協力する」

「おまえ、いいやつだな」


 リィーバは褒めたのに、青年はムッと顔を曇らせた。


「おまえっていうな。俺の名はタスクだ」

「おっと失礼。あたしはリィーバ。困っている人々を助ける、冒険者だ。こいつを調理して、食えるようにしてほしい」


 麻袋の中から、黄ばんだ布でグルグル巻きになった塊を取り出して、両手で抱えた。


「いまはこの布で仮死状態にしているが、こいつは船底にかみつく魚だ。鋭い歯で船に穴を開けるから、漁師が何人も海に落ちている。焼いても臭いし、すりつぶしても食えたもんじゃない」

「へえー、海魚か。森には川魚しかいないから、楽しみだな。ついてこい」


 リィーバは頷いて、タスクの後ろを歩いた。

 先程と違って、森の中は穏やかでやわらかい光に包まれている。小鳥のさえずりが疲れた体を癒やして、華やかな彩りの花が心地良い風にゆられると、甘い蜜の香りを運んでくる。


「さっき、あたしはここで殺されかけたのに、ずいぶんと違う景色だね」

「ほとんどの妖精たちは、この森から出られない。退屈だから、つい遊びたくなるんだ」

「あの幻が遊びなのか。悪趣味だね」

「ついたぞ。魚をテーブルの上に置いてくれ」


 タスクは丸太小屋のドアを開けた。

 中は小綺麗で、真新しい木の香りに満ちていたがリィーバは目を丸くする。


「タスクは妖精王のお気に入りだろ? 妖精王は立派な宮殿にいるはずだが、ここで暮らしているのか」

「俺は人間だからな。ほら、魚を早く」

「あ、うん。でもこいつは木を食うぞ」


 右を見ても、左を見ても木材に囲まれている。

 魚は両手で抱えるほどの大きさだが、凶悪で凶暴だから布をほどけばすぐさま木にかじりつきそうだった。


「大丈夫。魚が臭いのはきっと鮮度と下処理の問題だ。こいつはまだ死んでいないから、一瞬で終わらせてやる」

「この家が食い尽くされても知らないよ」


 魚をテーブルの上に置いて、黄ばんだ布を外していく。

 最期のひと巻きが魚から離れると、うつろな目が瞬時に光を取り戻して大きく跳ねた。

 魚の目には激しい怒りの色が浮かび、鋭い牙が並ぶ歯をむき出しにして威嚇してきた。

 リィーバはうわぁっと声をあげてのけぞったのに、タスクは違う。

 待ってましたといわんばかりの面持ちで、手にしたナイフを光らせた。

 あとはもう、一瞬だった。


 いつの間にか激しく暴れる魚の脳天にナイフが突き刺さり、グルグル回すと動かなくなった。

 それからえらの辺りを切って、尾っぽにも切り込みを入れる。

 魚からは大量の血が流れて、むせかえるような生臭さが鼻をえぐってきた。

 腐臭を放つ泥沼の臭さには耐えてのに、血のにおいはダメだった。


 リィーバは鼻と口を押さえて、外へ逃げ出していた。

 旅をしていると血を見る場面は多くなる。

 慣れているはずなのに、一撃で凶暴な魚が息絶えてただひたすら血を流す。気持ちのいいものではなかった。

 しばらく風に当たっていると、タスクがやってきた。


「ジアーボゥの幼虫ならムシャムシャ食うくせに」

「あれは血を流さない」

「魚をさばいたことは?」

「ない」

「鶏は?」


 返事をしなかった。

 

