棒銀の玉将串刺しフライ 〜森林限界を抜けて〜

雨蕗空何(あまぶき・くうか)

君はいつも斜め後ろにいる

 将棋の駒で何が好きかと聞かれたら、私は銀将と答える。

 なぜかといえば、銀将は斜め後ろに進めるから。

 八種類ある駒のうち、斜め後ろに進めるのは、王将ないし玉将ぎょくしょうと、角行と、銀将の三つだけ。

 そして銀将は他の二つと違い、相手陣地に突入して成ると、新しい動きを得る代わりに、斜め後ろの動きを失う。

 そういうなんだか不器用なところが――私に似ていると、思ってしまう。




 初夏の風を浴びて歩く。

 日が高くなれば暑さを感じるだろうけれど、今はまだ長袖がほしい。

 いつもはランドセルを背負って歩く道が、荷物の違いひとつで、なんだか違うものに感じる。

 それとも、連れ添う人の違いか。


白香しろかちゃん、将棋大会楽しみだねぇー。

 今日はどのくらい勝てるかなー。全勝できるかなー。

 僕いっぱい応援するからねぇー」


「声張ったりしないでくださいね翔馬しょうまさん。ひんしゅくですよ」


「うん、対局中は静かにするようにするよー」


「対局中じゃなくてもですよ」


 振り返って――身長差のせいで、斜め後ろを見上げる形になる――その人にじとっとした目を向けた。

 翔馬さん。五歳年上の高校生。お隣さんで小さいころから知っている。


「そっかー残念だなぁ。でもお弁当は張り切って作ったからねー楽しみにしてねー」


「それだけはありがたくいただきます。

 翔馬さんノロマのヘナチョコのアンポンタンのくせに、料理だけは本当にうまいですからね」


「うっわー毒舌ー! ひどいなー白香ちゃん。

 僕は白香ちゃんのこと実の妹みたいに思ってるのに、なかなかデレてくれないなー」


 妹。その単語に、私の胸はちくりと痛む。

 私がどんな気持ちでいるのか、この人は知らない。

 思ってもいないのだろう。恋愛対象などと。

 この人こそ銀将なのかもしれない。それの間近にいながらどうにもできない、私はさながら桂馬か。

 目の前に立たれて、浮つくだけで決して届かず、ただ殺されている。


「……救いようのない愚鈍です」


「なんか罵倒の語彙が年々豊かになってない?」


 歩き続ける。

 私の想い人は、決して先を歩かず、斜め後ろの後方で見守っている。

 保護者だというように。




 こども将棋大会。

 町の小規模な大会で、将棋クラブのおじいちゃんたちが景品を持ち寄って開催している。レベルは推して知るべし。


(それでも私は優勝したことがない。

 結局、私の実力がその程度だから)


 一局目。

 対局相手は、指したことのある上級生。


(……強く行く。

 せめて将棋は、素直でまっすぐでありたい)


 先手。迷いなく飛車の前の歩を出す。

 出す。出す。手順を追い、指は銀将へ。


(棒銀!)


 銀将を前へ。

 飛車の正面、相手の角行の頭を強襲する戦法。

 まっすぐに、攻撃。古典的な戦法だけど、この大会くらいのレベルなら勉強できてない人だって多い。


(この人はそうじゃない。受け方を知っている。

 だから、行く。

 この大会で勝ちたいんじゃない、私はもっと、強くなりたいんだ)


 前へ。前へ!


(まっすぐに!)


 強く、駒を押し出す。

 駒を台に打ちつける音は、強く鋭く、そして清涼で――




「午前の部、勝ち越せてよかったねぇ」


 昼休み。

 翔馬さんはにこにこと笑いかけてくる。


「私はまったくもって不本意でしかありません。

 棒銀を分かっていない人に勝って、分かっている人に負けた。それだけです」


 ぶーたれる私に、翔馬さんはへらへらと、けれど優しく笑みを向け続ける。

 それだけで、私のささくれ立った気持ちは、充足感に満たされてやわらかくなってしまう。

 この人は、本当に、ずるい人だ。


「さぁ! 今は切り替えて、お弁当食べよう!

 いっぱい考えて疲れたでしょー!」


 満面の笑みで差し出されたお弁当を、冷めた顔を作ってみせてから受け取った。

 ひざに置いて、ふたを開ける。

 出てきたのは、一面に盛られたブロッコリーだった。


「……なんですか、これ」


 待ってましたと言わんばかりに、翔馬さんは両手を広げて宣言した。


「名付けて! 『棒銀の玉将串刺しフライ 〜森林限界を抜けて〜』でーす!

