勝負に笑いを持ち込むな

古月

勝負に笑いを持ち込むな

 たん瑞文ずいぶんは江湖の住人だが、侠客とは言い難い。

 武芸の腕は確かである。背に負う長剣は来るものを寄せ付けず、左の飛刀は的確に敵を落とす。しかしながら人付き合いがすこぶる悪かった。常に仏頂面で人と関わろうとせず、宴席など出たためしがない。そんな風であるから人間関係が重視される江湖では浮いており、それどころか遺恨が残りにくい腕試しの相手程度に思われていた。それもまた本人は日々の刺激と受け入れていたのだが。


 その日ばかりはいつもと違った。


「なあなあ、ほんのちょっとでいいからさ、恵んでくれよおっさん」


 路傍の店で麺をすする譚瑞文は箸を止めず視線も向けない。すると物乞いの少年は無理やりに視界に入ろうと食卓に腹ばいになって顔を寄せてくる。


 寄り目に唇をすぼめた変顔で。


「――んぶふぉっ!」


 譚瑞文は盛大にむせ返った。食卓に突っ伏しぶるぶると肩を震わせる。軽く呼吸困難である。


 と、そこへぞろぞろと徒党を組んで歩み寄ってきた者たちがいる。譚瑞文は気管に入りかけた麺をなんとか吐き出し、ほんの少しだけ顔を上げる。

 身綺麗な貴人の装いにキリリとした顔つき、手には刀を携えている。その後ろに付き従う者たちも格は落ちるが似たような質の良い服を纏っている。


「我こそはきょこく。貴殿に腕試しを」


 申し込む、と宣言すると同時に譚瑞文はまたも食卓に突っ伏し震えだした。その姿を見た許克はにやりと口元をゆがめた。


「ほほう、あの千里飛刀の譚殿に名が知れているとは、私も随分と名を売ったらしい。それも名乗っただけで恐れをなして震えるほどとは」


 許克は譚瑞文が自身を恐れて身を震わせていると思ったらしい。

 事実は違う。

 彼らの背後で、先の物乞い少年がどこから盗ってきたのか山査子飴タンフールーを取り巻きの一人の頭に絡めているのが見えたからだ。ひと舐めぶりした飴の粘着力で一つのみならず二つ三つをくっつける。あっという間に女人が長髪を結ったかのようなありさまになった。もちろんやられた側は気づいておらずドヤ顔で譚瑞文を見つめている。

 それが余計に効いた。


「ちちちちちち、ちが、おおおおおおおおお前、お前そのののの……」

「ふん、その長剣は間違いなく千里飛刀だろうに、まさかこんな臆病者とはな。だが邪派の人間をこの俺が見逃すわけにはいかん。さあ、いざ勝負といこう!」


 言うなり剣を抜き放ち斬りかかってくる許克。譚瑞文も殺気を感じ取るやその場を飛び退き左手で飛刀を擲つ。


 が、狙いは大きく外れて明後日の方角に飛んだ。


「あんた金持ちだろ? 恵んでくれよぉ!」

 一歩踏み込んだまさにその瞬間の許克の腰に乞食少年が抱き着き、その腰布を裂いてしまったからである。

 許克はあられもない下着を晒しただけでなく、勢いあまって真正面につんのめった。顔面から食卓へ、それも譚瑞文の食べかけだったどんぶりに顔を突っ込んでしまった。


「んぐふぅっっっっっっっっっっっっっっっ!」


 本当は一息に屋根上まで飛び上がるはずが失速し、譚瑞文は身体を曲げて落下することになった。

 その真下にはどんぶりに顔を突っ込んだ許克がいるわけで。譚瑞文の膝落としが見事なまでにその後頭部を直撃した。


 場はしんと静まり返った。譚瑞文はもう堪えきれなかった。


「ぐっ、ぶわはははははははは!」


 天を仰ぎ涙を堪える。


 譚瑞文は笑い上戸だった。本人もそれは自覚しており、他の人間には何でもない事象でも譚瑞文は笑いを堪えずにはいられなくなる。当然ながら堪えている間は武芸の腕も鈍りまくるため、普段は仏頂面を貫いていたのだが。


 あの乞食少年の好き勝手ぶりがそれをはがしてしまった。


 もちろんそんなことは本人以外に知る由もない。突如呵々大笑し始めた譚瑞文を見て、許克の取り巻きたちは侮辱と受け取った。


「よくも兄貴を!」


 取り巻きたちは各々一斉に武器を抜き放ち、譚瑞文へ襲い掛かろうとする。

 が、彼らもまた許克と同じようにその場にずっこけた。


「なんだこれは」

「服の裾が絡まってるんだ、固結びしてある」

「うげっ、おまえの背中にクソが塗りたくってあるぞ」

「あれ、山査子飴って流行りの髪飾りだっけ?」


 犯人はもちろんあの物乞い少年だ。もみくちゃになる彼らの後方で財布を片手に饅頭を喰っている。その財布はもちろん彼らから掏り盗ったものに違いあるまい。


「~~~~~~~~~~ッ!」


 眼前のしっちゃかめっちゃぶりに我慢できず、譚瑞文は身動きできない。そうこうしているうちに取り巻きたちは動きを妨げていた服の結び目を解き襲い掛かってくる。

 当然、譚瑞文は剣を抜き飛刀を投げこれに応戦しようとする。しかしいまだ笑いを堪えるのに必死で実力を発揮できない。

 結果、中途半端にその場を切り抜け逃げ出す羽目になってしまった。


「なあなあ、おれのおかげで助かっただろ? おひねりくれよぉ」


 街を離れる譚瑞文の後を、物乞い少年はなおもしつこく追いかける。人生一番の恥を晒しそうになった譚瑞文はこれを無視しようとするが、少年は諦めるつもりがないようだ。譚瑞文の前に飛び出しては毎回違う変顔を見せつける。


「やめっ、お前っ……やめろこの野郎!」


 歩調を早める譚瑞文。心の中ではこの笑い癖を克服しようと固く誓っていた。


 彼の二つ名が「千里飛刀」から「笑門飛刀」に変わるのは、それから遠くない出来事である。


(完)

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