恋の月

@mika33mori

ある夜の話

駅から近い、地下深くにあるバー。それが私の反省会場所兼、元気を取り戻す場所だった。でも今日はさすがに、ビアカクテル3杯じゃ元気になれる気がしない。

イケると思ったのに。今回こそは、絶対に……


 メッセージアプリを開く。そこには丁重なお礼と、遠回しなお断り文句が並んでいた。

『とっても素敵な人ですが、僕には高嶺の花すぎて一緒に生活しているイメージができませんでした』

「なんだよそれ!」

 思わず携帯電話をカウンターに投げ置く。これは私が受けた、通算18回目の『お断り連絡』だった。1年前に結婚相談所に入会し、60人近くの相手とお見合いという名のデートを重ねてきた。


結婚を夢見て入会し、デートをする男性には様々なタイプがいた。よく想像されるような、明らかにコミュニケーションに難のある人。理想が高すぎて結婚相手が現れないと言いながら、私に延々とダメだしをしてきた人、母親が勝手に入会したと、デート中ずっと不貞腐れている人までいた。今まで見てきた世界は狭かったんだなと何度も驚かされたものだ。


かくいう私も若い頃はいくらかお誘いがあったものの、30歳を過ぎたあたりからめっきり恋愛に縁がなくなった。

平日は職場と家の往復、休日は私と同じように独身の女友達と気ままな高級ランチに繰り出すというサイクルができあがっていた。

決して、不満はない。

ただ、結婚して子育てしている同級生たちを見て、家庭に入るのもいいかもしれないな……と酔った勢いでホームページから入会したのがきっかけだった。

最初は面白半分だったけど、最近はもはや意地になっている節がある。

相手から「結婚してください」と聞ければ、ゲームクリア。からのファンファーレ。そんなイメージが頭の中にできあがっていた。


 今日の相手は、物静かなエンジニアの男性で地味で大人しい人だった。

4回目のデートを無事終え、あとは交際するかどうかの判断を下すところまで進んでいた。あと少し……のはずだった。

正直、タイプじゃないけど妥協するならこんなとこかな……きっといい旦那になる、そしていいパパになるだろう。私はそんなことを考えながら、朝ルージュを引いたのだ。

 なのにまさか、お断りされるとは。また振り出しに戻ると思うと、がっくりきた。


「やってらんない……」

 文句と悲しみが漏れる。正直、見た目は同年代に比べて若々しいはずだ。それに給与だって、男性に引けを取らないくらい貰っている。いっそ、男性に家庭に入ってもらってもいいくらい。でも、なのに、なぜ。

