れんむすびスペシャル

あらたにみのる

第1話 和尚のさんかくむすびめし

キシリ、と足元の床板がゆるやかに軋み声をあげる。


本堂の正面入り口に向かうため、これをぐるりと囲む回廊を、和尚(おしょう)は白い足袋に包んだ足で歩を進めていた。

足もとから響く軋む音に混ざって聞こえてくるのは、さあああ……とまるでカーテンを引いているかのような雨音だ。

キシリ、キシリ、とゆっくりと床板を踏みしめながら、視線をちらり、眼下の庭の方に向けた。

視線を向けた先には、池の岩淵に沿うように白い百合の花が植わっている。晴れの日にはその清廉な色合いの花弁を本堂のあるこちらの方向に向けているが、今はこの長雨に打たれ続けたせいか、その細長く可憐な花弁をだらりと地面の方に向いてしまっている。

その姿が、今まさに和尚が探し求めている幼子の姿と重なって見えた。


しとしとと雨が降り続ける日。あの子の居場所は決まってあそこだ、と和尚には見当がついていた。


本堂を囲うようにしてある回廊の突き当りまで到達し、右に曲がると、探し求めていた人物がそこにいた。


表門から本堂につなぐ入り口の階段の最上段に座り込み、本堂の仏像を背にして座り込む小さな影。

白い上衣を身にまとい、立てひざの間に頭を埋めているさまは、さながら先ほどの雨に打たれた白百合の姿とまるで同じである。

きゅっと頑なに身を縮めるその姿に、どこか声をかけることを憚られる雰囲気を漂わせていた。

しかし和尚は、その様子に臆することなく柔らかく少年の名を呼ぶ。


「…………蓮(れん)」


その名を口にすると、丸まっていた小さな肩がピクリと震えた。そして、おずおずとこちらにゆっくりと顔を向ける。


「あ……和尚さま……」


舌足らずな声でそう呟くのは、あどけなさの目立つ齢5歳程の少年だ。どこか脅えたような、困惑したような表情で和尚を見つめている。

蓮が見つめる中、和尚はそのまま蓮の傍らまで歩を進め、横に並ぶように同じように階段の最上段に腰掛けた。

和尚の様子を無言で見つめていた蓮であったが、その蓮の視線に気が付いた和尚に見つめ返されると、遠慮がちに睫毛に陰を落とし、再びその顔を膝の中に埋めた。

その小さな背中からは、ひしひしとした寂しさのような、人恋しさのようなものが滲み出ている。


————無理もない。

少年——蓮——がこうして寂しさといたたまれなさに追い込まれるのは、無理からぬことであった。

それが特に、このような雨が降る日には。


和尚の脳裏に、あの嵐の夜のことがよぎる。


突如乱暴に叩かれた表門。

脅える門弟たちを押しとどめ、門を開く。

扉の先には、びっしょりと濡れたボロに身を包む、無精ひげだらけの男。

ボロからちらりと見えた男の胸元には、罪人だということを示す焼印。

焼印を目にした門弟たちは、不浄な存在を排除しようと慌てて男を扉から押し出そうとする。

それをやんわりと押しとどめ、和尚が男の前に進み出る。

ハッとした表情で、和尚を見つめる男。

「すまねえッ、和尚さん!!!!」

男が決死の表情で、懇願した。

「こいつを、頼むッッ!!!!」

それだけを言い残し、男は止めるも間もなく暗闇の嵐の中に消えていってしまった。

あまりに突然の出来事に茫然とする僧たちの足もとに、ちょこんと小さな少年だけが置き去りにされていた————




「ぼく、悪い子だったのかな……」

ポツリ、蓮が独り言のように呟く。

相変わらず、その蓮の顔を膝の中に埋もれたままだ。

蓮……と住職が呼びかけると、ようやっと遠慮がちに蓮は膝から顔を抜いた。そして隣で座している和尚を見上げると、目尻に深いしわが刻まれた大きな笑顔に迎えられた。


「おなか、すいていないかい?」

突然そう問われ、ゆらり、と蓮の瞳がわずかに揺れる。

しばらく逡巡するように見つめ返した蓮だったが

「……ううん、大丈夫です」

首を横にふるふると振り、きゅっと唇を横一文字に結んだ。

それも束の間——————


くぅううううう~~……


まるで子犬が甘えたような声で鳴いているような音があたりに響き渡った。

蓮の腹の虫が、本人の言葉とは裏腹の返事をしてしまったようだ。

「…………!!」

その正直な腹の虫に、蓮は強烈ないたたまれなさに駆られ、ガバリと再び顔を膝の中に埋めてしまった。

恥ずかしさとやるせなさに火照った両頬の熱さを顔を挟んだ膝で感じながら、蓮は和尚に腹の虫を笑われてしまうのではと思い、ぎゅっと目をつむった。

……しかし、いくら待てども傍らにいるはずの和尚は、黙したままだ。

今か今か、と蓮は笑われるのを覚悟しながら聞き耳だけを立てた。

すると、スルスルという袈裟の衣擦れの音が聞こえてきたかと思うと、今度は床板が軋む音が蓮の耳に入ってきた。

そしてその床板の悲鳴は、一歩、また一歩と少しずつ蓮から離れていくようだ。

ハッとして顔を上げると、蓮の視界には、既に和尚の姿はなかった。和尚は既に回廊を曲がっていってしまったようである。

何も言わずその場を立ち去ってしまった和尚の様子に、蓮の心がざわざわと騒ぎ始める。

(どうしよう…………)

