いつか笑い話にして

葉月りり

第1話

「貧血がひどいですね」


血液検査の結果を見ながら、医者は言った。


「これ以上悪くなると日常生活に影響が出てきますよ。是非、手術をお勧めします」


あー、とうとうお勧めされてしまった。覚悟するしかないか。しかしこの若さでかー。今年のリフレッシュ休暇はこれに使うしかないな。


 入院案内のコーナーで種々の説明を受ける。いくつもの書類にサインをして前金を払って、入院セットなるものを買わされる。歯ブラシ、コップ、箱ティッシュ…丁字帯、生理用ナプキン…噂には聞いていたがやっぱりそうなのか。いや、治療に使うものだ、気にするな。


「こちら、多分足らなくなると思われますが、その時は売店で購入できますから」


いやいや、ネットであらかじめ買っておこう。


 彼女には実家で用事が出来たってことにした。「一緒に休みをとって旅行しようかと楽しみにしてたけど、しょうがないね」と言ってくれた。


入院前日、急に彼女がうちに来た。


「明日出発でしょ。これ、最近話題のお菓子なのよ。よかったら実家にお土産にして」


何やら可愛らしい紙袋を差し出しながら部屋に入ってきた。


「あら、実家に行くにしては大荷物ね。ん? これ何? 検査食って」


手術までに大腸を空っぽにするための検査用流動食、テーブルにおきっぱなしだった。あー、見つかってしまった。


「ゴメン。心配かけたくなくてウソついた。実は、1週間ほど入院することになったんだ」


「えー、何も隠さなくたって。どこが悪いの? 隠すなんて、もしかして重病なんじゃないの?」


「いや、そんなことないよ。退院後はすぐにいつもの生活が出来るから、ホント、心配ないんだ。ちょっと悪いところ取るだけ。キズもつかないし」


「あ、内視鏡手術? 胃にポリープでも出来た?」


「ああ、それそれ、ちょっと健康診断で引っかかって。念のために取るって程度だから。ただ、2、3日絶食でそのあとお粥から慣らすって感じ。で、その間点滴で投薬なのかな」


医療ドラマで見た知識総動員で説明する。


「ポリープだったらウチのお父さんも取ったことあるよ。もっと入院短かったけど。大門未知子の手術だったら心配ないのにね。あ、内視鏡だと加地先生のほうか」


彼女は定番医療ドラマを持ち出して笑っている。ウソをウソでカバーしてしまったが、よかった、納得してくれたみたいだ。手術が済んだらLINEすると約束して、彼女は帰って行った。


 手術の日、検査食と下剤で腹は空っぽだ。手術着に着替えるが、下半身は何もつけていない。その状態の患者がこの部屋に6人。1人ずつ呼ばれて出て行って、ストレッチャーで帰ってくる。とうとう俺の番が来た。


 手術台に座らされて、手術着を捲り上げられ腰に麻酔を打たれる。その後うつ伏せになると、看護師が2人がかりで俺の体にテーピングし始めた。患部から放射状に周りの肉を外側に広げテープで留めて患部を顕にしていく。治療のためだ気にするな。そこは単なる体の一部だ。恥ずかしくなんかない。留め終わる頃には俺の下半身はどこか遠くに行ってしまった。


 手術はほんの15分で終わった。ストレッチャーで病室に帰ってきて半日くらいで下半身はちゃんと戻ってきたが、その日は身動き出来ないまま導入剤で眠りについた。


 次の日には麻酔の影響は全くなくなったが、痛くもなんともない。これからは朝の消毒だけ看護師がやってくれるが、あとは自分で養生する。食事は高カロリーでとても美味しいが、患部に負担をかけないよう下剤も渡され、1日に何度もトイレに行くことになる。


 トイレでは座浴をする。そして例のものを患部に当てる。風呂は24時間循環の薬湯で日に2回ぐらい浸かる、まるで湯治のような生活。6人部屋では皆同じ日に手術を受けた同志、色々な話をした。看護師さんの噂をしたり、年長者の武勇伝を聞いたり、なかなか楽しく1週間が過ぎた。こんなもんで済むならもっと早く手術を済ませておけばよかったと思った。


 彼女とはLINEで連絡を取っていた。手術後のLINEでは「組織検査したの?」とか、「術後のケアはちゃんとしてくれてる?」とか、医療ドラマに出てくるような会話をした。FaceTimeで顔を見せてとも言われたが、ヒゲもちゃんと剃ってないし、頭もボサボサだからと断っていた。何より、座浴をなるべく多くするようにと言われていたので、なかなか忙しかったのだ。


 退院の日、会社が終わったらすぐに行くと彼女からLINEがあった。食べたいものがあったら買って行くと言うので、ビッグマックをリクエストした。病院ではパンがあまり出なかったので、ハンバーガーが無性に食べたかった。


 彼女が来る前に入院中の洗濯物を片付け、キチンと髭を剃り、レンタルしてもらった座浴器を押し入れに隠した。


 いつもと変わらない俺に彼女はとても喜んでくれて、俺も彼女の笑顔がとても嬉しかった。買ってきてくれたハンバーガーで食事をし、彼女のお喋りを聞く。いつもと同じ楽しい時間、いつもと変わらない…はずだったのだが、2時間もするとさすがに疲れてきた。


「ゴメン、ちょっと疲れたよ。やっぱりまだ少し調子が出ないや。明日から会社にも行かないといけないし、もう休みたいんだけど」


「あ、ゴメン、ゴメン。そうだよね。わかった、もう帰るから。あ、ちょっとトイレ借りるね」


 結局、心配かけて寂しい思いさせて、ウソまでついて、申し訳なかったな。これから長く一緒にいるかもしれない。いつか医療ドラマでももじったネタにして本当のことを話そう。


彼女が、トイレから出てきた。


バターン!


ドアを乱暴に閉め廊下をすごい足音で歩いてきた。眉を吊り上げ、口をへの字にして明らかに怒っている。


なんだ? どうしたんだ? 


「ちょっと! コレ、どう言うこと⁈」


彼女は鷲掴みにしたビニールのパッケージを俺の顔の前に突き出した。


…多い日もモレ安心 羽つき超スリム…


「ああ…」


ため息がモレた。



おわり

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