 と言いながら、私はいつも男性が口にする一言で断られる理由はわかっていた。


『キミは自立しているからね。結婚なんてしなくてよさそうなのに』


 男なんかいなくても、大丈夫。バリキャリで、生活を謳歌する独身女。いつも隙のない7センチヒールを履きこなし、流行りのルージュで武装する強い女。

結婚相談所に現れる男たちは、どこか頼りなさげで色白で1人では何もできなさそうなオンナノコが好みなのだ。

 でも私は、そんな女にはなれない。だから『選ばれない』


 3杯目のカクテルを飲み干し、カウンターに頬杖をついた時。甘いムスク系の香水が香る。次の瞬間、隣に誰かが座る気配があった。


「お姉さん、酔っ払ってんね?」

 少し高めの甘えるような声。横を向けば、そこには今流行りの重め前髪にした男性が座っていた。

年齢は20代前半くらいだろうか? 私よりはるかに年下だと瞬時にわかる。からかわれるのだと悟り、目をそらした。

「そう見える? 酔いたい夜もあるのよ」

「へぇ、嫌なことあったんだ? 仕事? それとも待ち合わせ相手が来なかった?」

男性……いや、男の子は大きな瞳で私をまっすぐ見つめている。

「関係ないでしょ」

「ああ、振られて来たんだ?」

 笑みを含んだ声で言われ、思わずかっとなり彼のほうへ顔を向ける。

鼻筋の通った、綺麗な顔で百戦錬磨の雰囲気を漂わせている。私の中で警戒サイレンが鳴り響いた。こいつは近づいちゃいけない。

「どう思うの?」

 大人の余裕を見せるため、軽く微笑んで尋ねてみる。彼は肩をすくめてからカウンターに頬杖着いた。目線は私から外さない。

「そうだな……まあ妥協して付き合ってもいいかな、って思ってた男からお断りされた、ように見えるかな」

「えっ……なんでそんなことまでわかるのよ」

思わず口にしてから、しまった! と思う。でも時すでに遅し。彼はにやりと笑った。

「正解なんだ? そうかなって思った。寂しそうな、っていうよりは悔しそうな自尊心が傷つけられた顔してたから」

「振られたのよ。僕には高嶺の花すぎて一緒に生活しているイメージができませんでしたってね」

 もうヤケだ。全部言ってしまおう。私の言葉を聞き、彼はおかしそうに笑い声を上げた。

「そいつは見る目がないね。こんなに綺麗で、きりりとしたお姉さんなかなかいないだろうに。俺なら、絶対食らいついて離さないよ」

「また、そんな冗談を」

「ほんとほんと。だってさ、人生って色んなことあるじゃん。自分がリストラされるかもしれないし、事件や事故に巻き込まれるかもしれない。そんな時、どうしようばかりで泣いてる女の子がいたらほとほと嫌になると思わない?」


 私ならどうするだろう? しかるべき機関に相談し、どう対処するか考えるか……

「あ、今自分ならどう動くのが最善かなって考えたでしょ?」

「なんでそんなことまでわかるのよ……」

「わかるよ、お姉さんわかりやすいもん」


 当然といった様子で私の顔を覗き込む彼。新手のナンパの仕方なのだろうか?

でもいくら私が傷心しているとは言っても、こんな年下の男の子に走って転がされるのだけは御免だ。いい笑いものになるだろう。


「悪いけど、ナンパなら他を当たってくれる? 私、今は遊ぶ余裕はないの」

 あえてキツイ口調で突き放してみたが、彼はほんの少し体を引いただけだった。

「残念だな……俺、この店で何度かお姉さん見かけていつかお近づきになりたいなって思ってたのに」

「またそうやって。年上引っ掛けて楽しんでるんでしょ? 君くらいなら、女の子なんか選び放題だから何もこんなオバさんじゃなくても──」


そこまで口にした時、彼の指先が私の唇に触れた。

「だめ、それ以上自分を悪く言っちゃ。お姉さんはオバさんじゃないでしょ」

 久しぶりに、男性から能動的に触れられた気がする。胸が高鳴った。

「それにさ、なんで男がいつも偉ぶ側なんだろっていつも思ってたんだ。女の人が選んだっていいじゃん、って」

「えっ」

「俺は、自分はどうですかって営業しにきたの。ようは自分のセールス。だからあとはお姉さんが俺を選んでくれるかどうかって話」


 自分が男性を選ぶ……そんなの、考えてもみなかった。いつも自分は選ばれる側で、選んでもらえなくて「どうしたらいい」と頭を抱えるばかりだったから。


「どう? 一夜の相手だっていいし、じっくり俺の人となりを知ってもらってもいい。全部お姉さんが選んでいいんじゃない?」

「何を言って……」

 声が上ずる。今、自分がどんな顔をしているのか考える余裕すらなかった。

 彼は平然とした顔のまま、私の耳元に顔を寄せて囁いた。

「体の相性を知ってから選ぶってのも、アリ」


 お腹の下のほう、おへそのあたりがじんと痺れたように熱くなる。

けれど、私は立派な社会人だ。ここで、はいそうですねと答えるわけにはいかない。

「馬鹿言わないの。体目的なの?」

「違うでしょ、お互いが選ぶんだよ。お姉さんも求めてくれて、初めて成立すんの。俺は無理なら退くから。無茶なセールストークは趣味じゃないし」

「私は……」

 いけないとわかっている。落ち込んでいたところに声をかけてきた、美しい年下の男の子。こんなの、騙されているだけじゃないのか。でも──


「私が選んでいいの?」

「いいよ、お姉さんの人生じゃん」

 私は伝票を持って立ち上がった。迷いと、不安はまだ頭の中でぐるぐると回っている。けれど私は『選ぶ』のだ、自分自身で。後悔しない選択を。

「もっと知りたい、商品の魅力を」

 これはきっと、酔っ払っているせいだ。だからこんなに大胆になっている。自分にそう言い聞かせながら、支払いを済ませる。

 彼は微笑んで、スツールから立ち上がった。立ってみて初めてわかったが、彼は私よりもほんの少し身長が低かった。それでも、バランスのいいコーディネートのおかげでスタイルは抜群によく見える。

