あと、もっと表情筋を鍛えるべきだよ

佐古間

あと、もっと表情筋を鍛えるべきだよ

 桜庭春翔は今日も愉快だ。

 ガーガーと音を鳴らす複合機をぼんやり眺めながら、横から聞こえてくる会話を聞き流していた。会話をしているのは経理課の桜庭と、総務課の足立である。

「足立さん、先週購入された備品についてなんですが、領収書内で一点不明な点がありまして」

「えっどれです? もしかして押印漏れてました?」

 漏れてないです、と律義に返しながら、桜庭が領収書を見せたようだった。ぼそぼそと一瞬声が小さくなって――恐らく、ガムテープの使用者名の件についてだろう――説明をしたらしかった。

「使用者と言われても……課内使用品なので、ほら、ここに」

 足立が困惑した声を上げる。複合機はもう少しで終わりそうだ。桜庭が「あっ本当ですね」と申し訳なさそうな声を出した。

「桜庭さん、たまにおっちょこちょいですよね」

「すみません、お時間とらせてしまって」

「いえいえ、大丈夫ですよ」

 にこやかに談笑をして、桜庭の靴音が遠のいていく。丁度音を止めた複合機から、スキャンしていた書類の束を抜き取って振り向いた。足立はもうパソコンに向き直って――いるように見せかけて、ちらちらと時計を気にしていた。

 もうすぐ昼休憩か、と、それで納得する。足立が昼休憩を楽しみにしていることは同じフロアの誰もが知っていて、今日の弁当も渾身の出来なのだろうな、と思うと思わず苦笑がこぼれ出た。

 振り向いてすぐ、経理課の席の方から睨むような視線でこちらを見詰める桜庭を見つけた。全く本当に、あいつは分かりやすい。

 それで、ぽーん、と昼休憩の音が鳴った。ぱっと顔を明るめた足立が、いそいそと弁当を用意しに席を立ったので、俺もさっさと休憩に入ろう、と、戻る足を速めた。



 桜庭は毎日、隙なくきっちりとスーツを着込んで、アホ毛の一本も許さぬヘアセットで出社してくる。

 朝のルーティンが決まっているようで、何時の電車の何号車、どのあたりに陣取って、スマホで新聞を確認し、出社前にビル内のカフェでテイクアウトのコーヒーを買ってくる。何らかの要因でどれか一つでもずれ込むと、仕事やコミュニケーションに支障はないが、一日中ボールペンをカチカチ鳴らした。周囲からはとっつきにくいと思われているし、実際、俺もそのように感じている。

 見た目の印象通りに仕事はできる方だ。几帳面すぎる、神経質なところがたまにキズ。俺にとってはかわいい後輩にあたるので、度々昼食に誘っては何とか共通の話題を探している。といっても、大して得られるものはないのだが。

 何せ桜庭は、音楽も聴かない、読む本はビジネス書籍か新聞、テレビはニュースしか見ないし、オフの日にやっていることと言えば資格の勉強と家事。見事に話が合わない。

 だが、桜庭は愉快な男だった。



「おーい桜庭、昼飯にしようぜ」

 書類を片付けて声をかけると、桜庭は顔を上げて頷いた。動作だけなら可愛げがあるが、表情は至って無表情だ。どちらかといえば「仕方ないですね、一緒に行ってあげますよ」的な雰囲気。桜庭のデスクは綺麗に片付けられていて、俺を待たずに昼休憩に入ったって問題なかったのに、そういうところの自覚はない。

 愉快で、健気なやつだなあ、と思うのはこういう時だ。桜庭を伴ってフロアを出た。桜庭は未練がましく休憩室を見つめていたが、あそこでゆっくり話ができないことも理解しているのだろう。休憩室は足立がいつも使う場所で、これからするのは足立の話だ。

「今日は何にする?」

「何でも構いません」

 問えばそっけない返事。朝のルーティンはきっちり決まっているくせに、桜庭に昼のルーティンは存在しない。

 元々食事にこだわりがないらしく、ランチも腹に入れば何でもいいらしい。誘うたび聞いているが、毎回俺が食事を決めている。

 ビルの地下はレストラン街になっていて、丁度昼時の今、ランチメニューの看板が並んでいる。たまたま目についた居酒屋の定食メニューが美味しそうだったので、今日はここにしようぜ、と暖簾をくぐった。

「それで、どうだった、足立は」

 適当な席に座ってすぐに問いかける。

 出された水を手に取ろうとしていた桜庭は、うぐ、と呻き声をあげて動きを止めた。じろりと睨むようにこちらを見てくる。

 俺は肩を竦めて水を啜った。店員の女性に鯵の干物の定食を頼む。桜庭が何も頼まないので、同じものを頼んでやった。桜庭は神経質だが、好き嫌いなくアレルギーもないので問題はない。

「きょ……」

「きょ?」

「今日は、業務の、話が出来ました……」

 するすると声は萎んでいった。居心地悪そうにその身を縮こまらせている。業務の話、とやらを横で聞いていた俺は、思わず苦笑を浮かべて「ああ、ガムテープな」と頷いた。

「ありゃダメだろ、大体お前、わかっててわざと聞きに行ったじゃん」

 そうなのだ。

 ガムテープの使用者の件。使用者が書かれていないことを足立に指摘しに行ったのだが、そもそも領収書に不備はなく、「課内使用につき使用者なし」の一文を、桜庭もきちんと確認していた。

