花は紅く咲くのか

夢月七海

花は紅く咲くのか


「ほんっとにムカつく」


 私がそう絞り出すように言うと、向かいに座る桜子はは苦笑を浮かべた。

 テーブルでは、網の上に載ったお肉が良い感じ焼けている。煙は殆ど無いけれど、食欲そそる匂いがずっと鼻をくすぐる。他にも、ジョッキの生ビールに茶碗一杯の白米と、最高の状況なのに、私は怒らずにはいられない。


「相方と付き合ってるの? って、アホみたいな質問、なんで毎回毎回答えなきゃいけないのよ」

「まあまあ。男女コンビなんだから、知らない人に紹介するにはそこが入り口なんでしょ」

「でも、絶対に必要ないでしょ? カップルコンビだったら、こっちから言う訳だし」


 桜子が宥めてくれるけれど、私はそれでもぶーたれてしまう。良い感じにやけたお肉をひっくり返していても、不満は収まらない。

 養成所を出てから三年目、私達の漫才コンビ・あずきじまは、やっと劇場入りできた。これから、たくさん舞台に出て、漫才の精度を上げて行って、賞レースに結果を残していこうと意気込んでいたのに、トークコーナーでは例の質問をされてしまう。


「でも確かに、千春はいつも言ってるからね、萱田かやたはタイプじゃないって」

「うーん、そういう話じゃないんだけどなぁ」


 今度は私が苦笑して見せるけれど、彼女はぴんと来ていないらしく、小首を捻る。

桜子は、同期で同い年で、話やお笑いのセンスも合うけれど、女性コンビだからなのか、男女コンビの悩みは共有できない歯痒さがある。


「なんか、男女が二人並んでいるだけで、『カップルだ!』と言われるような短絡さが嫌なの。桜子だって、ただの男友達と一緒にいる所を、『お熱いねぇ』とか言われたら、ムカつくでしょ?」

「あー、その気持ちは分かるかも。そういう野次を飛ばす人は、今時いるか分かんないけど」

「それはいいのよ、例えだから。でも、私が萱田に恋するなんてありえないと思うよ? 相方のことが好きになったら、絶対パフォーマンスが落ちるじゃん」

「あ、今、全国の夫婦めおとコンビを敵に回したよ」


 焼肉をぐみぐみ噛みながら説明すると、桜子は私の言葉尻を取って、にやにや笑った。可愛い顔して、彼女はそこそこ性格が悪い。それをネタやトークに反映させればいいのにと思う。


「私だったら、上手くいかないだろうなーという話。相手のことを気にして、ネタ合わせとかロクに出来るわけがないから」

「それは、千春が恋に夢を見過ぎているだけだよ。職場に恋人がいる人だって、分別をちゃんとして、働いているから」


 桜子の指摘に、ぐぐっと言葉が詰まる。確かに、恋人ができたことのない自分は、もしもそうなったら……という所に、夢を見過ぎてしまっているような気がする。

 上手い切り返しが思いつかないので、皿とグラスが空っぽになったのにかこつけて、メニューを開き、「何か注文する?」と質問した。桜子もそれに乗って、新しい注文をした後に、彼女が口を開いた。


「そんで? 実際どうなの?」

「何が?」

「萱田のこと、好きなの?」

「はあ?」


 煽ごうとしていたビールのジョッキを叩きつけて、目を剝く。この子、恋バナばっかするほど脳内お花畑だったっけ? と呆れてしまう。

 萱田とは、養成所で出会い、紆余曲折あってコンビを組んだ。お互いに信用しているのはそのセンスだけで、プライベートのことは全く話さない、今時珍しいぐらいなビジネスライクなコンビだ。


「私と萱田の関係、知ってるでしょ」

「そうだけどね、でも、実を言うとね、萱田、結構女芸人にファンが多いよ」

「え、そうなの? あの顔で?」


 頭の中で、萱田の顔を思い浮かべる。ぬぼっとした「のっぺらぼう」といじられるような、薄顔が、もてはやされるなんて考えられない。


「顔のファンはあんまりいないと思うのよ」

「サラッと酷いこと言うね」

「でも、萱田って、意外に紳士的じゃない。女性に対する容姿いじりとかしないし。そこが信頼されているっぽいよ」

「いやー、あれは、アイツが人間に興味が無いからだと思うよ」


 ビールをぐびぐび飲みながら、でも、そういう見方も出来るのかと感心していた。

 女芸人でも見た目や体を張ることではなく、ネタで勝負する人が増えてきた昨今だけど、劇場では、「ブサイク」「デブ」とか、そんな言葉がそれなりに飛び交っている。その為、萱田みたいに、見た目なんてどうでもいいと思っているタイプが支持を集めるという、逆転現象が起きているようだ。


「とはいっても、あくまで『結構』だからね。あいつのファッションがありえないとか、名前を覚えてもらえないとか、先輩を陰でき下ろしているから近付きたくないとか、毛嫌いしている方が多いから、一応念のため」