「いいよ、まずはお試しもあるけど……どう?」

「じゃあお試しさせて」

「ありがと」

 私は彼に導かれるまま、階段を上がり月の下へ出た。


 誰もいないビルとビルの隙間、非常階段の裏で唇を重ねる。むさぼるように何度も角度を変え、舌を絡めた。久しぶりの感触に、頭がじんと痺れていく。徐々に熱い何かが体の奥からせり上がってきて、切なくてたまらなくなる。

「やっぱり慣れてるのね……こんなにキスが上手なんて」

「違う、相性がいいんだよ俺たち」

耳元で囁かれ、腰が抜けそうになった。彼は、やはりこうやって女性を何人も手玉に取っているのかもしれない。でも今は、そんなのどうでもいい。だって私が選んだのだから。

「キミは……」

「ショウ。俺の名前」

「ショウくん」


どんな字を書くのだろう? 翔、聖、将……でもそんなの関係ないか、と思い直す。偽名かもしれないし。私が彼を選んで、彼が私を選んだら、その時にどんな字を書くのか聞けばいい。

「ああ、名前呼ばれるとゾクゾクする……もっと呼んで」

「ショウくん、キス気持ちいいよ」

今度は私が彼の耳に息を吹き込みながら囁く。ついでに、可愛い耳をぺろりと舐めあげた。

「んっ……お姉さんこそ、遊び慣れてない?」

「そんなことないよ。今だってドキドキしてるんだから」


 ショウくんの手が、私の胸の膨らみを包んだ。感触を楽しむように何度か力を加えたあと、いたずらっぽく微笑む。

「ほんとだ……ドキドキしてる」

「こんなに積極的に求められたの、久しぶりだから」

「お姉さんが求めればいいのに。こんな魅力的な女性にアプローチされたら、落ちない男はいないでしょ」

 興奮のせいなのか、ショウくんの声はかすかにかすれている。

「俺みたいに」

 ショウくんが私に体を寄せる。私の腰あたりに、彼の膨らみが当たった。直に欲望と体温を感じ、私の体の芯もじんわりと熱を帯びていくのがわかる。


 よろめくように、足の位置を変えながら再び深いキスを何度も交わす。すでに私の心は決まっていた。

歯茎をなぞるようなキスをしたあと、名残惜しそうに唇を離した年下の狼は囁く。

「お姉さん、続きはどうする?」

「もちろん……最後までショウくんの魅力を見せてほしい」

「チャンスをくれてありがとう。でも、ほんとにいいの?」

「いいよ、私が選んだんだから」


 私はショウくんと手をつなぎ、体を寄り添わせる。

 もう、選ばれるためにじたばたするのはやめた。自分の好きなように選択し、口にする。王子様を待つくらいなら、私が王子様を捕獲しにいってやる。

「満足させられるように頑張るよ」

「一緒に満足できるように、楽しむんでしょ?」

 私の言葉に、ショウくんは肩をすくめる。

「その通りです。やっぱりお姉さんはいい女だね」

「お姉さんじゃないよ、私は──」

 彼の耳に、自分の下の名前を名乗った。苗字じゃない名前を初対面の相手に告げたのは、学生以来かもしれない。

「いい名前だね、じゃあ行こうか」


 彼は私の腰を抱き寄せ、表通りへ向かい歩き出す。この先には、おしゃれなカップルホテルがたくさんあったはずだ。

「ねぇ、ホテルも部屋も選んでもいい?」

「もちろん、お姫様」

冗談めかした返事が返ってくる。私たちがこの先どんな付き合いになるのか……それは今晩次第かもしれない。でも、私は自分が納得できる答えを出せるはずだと淡い予感があった。

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