蓮は先ほどの自らの発言を後悔しはじめた。

(おなかの音がなってるのに、おなかが空いてないなんて嘘をついてしまった!)


————今度こそ、父ちゃんにだけでなく和尚さまにまで嫌われてしまう……!!

そうしたら…………そうしたら、ぼくの行くところなんてあるんだろうか…………


思考の渦中にいたせいであろうか。

和尚が蓮の傍らにまで戻ってきていたことに蓮は気付いていない様子であった。

「蓮」

再び名前を呼ばれ、蓮は先刻よりも大きく肩を震わせた。

驚きながらも蓮はバッと傍らに立つ人陰を見やると、先ほどと同じように、和尚はまたヨイショと言いながら蓮の隣に腰掛ける。

そして……

「はい」

蓮の目の前に木盆が差し出された。

困惑した表情を浮かべながらも、蓮はその木盆をおずおずとそれを受け取る。

その瞬間、蓮の鼻腔をかすかに撫でたのは、香ばしい醤油の香り。

蓮は無意識に小鼻を小さくピクピクとさせながら、木盆の中身を覗き込む。

さんかくの山型をした馴染みのアレ。

————握り飯だ。


白い皿の上に、おおぶりの握り飯が三つ並んでいる。

そしてそのさんかく山のてっぺんは、つやつやとした白い色ではなく、少々煤けた(すすけた)、こんがりとした茶色い頭をのぞかせている。

先ほどの鼻腔をかすめたこんがりと少し焦げた香りは、どうやら醤油のようだ。

つまりは焼きおむすびである。

しかしその握り飯の両面に、蓮にとっては見慣れないものがくっついている。

蓮はその正体を確かめようと、木盆を床板に置き、握り飯が載る白いお皿をよくよく見ようと近づける。

醤油で焦がしてあるとはいえ、ふっくらつやつやと、ひとつひとつが宝石のように並ぶさんかくのコメ。

そしてこの、握り飯の側面にひっつている、薄くスライスされた、いくつもの穴があいているものは……


「食べてごらん」


まじまじと握り飯を観察する蓮を愉快そうに見守っていた和尚が、蓮に声をかける。

そう促され、蓮はとにもかくにも、さんかく山をてっぺんから齧ってみることにした。


ガブっ!!


大口を開け、両手でつかんだ握り飯を一気に半分のところまでかぶりつく。

蓮は頬が膨らむほどに口いっぱいにこれを頬張る。


はじめにやってきたのは、馴染み深く香ばしい、少しほろにがい醤油のふわりとした風味。

コメは、もち米が混ぜられているのだろうか。ほろりと柔らかく、しかしもっちりとした弾力がある。

さらに———————


……シャクっ!!  


一瞬蓮の眉が、驚いたようにクイっと持ち上がる。


……シャクシャクシャクシャク…………


思いがけないその少しごつごつとした食感に、蓮は目を白黒させた。

和尚がその蓮の様子に、フっと溜め息のような笑みをこぼす。

シャクシャクした音がやみ、コクン、と喉をならして口の中のものを飲み込んだ蓮は、その握り飯の両面にひっついているスライスされたものをもう一度よく見ようと、今しがた齧りついたばかりの握り飯を鼻の前まで掲げ、両目を中央に寄せて改めてしげしげと眺めはじめた。


先ほど齧りついた部分のせいか、一部かけてはしまっているが、もともとはまあるい形だったようだ。

そのまあるい形の中に、更に小さな穴が複数空いている。

蓮は馴染みのないその物体を見つめ、小首を傾げた。

その蓮の様子を眉尻を下げて見守っていた和尚が、口を開く。

「…………蓮。それはレンコンという野菜だよ」

「れんこん……?」

蓮はオウム返しの様に、その聞きなれない単語をくり返す。

「そう。サクサクしてただろう」

和尚にそう問われ、コクコクと蓮は頷く。

そして何かまた何か語ろうとして開きかけた和尚の口元を、蓮は両手に齧りかけの握り飯をつかんだまま、じっと見つめた。

自らの話に、警戒心を解き耳を傾けようとする蓮に、和尚は穏やかに微笑みかける。


「レンコンのレンとは、君の名前のことなんだよ、蓮」

そういう和尚が見つめ返す先の蓮の表情は、和尚の言葉がよく分からないという面持ちだ。

フ、と笑みをこぼし和尚はその蓮のふわふわした柔らかい黒髪を撫でる。

蓮は、くすぐったそうに目を細めた。

「蓮、見てごらん」

おもむろに和尚は、今まで背を向けていた本堂を振り返り、その内部を指差した。

差した方向へ視線を辿ると、そこにはこの寺を象徴する大きな大日如来が鎮座している。仄暗い本堂の中であっても見事に金色を放つその姿は、幼い蓮にとっても荘厳さを感じられる存在であった。