 どんどんぱふぱふー!」


「森林しか見えないんですけど」


 翔馬さんはちょいちょいと指さした。

 弁当箱の隅、ブロッコリーの隙間から、鉄串の端がのぞいている。

 つまんで、引っ張り上げてみると、うずら卵のフライがついていた。


「白香ちゃんの得意な棒銀にちなんで、銀色の棒で串揚げにしてみましたー!

 玉将から玉子を連想して、相手の玉将を棒銀でぐさーっとやれるようにってね」


「で、ブロッコリーは」


「なんか最近話題の人がさ、自分はまだ森林限界だーみたいなこと言ってたじゃん?

 それにあやかって、森林を作ってみたよ。

 得意の棒銀で勝利を引き上げて、その人よりも先に森林限界を抜けますようにーってね」


「……言った人のすごさ分かってます?

 私が先に抜けちゃったら、大ニュースどころの騒ぎじゃないですよ」


「何か問題かな?」


 翔馬さんは、目を細めて、優しく笑う。


「その人がすごいから、白香ちゃんは無理って、自分の限界を自分で決めちゃう?」


 ……本当に、この人は、ずるい。

 ずるすぎて、返答もままならないから、私はただ小さくいただきますと言って、フライにかじりついた。

 さくり、衣が弾ける。

 うずら卵の弾力、噛み潰して、卵の旨味と、下味が絡み合って、味覚細胞を刺激する。


「……本当に、ずるい人です」


「えー?」


 もう一口、かじる。

 何か違う形のフライがあると思ったら、銀鮭だった。

 衣の中にソースも詰まっていて、かじるそばから豊かな味わいがあふれてきて、口の中を幸福に染める。

 そのまま、ブロッコリーも食べる。

 マヨネーズも何もついていないからちょっと心配したけれど、ソテーしてあって味は十分だ。

 そして、この風味は。


「……しょうが、効いてますね」


「もうちょっと将棋にかけたくてね、一文字違いだから」


「くだらないですね」


「おいしくない?」


「……まさか」


 食べ進める。

 そうしながら、ひとつだけ指摘した。


「上を目指してほしいと思うなら、玉将をもじってちゃダメですよ。

 将棋には、王将と玉将があるんです。

 格上が王将を使って、格下が玉将を使うんです。

 上を目指すんですから、私が取るべきは玉将じゃなくて、王将なんです」


 翔馬さんは、うーんと考えるそぶりを見せて。

 それからおもむろに、折り紙を取り出して、折ってみせた。


「じゃあ、これを添えて、王様にしちゃおう」


 折り上がってお弁当箱の横に置かれたのは、小さな王冠だった。


「くだらないですね」


「んー、まあねー。

 なんかさえないし、置くならやっぱり、ここじゃなくて」


 翔馬さんの指が、王冠を拾い上げて。

 私の頭に、そっと乗せた。


「ここに置くのが、一番しっくりくるよ」


 この人は、本当に、こういうことをする。

 こんな、屈託のない、ほれぼれとするような笑顔で。


「……くだらない。本っ当、くだらない」


「気に入らなかった? 下ろそうか」


「いえ、もらいます」


「なんか顔が赤くなってる?」


「しょうがを効かせたのはあなたでしょう体温が上がってるんですスカポンタン」


 食べ続ける。

 ブロッコリーの下から、にんじんのグラッセまで出てきた。

 ご丁寧に、駒の形に整えられて。

 たかがお弁当に、この人はどれほど手間をかけているのだろう。

 できたてを食べたかったと、思ってしまう。

 この人の、隣で。


 食べ切る。

 立ち上がり、午後の対局へと向かう。

 想い人は変わらず、後ろからついてくる。

 保護者面で。


「しっかり見てるからね」


 言われて、立ち止まる。

 この人はいつまで、私の保護者でいるつもりなのか。

 違う。私がいつまで、保護者面させるような存在に甘んじているのか。


 振り向く。

 斜め上を見上げて、私は彼に宣言した。


「ええ、しっかり見ていてください。

 私は必ず成長して、格下でなんてなくなりますから」


 翔馬さんは首をかしげて、微笑んだ。

 私は前を向いて、歩き出す。


 銀将は成ると、斜め後ろへの動きを失う。

 代わりに得る動きは、真後ろと、真横だ。

 いつか、想い人への視線が、斜め後ろではなく、真横になっているように。


 私は、そう成ってみせる。

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