アステリオスカレー

埴輪

アステリオスカレー

 僕は最高の食材になるために生まれてきた。だけど、その宿命を果たすことができなかった。命を救われたのだ。それは、本当に命が救われたといえるのだろうか? 僕の命が本当の意味で命になる機会を、失ってしまったのではないだろうか?


 ――それから。僕は人里離れた山の中で暮らすことになった。僕を受け入れる手筈は整っていたようだけれど、僕は一匹で生きていく道を選んだ。そうすれば、いつか僕を食べにきてくれる人が現れるかもしれない。町の中では保たれている理性も、山の中では解き放たれるかもしれない、そう期待していたのだ。


 だけど、僕の願いは、何年経っても叶うことはなかった。このまま、僕は誰に食べられることもなく、朽ち果てていくのかもしれない。事実、肉質のピークは過ぎているかもしれない。一刻の猶予もなかった。今すぐ僕を食べてもらわなければ!


 ※※※


「……それで、私のところに?」


 私はまじまじと「自称・食材」を眺めた。牛頭人身……いわゆる、「ミノタウロス」というモンスター……もとい、獣人である。今時、獣人は珍しくもないが、自分を食べて欲しいと懇願する獣人となると、話は別だった。


「あなたは冒険者であり、食の求道者でもあると、本で読みまして」

「まぁ、もうちょっと、若い頃はね。無茶もしたけど、ほら、色々変わったからね」


 ……正直、私は彼を狙ったこともある。ミノタウロスといえば迷宮の番人だが、食通の間では、牛とは比べものにならないほど美味いというのが通説だったからだ。


 ただ、いくら半分が牛とはいえ、もう半分は人である。あいつには甘いと言われるだろうけれど、私には無理だと断念したのは、もう数年前のことである。


「では、今は違うと?」

「それは、あなたが一番わかってるでしょ? 魔王が倒されて以来、モ……獣人は、共に歩んでいく同志となった。特に、こうして言葉を交わせる獣人はね」

「ええ、存じております。それでも、僕は食べられたいのです。僕はそのために生まれてきたのですから。他に望みはありません。僕はただ、食べられたいのです」

「難儀なものねぇ……」


 ただ、それが彼の本心なのだろうとも思う。価値観は環境と教育によってつちかわれる。食べられることが宿命だと幼少から教え込まれれば、それを自然に誇りと思うようになったとしても、無理からぬ話ではあろう。


「どうか人助けだと思って、ぜひ僕を料理してもらえませんでしょうか?」


 私の店は、お客様の注文に全力でお応えすることがモットーだけれど、それは無理な注文だった。今となっては、自殺の幇助ほうじょもいいところである。ただ、どうにかしてあげたいという気持ちもあって――


「やってやればいいじゃねぇか」

「……気軽に言ってくれるわね、ジャン」


 顔を向けるのも億劫な声の主はジャン。自分と同じ……とは言いたくないけれど、かつて同じ道を生きたこともある、食の求道者である。ただ、私と違って、ジャンは食のためなら何でもする。そう、何でも。それは、昔も今も変わらない。


「あんた、人選を間違えたな。俺に頼めばいい。今すぐにでも――」

「やめて。彼は私のお客様よ?」

「へぇ? なら、叶えてやるっていうのかい? お前が?」

「……場所を変えましょう」


 私は立ち上がり、店にクローズの札を出した。食材調達で留守にすることは多いので、常連さんも許してくれるだろう


「そうか。人気のないころで、ひと思いに──」

「あんたも出ていきなさい!」

 

 私はジャンの背中を蹴っ飛ばそうとしたが、ひらりとかわされてしまう。手を振って立ち去るジャンを忌々しく見送り、改めて、彼を振り返る。


「そういえば、あなたの名前は?」

「名前はありません。ただ、製造番号なら──」

「いきましょう」 


 ――あてはなかった。ただ、気づけば人気のない森の中へと至っていた。それがジャンの言いなりになっているようで癪に障ったが、それ以上に、何も言わず、ただ、じっとついてくる彼にこそ、私は苛立っていたのかもしれない。なぜか、無性に。