「でっ……ですが、他に声をかける理由が思いつかなくて……」

 うだうだと桜庭が言い訳をする。

(ほんと、面倒なやつだよなあ)

 思ったが、笑顔を浮かべたまま。

 店員が定食を持ってきて、テーブルがあっという間に埋まる。

 とりあえず、とだし巻き卵に箸を伸ばすと、桜庭が丁寧に「いただきます」と箸を構えた。食事の度挨拶をする桜庭はやはり律義で几帳面だ。

 こういうところは見習うべきかね、と思いつつ、食事時など空腹なので、つい食べることを優先してしまう。

「……足立、多分だけどお前の事天然かドジっ子だと思ってんぞ」

「えっ!」

 ぱくり、と口に含んだ出し巻き卵は、おろしと合わせて食べるとさっぱりしていて大変美味しい。行儀悪く食べながら伝えると、味噌汁を手にした桜庭が心外そうな声を上げた。

「どうしてですか!」

「いや、だってそりゃそうだろ、ミスじゃないのに毎日のように声かけられたら、おっちょこちょいくらいは思うだろ」

 実際、「おっちょこちょい」と言っていた。桜庭はぐぐ、と言葉に詰まったような顔をして、「それは、そうですが」と唸る。

「会話の糸口が見つかんねーんなら、何か足立の好きそうなものとか調べてみたら? 足立、お笑い番組よく見るって言ってたぞ」

 共通の趣味を持て、と言うと、うう、と唸りのような声を上げて、桜庭の箸が鯵を突いた。



 桜庭が愉快なのは、あんなに神経質でとっつきにくいのに、総務課の足立の事をどうやら好いているらしく、毎日健気にアタックしていることだ。

 足立は営業部から総務部に来た社員で、営業出身なだけあって人当たり良く気さくだ。桜庭と違ってとっつきやすく、慕われやすい。

 桜庭曰く、足立は「自分の憧れ」なのだそうで。

 それが恋情なのか尊敬なのかは知らない。言えることは、桜庭はどうやらひとまず「足立のお友達」になりたいらしかった。

「先輩! 見てきました!」

 お笑い番組を勧めた翌日、いつもの時間にコーヒー片手に表れた桜庭が、少し興奮気味にこちらに寄ってきた。

 いつもと違う様子に首を傾げると、桜庭は「昨日の爆笑スタジオですよ! 見てないんですか?」と怪訝な顔をする。それに、俺は曖昧な顔をした。

(見ろって言ったから早速見たのか)

 まさか本当に見るとは思わなかった、と、感心する。桜庭は「めちゃくちゃ面白かったです!」とやや興奮気味に俺の方へ詰め寄った。

「特にナンジャニンジャって方たちが本当に面白くって」

 顔が近くなったせいで、熱弁する桜庭の目の下がうっすら黒ずんでいるのを発見する。気になった芸人を見つけた勢いで、徹夜で調べたのかもしれない。

 コーヒーの紙コップを手にしたままわあわあと捲し立てるものだから、俺は桜庭の肩をぐっと掴んで距離を取った。

「桜庭、落ち着け」

「でも」

「いいから、まずはコップをデスクに置け。それからコートを脱げ。いつもの通りにしろ」

 はっとして桜庭はコップをデスクに置いた。そのまま、おろおろした様子で鞄を机の上に置く。

「桜庭さん、昨日の爆スタ見たんです?」

 その時だった。

 ひょい、と入り口から顔を出した足立が、桜庭の方に寄ってきたのだ。

 桜庭は見てわかるくらいぴしりと体を硬直させて、ぎこちなく俺の方を見た。俺を見るな、足立を見ろ。

「面白かったですよね~! さっき聞こえたんですけど、ナンジャニンジャのコントまじで神回だったし」

 うんうん、と、足立は桜庭の様子など気にせず話を続ける。そのまま会話をすればいいのに、先ほどの勢いを無くした桜庭は足立と俺とを交互に見てばかりだ。

「次回は大御所回なんで、今から楽しみですよね~! っと、それじゃ!」

 足立は機嫌よく話し終えると、あ、う、と言葉らしきものを発せずにいる桜庭をそのままに、自分の席へと向かっていった。もっとも、二つ隣の島なので遠くはない。

 深く、深く俺はため息を吐いた。

「……桜庭」

「……はい」

 呆けた様子で返事をする。一応、返事をするくらいの理性は残ったようだ。

 恐らく足立と仲良く盛り上がるために調べただろう、芸人の話など一言もできなかった。完全敗北である。相手の反応を気にせず話続けられるのは、さすが営業出身と言ったところか。桜庭の隈が一層色濃くなった気がした。ぐったりとした様子に顔を顰める。

「辛かったらお前、今日早引きしてもいいぞ」

 さすがに少しばかり可哀そうになって、問いかける。普段ならそつなくこなすのに、足立相手はポンコツな男だ。

 桜庭はゆっくり首を振ると、「いえ……」と小さく首を振った。その、視線がもう足立の方へ向かっていたので。

 話せなかった自分、より、足立が自分から桜庭の元にやってきた、ことに重きを置くことにしたらしい。まあそれで復活するのなら構わないが、ぶつぶつと「次こそは盛り上がるために毎週録画を……過去回を視聴するには……」と作戦を練り始めるのは、少し怖い。

 怖いと同時にやはり桜庭春翔は愉快な男だと苦笑した。

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