笑いは難しい
水乃流
笑いは難しい
いわゆる「お笑い・コメディ」に限ったことではないが、特にこの分野は「好き/嫌い」がはっきり現れるものだと思う。生活をともにする家族でも、同じタイミングで笑うとは限らない。あるいは永く連れ添った夫婦でも、一方が面白いと思ったギャグを不快と感じることもあるだろう。
正に十人十色、千差万別であって、たとえ誰でもが知る笑いであっても、万人に受ける笑いというものは存在しないと言っても過言ではないだろう。
そうした違いはどこから生まれるのか。
たとえば「その場の雰囲気」というものはあるだろう。盛り上がっている会場での気の利いたフレーズとか、徹夜で麻雀やっている最中の一言とか。逆に、葬儀の場でのギャグなどは、笑いが起こるどころか眉をひそませる結果になる。
では、相応しい時、相応しい場所だったら、必ず笑いがとれるのか。それも不十分だろう。「およびでない? およびでない? こりゃまた失礼しました~」とギャグを決めても、その場にいる人間が「シャボン玉ホリデー」を知っていなければ、いや知っていたとしてもあの頃の雰囲気を知らなければ、「何言ってんだ、おっさん?」となるわけだ。「ガチョ~ン」とか「当たり前田のクラッカー」とかも一緒。
つまり「誰もが知っている」こと、「共通認識」あるいは「共通の記憶」といったものが、笑いには必須なのではないだろうか。たとえば、世界三大喜劇王と呼ばれるバスターキートンが映画の中で見せた『壁が崩れ落ちてくるが、ちょうど窓の位置にたっていたので助かった』というシーン。壁が崩れてくれば怪我をする(当たり所が悪ければ死ぬ)という「誰でもが知っている」ことが前提にあって、そこから間一髪で助かるというギャップ、スリルからの安堵によって笑いが生まれている。
前述したシャボン玉ホリデーだって、見ていた世代、放送時ではなくビデオなどで見た、再現コメディで見たなどで知っていれば、笑いに繋がる。そうした記憶・体験によって、笑いが生まれるのではないか。
だとすれば、笑いとは時代ごとに変化していくものなのだということだ。だから、コメディ小説を書くなら、万人が知っている事象を扱い、かつ時代の変化に対応できる書き方をしなければならないということで、これはとてもハードなことだろう。そんなコメディがあれば、ハードボイルドならぬ『ハードコメディ』ということになるだろうか。
笑いは難しい 水乃流 @song_of_earth
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