「……ご迷惑をおかけして、申し訳ございません」


 ようやく口を開いたと思ったら……私は足を止めて振り返った。彼も足を止め、つぶらな瞳で私を見下ろしている。


「なぜ、私だったの? あいつなら、あなたの願いを叶えてくれたはずよ」

「……それも考えました。彼の食への情熱、執念は、ともすれば、あなた以上かもしれません。ただ、それはただ味のみに向けられている……僕は、そう感じました。一方、あなたは味はもちろん、それを振る舞う客に対して真摯である……それが、お二人の著作を読ませて頂いた、僕なりの判断だったのです」


 それはまさに、ジャンと私の決定的な違い、決別の理由だった。ジャンはただ、自分の欲望を満たしたいだけなのだ。同じ料理という手段を用いても、ジャンと私では求めるものが違ったということだ。私が求めていたのは――


「僕は、僕を食べた人に美味しいと言って欲しい。それが、一番の願いなのです」

「なんだ、それをもっと早く言いなさいよね!」

「え?」


 太く、逞しい首を曲げて見せる彼に、私はウィンクして見せた。 


 ※※※


 オープンの札がかかった私の店には、大勢のお客様が集まっていた。そのお目当ては、余りの人気で、これさあれば、他の料理はいらないとまで言われ、へそを曲げた私が、たまーにしか作らなくなったという曰く付きの、ステーキ用の牛肉を贅沢に使った、牛カツカレー……その名も「アステリオスカレー」である。


 まぁ、それほど喜んで貰えるのは嬉しいけれど、料理人としては、色々な料理で楽しんで欲しいという思いもあって、半ば封印していた料理なのだが、彼の願いを叶えるためには、これ以上に相応しい料理は他になかった。


 だが、笑顔の私とは対象的に、お客様の顔には何ともいえない表情が浮かんでいた。その気持ちはわからないでもなかった。何せ、この料理は――


「こんなに食べにくいのは初めてよ」


 常連の一人、友人でもあるアンナが首を振る。その視線の先には、料理人……ミノタウロスの姿があった。体のサイズに合うエプロンがなかったので、急遽、テーブルクロスを裁断して作ったエプロン姿で、つぶらな瞳をきょろきょろと泳がせている。


「大丈夫! 彼は料理を作るのは初めてだったけれど、私がしっかりサポートしたから、味は保証するわよ!」

「いや、味の心配はしていないんだけど、何というか――」

「言いたいことはわかるわ。でも、人助けだと思って、ぜひ、味わって欲しいの!」

「僕からもお願いします! どうか、皆さん、僕の料理を召し上がってください!」

 

 彼が深々と頭を下げると、お客様は顔を見合わせつつ、アンナが先陣をきって、スプーンを手に、アステリオスカレー、その一番美味しいところ……カツとルーとご飯が絶妙に合わさった一口を頬張る。次の瞬間、アンナの表情が笑顔に変わった。


「う~ん……この歯応え、辛み、サクッ、じゅわ……生きててよかった!」


 アンナを皮切りに、次々と、お客様はアステリオスカレーを口に運んだ。あちらこちらから「美味い!」「最高!」と声が上がったが、何よりも、その表情が雄弁に物語っていた。それをぐるっと首を巡らせながら眺めている彼……正直、獣人の表情はわかりにくいけれど、れでも彼は、とても嬉しそうに見えた。


 ※※※


 大満足のお客様を見送り、私は店にクローズの札を下げた。彼は呆然と立ち尽くし、余韻を反芻はんすうしているかのよう。私はエプロンを外し、彼に声をかける。


「どうだった?」

「……皆さん、とても良い笑顔をしていました」

「でしょ? あなたの料理が、お客様を幸せにしたのよ」

「そんな、僕はただ、教えられた通りにやっただけです」

「そう。私が教えた通り、切ったり、揚げたり、味付けしたり……でも、その全てをなしえたのはあたなの手。それこそが、大切なことなのよ」

 