「なるほどな。こっちの人間は流血が嫌いなんだな。だから魚がまずい」

「さっきの魚は?」

「あれは丸々と太って姿造りの刺身にしても映える、いい魚だ。背中は黒っぽいのに側面は金色で、腹は銀白色だからアジに似てたな」

「うまい料理になったのか?」

「どうだろう。味見……できるか?」

「うまい料理にしてもらわないと困るからな。味見なら任せてよ」


 丸太小屋へ戻ると、生臭い血のにおいはしなかった。

 魚は三枚におろされて、小骨も見当たらない。


「感想を聞かせてくれ」


 タスクは魚を薄く切って、リィーバに。


「生で食えるのか?」

「ジアーボゥの幼虫を生で食うくせに。さっき俺も食ったから心配するな」

「わかった」


 パクリと口に放り込んだ。

 歯ごたえは悪くない。でも――。


「魚……臭い」

「やはりこのままだと、まだ生臭いか。この世界にはワサビも醤油もないし、さて、どうするか」


 アジに続いて、また聞き慣れない言葉を並べている。

 ワサビと醤油というものがあれば、この魚がおいしくなるのか。質問しようとしたが、


「よし、決めた。リィーバ、この魚をとびっきりうまくしてやる」


 タスクは刃先の鋭いナイフをつかむと、黒の瞳を生き生きと輝かせた。

 魚はさくの状態から小指の爪ほどの大きさへ。さらにナイフを巧みに操って、身を切るようにたたきはじめた。


「あとはこれをふって」

「なんだ、その白い粉は」

「これは塩だが、ただの塩じゃない。俺が作った特製のスパイスだ。それからこれも加える。柑橘系の果物だな」


 タスクが取り出したのは、片手に収まる黄色い実。

 薄皮をむいて房ごとにわけてから果肉を取り出していくと、胸の奥まで清々しくなるような、甘酸っぱい香りが広がった。


「果物と魚の組みあわせなんて、聞いたことないよ」


 心配そうにたずねたが、タスクは手を止めない。

 スパイスがかかった魚と果肉を混ぜあわせて、最後にまた軽くたたいて白い皿に盛りつけた。


「これでどうだ!」


 白い皿を突きつけられても、味の想像ができない。

 おそるおそる鼻を近づけてみると、爽やかなフルーツの香りが食欲を刺激してきた。


「臭くない。むしろ、うまそうなにおいだ」


 スプーンですくって、口の中へ放り込んだ。

 魚臭さはどこにもない。謎のスパイスがピリッと味を引き締めて、フルーツのほどよい酸味が魚のうまさを引き立てていた。


「んっまぁぁぁぁあーい! すごいよ、タスク。最高だ」

「リアクションが大げさだな」

「大げさなもんか。さっきは臭くて食えたもんじゃなかった。それなのに欠点をすべて取り除いて、味の一番うまいところだけが残ってる。まさに天才的な味だ」

「そうかなぁ」


 ほんのり頰を染めて、照れている。

 それがふしぎでリィーバは首を傾げた。


「タスクは妖精王の料理人なんだから、森の妖精からも絶賛されてるだろ?」

「うまそうに食ってくれるが褒められたことはない。みんな人間が大嫌いだからな」

「そんな奴らに料理を提供して、楽しい?」

「俺はこの森から出られないから、いわれたとおりに料理を作るだけなんだ」


 あきらめた顔で弱々しく笑うから、リィーバの胸がチクリと痛んだ。


「この魚を妖精王に食わせるなら、金貨五枚でゆずってやるよ」

「子どものくせに、がめついな」

「こっちは冒険者なんで、生きるために金がいる。それより、この料理の名前は?」

「考えてないけど、フルーツと魚だから……アジに似てるし【フルーツのおアジはいかかが?】で、どうだ?」


 どうだと聞かれても、アジってなんだろう? と、眉間のしわを深くするだけだった。

 しかし、料理の名前はよくわからなくても、即興でここまでうまい飯を作れる事実は、うわさ以上だった。

 港町の漁師たちにもこれを食べてほしい。きっと笑顔があふれて、あの厄介な魚も売り物になる。

 そう考えると、どうにかしてタスクを森の外へ連れ出したくなった。


「おいしさは、誰かに伝えてはじめて意味のある喜びにかわるのに、もったいない」

「ん?」

「旅をしていると、孤食が多いんだ。でも、たまに大勢で食べると普段以上においしく感じるんだ。なんだろう、にぎやかすぎる音のせいか、いつもと違う光景に気持ちが高ぶっているのか。よくわからないけど、ひとりで食うより断然うまい。ここにいると、そんな経験できないだろう。だからもったいない」


 パクパク食べながら、タスクの料理を独り占めにする妖精王は、ずるいと思った。


「だいたい料理ってものは、食べさせてあげたい人を気遣う気持ちや、こんな料理を作りたいと思う心が大事なんだろう。褒められもせずにただ作るだなんて、タスクの感性が死んでしまうよ。森の外には珍しい食材が山ほどあるのに」


 リィーバはハッとした。

 妖精王が美食家なら、森の外にある食材に興味があるはず。交渉さえできれば、タスクを連れ出せるかもしれないと。


「タスク、あたしと一緒に旅をしよう。そして、究極の一品を妖精王に捧げるんだ。最高のうまいを求める旅なら、妖精王もきっと喜ぶはずだ」


 冒険の扉を精一杯押し広げて、森の外にある世界をタスクに。

 リィーバの新しい旅がはじまった。

 

 


 



 

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