そして和尚の指先は、その大日如来が鎮座している足もとを示していた。


「……お花……?」


大日如来が座しているその台座には、まるで大日如来の足もとを包むかのようにいくつもの花弁がかたどられている。

蓮の言葉に、和尚はゆっくりと頷いた。

「そう……。あれは、ハスという花だ」

そして和尚は視線を、台座から外し、傍らで握り飯を掴んだまま固まっている、蓮の方へと向けた。

未だにきょとんとした様子の蓮に、和尚は続ける。

「ハスの花はね、泥の中に咲く花なんだ」

「……どろ…………」

その単語に、蓮は顔色はサッと色を失った。


(ぼくは……やっぱり、どろのようにきたなくて、ダメな子なんだ……)


再び蓮は顔を俯かせる。

その蓮に語り掛けるように、和尚はひときわ語気を強めた。


「そう。そしてハスの花は、それは見事にきれいな花を咲かせるんだ」


きれいな花……

その言葉を耳にし、蓮はゆっくりと和尚の顔を見上げる。

和尚の瞳には、深い慈しみの色が刻まれていた。

自分の顔を不安そうにのぞき込む蓮に、和尚はさらに言葉を続ける。


「蓮……君のお父さんは、確かに何かを罪を犯したのかもしれない……」

和尚の脳裏に、あの夜ちらりと見えた男の胸元の焼印がよぎる。

でもね、と言葉をつなげる。 

「きみのお父上は、そんな世界に染まらずに、清らかにで元気に育ってほしいという思いを 【蓮】という名に託したんだと、私は思うんだよ」

蓮の両目が、わずかに見開かれる。

「父ちゃんが、僕を思って……?」

少々難解な言い回しになってしまったにも関わらず、蓮は和尚の言わんとする最も重要な内容を把握したようであった。

心なしか、少し嬉しそうに頬を緩ませた表情を浮かべている。

そして今度は、手の中の握り飯のレンコンにキラキラした視線を送り出した。


その様子をほほえましく見守った和尚だったが……


「あ……」


和尚が何かを思い出したように、小さく声をあげる。


その和尚の声につられ、蓮は顔を握り飯から顔を上げ、和尚の方を見つめる。

蓮が見つめた先の和尚は、なんだか少し照れたような、はにかんだ笑みを浮かべながら頬をぽりぽりと掻いている。蓮は小首を傾げながら、先を促すように目線で問う。

んん~~……と一瞬だけ虚空を見上げ考えた素振りを見せてから、和尚は口を開いた。


「……おむすびは、僕の気持ちかな」

そう言われ、いよいよワケが分からないといった表情を浮かべる蓮に、和尚はふ、と笑みを浮かべる。

「おむすびの【むすび】とはつながり、という意味だ。つまり……」

一息おいて、和尚は今度はにっこりと大きな笑顔を蓮に向けた。

「————つまり、蓮。わたしは君と、家族のようにつながりたい、という意味だよ」

————家族のようにつながりたい————


思いがけない告白に、蓮は口をパクパクさせた。

そして今度は、レンコンおむすびと和尚を交互にまじまじと見つめ始めた。

その蓮の口元は、だんだんと、にぃぃぃと嬉しそうに上がっていく。

そしてその蓮の様子につられ、和尚の顔にもさらにニイィっとひと際大きな笑顔を咲く。


「だからこれは、蓮と、お父上と、私。三人のご縁を結ぶ 【れんむすびスペシャル】 といったところかな」


蓮は手元のおむすびを見つめた。

「ぼくと、とうちゃんと、和尚さんのおむすび……」

そう呟くと、より一層顔を輝かせ—————


ガブリっ!! 


と勢いよくかぶりついた。


口の中いっぱいに溢れる、もちもちとシャクシャクの食感。

それから、蓮と、父と、住職の三人の思いがコラボした、特別なおむすび。

それを口いっぱいに頬張ることで、蓮はここでの生活をはじめて以来、初めてたらふくのご飯を口にすることが出来た。










——————それからしばらく。

れんむすびスペシャルをいたく気に入った蓮により、連日このメニューばかりをせがまれるせいで、門弟から「栄養についてもちゃんと説明してください!!」と小言を言われる羽目になったのは、また別のおはなし。

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れんむすびスペシャル あらたにみのる @Aratanaru08

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