 彼は両手を広げ、じっと見つめた。実際、初めてとは思えないほど、手際が良かった。それだけ、私の話を真剣に聞き、何より、お客様に美味しい料理を食べさせてあげたいという思いがあってこその、丁寧な、優しい料理だった。


「あなたは食材じゃない。誰かに美味しいものを食べさせてあげたいと、料理の腕を振るうのは人だけよ。あなたはきっと、自分が誰かにしてあげられることは、食材になることしかないと教え込まれて、それを信じていたのだと思う。だけど、あなたは料理を作ることができる。牛カツだけじゃない、もっと色々な、自分で新しい料理を作ることだってできる。それって、素敵なことじゃない?」


 頷く彼に、私は指導しながら考えていたことを口にした。


「あなた、私の店で働かない?」

「え?」

「あなたなら、腕の良い料理人になれる。私が基礎から全部教えてあげるから、大船に乗った気持ちでついてきなさい!」

「……ありがとうございます」

「よし、決まりね!」

「そう言って頂けるだけで、私は――」


 ドシン。彼が倒れた。駆け寄り、屈み、肩を叩き、耳元で呼びかけても、反応はない。全て止まっていた。呼吸も、鼓動も、何もかも。


「限界か」

「……限界? 限界って何よ!」

 

 私は立ち上がり、ジャンの胸ぐらを掴み上げた。


「食材がそう長生きできるはずないだろう?」

「そんな……」

「そいつだってわかっていたはずだ。だから、料理にしてもらいにきたんだろう?」

 

 ジャンは私の手を払いのけた。彼に近づき、身を屈めると、その頭に手を載せた。


「何を――」

「物は相談だ。この新鮮な食材を、俺に――」 

「帰って」

「おいおい、独り占めはないんじゃないか?」

「帰ってよ! ここには、私の従業員しかいないわ!」

「従業員、ね。名前もないってのにさ」


 ジャンは立ち上がると、「またな」と手を振りつつ、店を出て行った。悪気があるわけじゃない。単に、味にしか興味がないだけなのだ。だからなおのこと、たちが悪かった。そんなジャンも、良いことを教えてくれた。そうだ、彼には必要なものがあったのだ。私は彼の傍らで膝を突き、呼びかけた。

 

「あなた、最高の料理人になれたわよ。アステリオス」

「……それは、私の名前ですか?」

「ふぇ?」

 

 思わぬ返事に、変な声が出てしまう。彼の……アステリオスの停止していた呼吸も、鼓動も、その全てが動き始めていた。身を起こし、座り込むアステリオス。


「あなた、どうして……」

「僕にも、何がなんだか……」

「良かった、本当に良かった!」


 私はアステリオスに抱きつき、奇跡に感謝した。


 ※※※


「どうせ、奇跡に感謝とか思ってるんだろうな」


 ジャンは右手を眺めながら思った。新鮮な食材というのは、要は死にたての死体ということであり、鮮度を追求するなら躍り食いが一番なのだが、口に出来る大きさの生き物でなければ難しい。それに、大きな食材は、生きていると運搬も一苦労だ。眠らせたり、仮死状態というのも一つの手だが、より鮮度を高めるにはどうするか……そこで、ジャンが辿り着いたのが、太古に失われた秘術、蘇生の御業であった。


 生きていられるほど肉体を活性化させる。その過程で、異常を正常に反転させる。生き返ったところで、病魔に冒されていては、良い味にはならない……そう、全ては食のため。美味いものを食べるためなら何だってやるのが、ジャンという男だった。

 

「俺やあいつ以上の料理人にならなかったら、食ってやるからな」


ジャンは右手を握り締め、にやりと笑った。

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アステリオスカレー 埴輪 @haniwa

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