「あんた……ほんといい性格してるよ……」


 焼いた肉をサンチョで巻きながら、テンポよく悪口を言う桜子に、心底呆れてしまう。一方私は、そういう萱田の悪い面も、面白くなるための個性だと捉えていた。


「じゃあさ、もしも、万が一、億が一、萱田のことが好きになったら、千春はどうするの?」

「コンビ解散する」

「潔癖だねー」


 何が可笑しいのか、桜子はけたけたと笑った。口周りが、焼き肉のソースで汚れている。

 彼女の指摘通り、私は、お笑いを神聖なものと捉えているのかもしれない。「恋をしたら、面白くなくなる」なんて、時代錯誤なことを考えているのは私の方だ。


 ただ、萱田のことが好きになったら、今までのように、白熱するようなネタ合わせとか、激しく叩くようなツッコミは、出来なくなるという予感がある。

 そんなこと、萱田だって望んでいないから、解散が一番だというだと思った。






   □






 劇場の出番まで、あと二十分。私と萱田は、人通りの少ない廊下でネタ合わせをしていた。

 この公演で、新ネタを下ろす予定だった。自分たちの武器である、激しくてテンポの速く、喧嘩のようなやり取りを繰り返しながら、精度を上げていく。


「……よし、ちょっと休憩しよう」


 萱田の一言に頷き、お互いに壁の近くに置いていたペットボトルをそれぞれ手に取る。自分のミネラルウォーターを飲もうとした時、なんとなく隣を見た。

 スポーツドリンクを飲む萱田の横顔。目は細いから気にかからなかったけれど、意外と鼻筋は通っているような……。首の筋が、結構セクシーなような……。


 はっとして、彼が気が付く前に目を逸らした。何の気の迷いなんだ。私のタイプは、くっきりはっきりのハリウッド俳優タイプなのに。

 昨日、桜子と焼き肉に行った時の話が尾を引いているのかもしれない。ミネラルウォーターをぐびぐび飲みながら考える。周りからの指摘で、今までどうでも良かった相手が気になってしまうのはよくあることなんだから。


 ……でも、これが気のせいなんかじゃなくなって、本当の恋心になってしまったら、どうしよう。私のことを信じて、コンビを組んでくれた萱田への裏切り行為になってしまうのではないだろうか。

 コンビを組む直前、萱田に宣言したことがある。「私がもしも恋をしたら、芸人を辞める」と。それくらいにお笑いに対して本気だということを、萱田も感じ取ったのか、「分かった」と返してくれた。


「そろそろだな」


 萱田は腕時計で時間を確認して、舞台の方に歩き出す。彼が遠くになってしまう前に、「ねえ」と声を掛けていた。


「何?」

「私が芸人を辞めたいと言ったら、どうする?」

「え? 恋したのか?」

「いや、そう言うのじゃなくて、もしもの話」

「もしもの話なら、今はしなくてもいいだろ」


 萱田が驚くほど爽やかに笑ったので、私はきょとんとした。


「俺が、お前と本気で漫才を続けたいなら、何が何でも止める。でも、俺にも心境の変化があって、お前の人生を尊重したいと思ったのなら、諦める。どっちになるかは、その瞬間にならないと分かんないな」

「そっか……」


 小さく頷くと、萱田はあっさりと背を向けて、舞台の方へと歩き出す。自分の言いたいことは十分に伝えたと言いたげな雰囲気だった。

 他人に興味が無い分、柔軟な対応ができるのが、萱田の人としての魅力だ。そういう所が、相方としての好きな所なんだろうなぁと自分が彼にベタ惚れなことを確信して、笑みが零れた。


 ……舞台袖でしばらく待機して、前に舞台に立っていた、桜子と珠美のコンビ・チェリーブロッサムボンボンが戻ってくるのに、「お疲れ」と声を掛ける。すぐに、あずきじまの出囃子が流れ出したので、それに合わせて出ていく。

 自己紹介、掴み、話題の提供、ボケ、ツッコミ。全て、恐ろしいくらいにスムーズだ。満員のお客さんの笑い声が、うねっているのが聞こえる。


「何言ってんだ! 赤ちゃんはコウノトリが運んでくんだろ!」

「そんなわけないでしょ! 保健体育の時間、全部寝てたの!?」


 渾身の下りが決まり、天井が突き破るくらいの笑い声が届く。

 あ、私、生きてる。そんな実感が湧き上がる。こんなエクスタシー、多分、恋愛でも感じられない。


 未来のことなんてどうでもいい。私が、萱田に恋するかもしれない。それ以外の理由で、芸人を辞めたくなるかもしれない。

 でも、今の私達には、今しかない。二人だけで、千人以上のお客さんを笑わせる。この瞬間が全てだ。


 たった四分のネタを、全力で、私達は走り抜けていった。





































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