焼き鳥

緋糸 椎

🐔

「はい、焼き鳥お待たせしましたー!」

 店員が威勢の良い声で、僕の前に焼き鳥を差し出した。すでにジョッキのビールは半分なくなっている。誰かがインスタで推したらしく、この店は若い客たちで賑わう。友達同士、カップル……いずれにせよ、僕みたいに一人寂しくチビチビやろうなんて輩は他に見当たらない。

 出来たての焼き鳥を頬張っていると、また一組のカップルが入店してきた。年齢は二十代半ば。男はスーツ、女はそれなりにキチンとした服装。仕事帰りという感じだ。楽しげに話しているようで、どこかぎこちない。それでいて、互いの表情には、輝く未来への予感が浮かぶ。

 きっと、まだ付き合っていない。男は前から好意を持っていたが、告白の機会を待っていた。食事に誘ったら、女はインスタで見たこの店がいいと言った。男はこのあと、告白しようと思い、女も期待する。お互いドキドキの状態だ……。


 ──などと他人を見て、勝手にストーリーを作り上げてしまうのは、小説家の職業病かもしれない。いや、職業と言えるほど収入源となってはいないのだが──



 僕が小説家を目指したのは、勤めていた会社の上司との喧嘩がキッカケだった。もうすぐ三十路という頃だったが、ある企画を任されたものの、ことごとく失敗し、断念せざるを得ない状況であった。

「せっかくチャンスを与えてやったのに無駄にしやがって! もうこのままじゃ会社にいられないかも知れないぞ!」

 ふと頭をよぎった言葉が口から出た。

「別にいられなくてもいいです。会社、辞めます」

「はあ? ふざけんな、会社辞めてどうするんだ!?」

「小説家になります」

「え……?」

 さすがの上司も、開いた口が塞がらないようだった、そのうち笑い出すに違いない。ところが彼の反応は意外だった。

「……いいなあ」

「はい?」

「羨ましいって言ってるんだよ。目指すものがあることが。それが若さってやつなんだろうな」

「はあ……」

「俺だって好きなことを仕事にしているわけじゃない。家に帰れば嫁や子供のわがままに付き合わなければならない。つまり何かやろうとしてもやれる暇も機会もないんだよ。……別に応援はしないけど、今のうちに好きなことを精一杯やっとけ」


 その言葉に押し出されるように、僕は本格的に小説家を目指した。

 それまで「ラクヨム」「作家になろう」などの小説投稿サイトに作品を載せたりしていたが、別段大した評価も得られていない。コンテストに応募しても中間選考すら通らない。ラクヨムでのフォロワーが次々と書籍化にありつくも、僕にはとんとそんな話は舞い込んでこない。

 でも、これからはもっと積極的に売り込まなければ。そう思って、出版社に直談判に行くことにした。案の定、たいがい、門前払いだ。コンプライアンスの関係か、言葉遣いだけは丁寧なんだけど。

 そうして悪戦苦闘している内に、とある出版社の編集が作品を見てもいい、と言った。僕は勢い込んで自信作を持ち込んだ。

「うーん、筆力はあるみたいだけど、今ひとつ読者に訴えないと言うか……そもそも文芸は今どき厳しいんですよね。ファンタジーのラノベとか書けませんか?」

「すみません、引き出しがなくて……」

「それじゃ、短編の恋愛ものはどうです? いまちょうど文庫の方で「恋のナイン・ストーリーズ」という恋愛短編集を企画しているんですよ。エモい感じの、お願いします」

「わかりました、何作か書いてみます!」

 そうして僕は恋愛短編をいくつか書き、編集に送った。そして採用されたのは、僕の片思い体験に少し願望を上乗せして書いた「白桃の人」という作品だった。

 

 こうして僕は曲がりなりにも小説家として世間に出た。本屋で「恋のナイン・ストーリーズ」を見つけると、こそばゆい気持ちになった。物影から誰か手にとって読んでくれないかな、などと眺めたりした。

 しかし、小説家気分も長くは続かなかった。あれから出版社からは何のオファーもない。印税もない。小説家になれたつもりでいたけど、結局何者にもなっていなかった。

 でも、夢を見れて、楽しかった。それでいいじゃないか。明日から職を探そう。そう思って入った居酒屋だった。


 件のカップルも注文が済んだらしい。運ばれてくるまで男はソワソワしている。これからどう展開させていくか考えているのだろう。

 女の方は、バッグから一冊の文庫本を取り出した。僕は驚いた。「恋のナイン・ストーリーズ」だったのだ!

「それ書いたの、僕ですよ!」

 ……なとと名乗り出れるはずもなく、ただ様子を伺った。僕の作品「白桃の人」は、前から三番目に収録されている。彼女が読んでいるのは始めの方みたいだが、果たして僕の作品だろうか。

 やがて彼らの席にビールとハイボールが運ばれ、乾杯の後、焼き鳥が運ばれて来た。二人で食べやすいように、男が焼き鳥を串から丁寧に外している。

 ところが、女はその間も本から目を離さない。普通だったら苛つくところを、男はさも寛大にやさしく問う。

「それ、面白いの?」と。

 そして女は答えた。

「うん、『白桃の人』って話だけど、一度読んでみて」


 僕は飛び上がるほど喜んだ。生まれて初めて自作の読者を生で見たのだ! 声をかけたくなったが、それは明らかにお邪魔、馬に蹴られろだ。

 そして思った。

 「白桃の人」は片思いの話だ。相手は職場の花、それも高嶺の花だった。ところが相手の方も主人公に惹かれていくのだが、なかなか気づかれない。そしてその恋が実らぬまま、主人公は会社を去る……そんな話だ。


──一度読んでみて──


 それはもしかして、「白桃の人」のヒロインに自分をなぞらえた彼女の、男へのメッセージかもしれない。どうか、私の気持ちに気づいて、という。


 男よ、気づけ。


 僕は心の中で念じ続けた。


「うん、読んでみるよ」

 そして女から受け取った文庫本を、男は宝物のように読む。また一人、読者が増えた。


 そして僕は、もう少し頑張ってみようかなと思いつつ、焼き鳥を頬張った。

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