月刊カストリ編集長の受難

ナツメ

月刊カストリ編集長の受難

 俺、今年厄年だったか?

 痛みから気をまぎらわそうとそんなことを考える。厄除け祈願なんてしたことがないが、ことが落ち着いたら千羽と代々木も連れて絶対に厄払いに行く。それくらい、年が明けてからの俺は運が悪すぎる。

 そもそも、代々木があんな話をしなければ、いや、千羽があの日麹町に行かなければ、いやいや、やっぱり三人そろって呪われているのかもしれない。

 くそ、腹がじくじくと熱い。傷はそこまで深くないと思うが、出血はしている。身体の下で押さえつけた男が暴れる。傷口にひじでもぶつけられたら最悪だ。俺は体勢を変えながら改めて男の動きを封じる。ぐう、とつぶれたような声が聞こえた。

「あ、あのっ」

 ふるえる声に首だけ振り返る。車椅子に乗ったその人は、声と同じく震える右手で口元を抑え、不安げな目でこちらを見つめていた。

「血が」

 その視線が俺の腹の辺りを彷徨さまよっている。今にも泣きそうな顔だ。

「死なないから大丈夫、安心して。それより一一〇番してください」

 はい、という答えを聞いて、俺は男に意識を戻した。身動きの取れなくなった男は、今度はぎゃあぎゃあと何かをわめき散らしている。

 元はと言えばこいつが問題の根幹だ。守屋もりやとおる。昔仕事を頼んで、それをぶっち切っていなくなったフリーライター。去年の末に千羽が見かけ、その話を代々木が俺に持ってきて、そして年始に会ったらすっかり様子のおかしくなっていたこの男。あの時も妙な言いがかりをつけられた上に殴られまでして散々だったが、三ヶ月ぶりに急に目の前に現れたと思ったらいきなり刺された。

 本当に、一体なんだというんだ。



「お手伝いしましょうか」

 そう声を掛けたのは、親切心と呼ぶほどのものですらない。車椅子が立ち往生していて、自分は体力があり、急いでもいない。ただ当たり前のことをしただけだ。

「すみません、ありがとうございます」

 そう答えた声が想定より低かったことには少しだけ驚いた。後ろ頭しか見えていなかったから、その長くつややかに波打つ髪を勝手に女性のものだと思っていた。

 はまっていたタイヤを外して、行き先を聞くと方向が同じだったので、そのまま押していくことにした。

「いつもは義足をつけているので、車椅子で外出するのには慣れてなくて……助かりました」

 こちら振り返って車椅子の彼は笑う。いえいえ、気にしないでくださいと答えながら、わずかな既視感を覚えた。

 どこかで会ったことがあるだろうか? 脳内で当てを探るが思い出せない。仕事柄、取材で多くの人に会うが、俺は一度会ってしゃべった相手の顔は忘れない方だ。取材対象ではなく同席者なんかであればその限りではないが、忘れてしまうには彼はあまりに――マスク越しでもわかるほど――整った顔立ちをしていた。

「お時間とか、大丈夫ですか?」

 心配そうな声で彼が聞く。空気を多分に含んだような、やわらかい声だ。

「ええ、取材終わりであとは会社に戻るだけなので」

 俺は編集長という立場だが、最近は現場にも出るようにしていた。現場回帰といえば聞こえはいいが、単純に手が足りない。今日も廃墟マニア、それもラブホテルの廃墟だけを撮り続けているアマチュアカメラマンへの取材を終えて帰社するところだった。

「へえ、取材! ってことは、雑誌とか新聞の記者さんなんですか?」

「ええ、まあそんなところで……」

 答えは適当にぼかした。我らが『カストリ』に誇りを持ってはいるが、万人受けする内容でないこともまた事実だ。悪趣味なものを扱う時には住み分けが重要である。相手の興味や趣味嗜好がわからない場合、仕事の詳細は話さないことにしていた。


 ぽつぽつといくつか雑談を交わし、俺は既視感の正体に辿り着けないまま、目的地が近付いた。

「本当にありがとうございました。後日お礼をさせていただきたいので、連絡先をお伺いしても良いですか?」

 車椅子ごとこちらに向き直り、彼は俺を見上げる。正面から見ても、やっぱりどこで会ったのか思い出せない。

「そんな、大したことはしてませんから」

「大したことですよ。あのまま誰も助けてくれなかったら僕はどうなってたことか」

 冗談めかしてそう言って、彼は車椅子の背部に取り付けたバッグの中を探り始めた。おそらく名刺か何かを出そうとしているのだろう。まあ頑なに断る必要もなし、と俺も名刺入れを取り出そうとした時、ダダダダッと背後から迫る音があった。

「うわあああああああああ」

 奇声。反射的に振り返る。

 目と鼻の先に男の顔。異様な形相ぎょうそう


 ――守屋。


 気付いた時には刺されていた。腹がカッと熱くなる。

 ナイフの柄を握ったままの守屋の手首を掴み、そのまま投げ飛ばす。支えを失ったナイフはそのまま地面に落ちた。深くは刺さっていなかったようだ。

 守屋は背中を強打したのか、仰向けになってうめいている。すぐに駆け寄り腕をひねって取り押さえた。



 車椅子の彼に通報してもらい、あとは警察の到着を待つだけだった。

 守屋はずっと喚いている。やっぱりそうだったとか、俺は助けに来たんだとか言っているようなのだが、ほとんど金切り声で何を言っているのかわからない。しぶとく暴れようとするのでその度に関節を極めて大人しくさせた。趣味と健康維持のためにやっていた格闘技だったが、まさか実践で役立つ日が来るとは。

 しばらくすると傷口の痛みが強くなってきた。心臓が腹に移動したみたいに、ドクドクと脈打っている。シャツがべったりと皮膚に張り付いているのを感じる。冷や汗が出て、貧血になっているのか、少し頭がくらくらし始めた。

 ――なんで俺がこんな目に。

 朦朧もうろうとする頭で考える。守屋に恨まれるようなことをした覚えはない。正月に会った時のだって事実無根の言いがかりだ。でも守屋はもうおかしくなってしまったのかもしれない。だからそれをいまだに事実だと信じて――待てよ。

 ってなんだっけな。守屋がサイゼリヤで叫んでいた――「あんたもむつみさんを狙ってるのか!?」

 そうだ。。隠し撮り写真。守屋が執着する相手。美貌のアンドロギュヌス。

 タブレットで見たその写真を思い出した瞬間、謎の既視感の正体がわかった。


 そうだ。車椅子の美青年は、だ。


「大丈夫ですか!」

 野太い声と複数人の足音がして我に返る。ぼうっとしてサイレンにも気付かなかったが、警察が到着したようだった。

 救急隊員も駆けつけ、二人がかりで俺を立ち上がらせた。すぐに警官が守屋を確保する。俺は悪くないあいつを強姦罪で逮捕しろ、と怒鳴っているのが聞こえた。

 緊張の糸が切れたのか、急激に視界がせばまり始める。立っていられず座り込んでしまい、「担架を持ってきます」と救急隊員が駆けていった。

 座っているのもしんどくなって、地べたに横になる。視線の先に、車椅子があった。

 彼は、は大丈夫だろうか。

 目玉だけをなんとか動かすと、おびえた顔で涙を流す彼と目が合った。

 ――人って、あんなに綺麗にポロポロ泣けるもんなんだな。

 そんな場違いな感想を最後に、俺は意識を手放した。

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