判別不能

染井雪乃

判別不能

 遠野とおのかなめは、実にわかりやすい容姿をしているとよく人に言われる。格好いいと評価を受けることも少なくなかった。

 自分ではよくわからないなと思っているが、そうまで言われ続ければ、そう見えていることくらいは、理解する。

 それは他人の好きにさせておけばいいと思っているが、「イケメンだから」なんて理由で弟の専門学校の学校祭の出し物に出てほしいと招かれたのは、正直言って困る。

 カットモデルだから、別にウォーキングしないといけないとかそういった事態は発生しない。それでも、困ることは困るのだ。

 初めての人々にたくさん会うのも、自分の専攻の話が通じないであろうことも、全部が要の苦手要素だった。

 メイクやファッション、美容の専門学校に通う弟は、要の相貌失認を知らない。兄は物理にしか興味がないから、人間の顔を覚えられないのだろう、くらいに考えているだろう。

 要も、弟に説明するつもりはない。弟に相貌失認を理解できる頭があるようにも思えないし、要は説明で疲弊したくない。

 テレビのない部屋をざっと見回して、要はため息をついた。弟だって苦肉の策で頼ってきているのだろうし、兄として多少は力になってやるべきだ。

 多少頭の足りない弟だが、兄としての情はそれなりにある。


 入口で手渡された、専門学校の学校祭のパンフレットを開いてみると、お笑い芸人だかタレントだかの来校がでかでかと宣伝されていた。テレビを観ない要は、そのお笑い芸人だかタレントだかの知名度はわからない。

 まあ、そこそこファンはいて、集客できるのだろうとぼんやり思った。

 大学とはまた違った雰囲気だな、と専門学校の教室の展示や体験コーナーを眺めながら考えた。研究機関の大学と、職業技能を伸ばすための専門学校では、雰囲気が違うのも、当然だ。しかし、要にとっては未知の世界だった。

 キラキラした笑顔の男女に押し切られ、ネイルを施された指は、要の指ではないように思えた。

 時間も近づいてきたので、指定された待機室へ向かい、一息ついていた。

 やはり、ああいう騒がしさは苦手だ。要は深くため息をついて、馴染みのあるものを読もうと、有名科学雑誌のサイトにアクセスした。

 その瞬間、騒がしさを纏った女が、部屋に飛びこんできた。

 茶髪に赤のワンピース。それだけならこの学校でよく見かけるが、持っているバッグが何とも特徴的な形をしていた。

「あれ、間違えた?」

「どなたか存じませんが、15時からのヘアカットの出演者でないなら間違いかと」

「うわ、ごめんなあ、出番前に。って、あたしのこと知らんの?」

 要の反応に、驚いてみせた女は、芸名を名乗る。たしかにお笑い芸人だかタレントだかの名前として、パンフレットで見た記憶があった。

「俺は……人の顔覚えられないので」

 学校の人間ではないとか、そういう適当な言い訳が、どこかへ消えてしまった。ストレートな女の物言いにつられ、要もするっと本音が出ていた。

「もしかして、相貌失認とかいうやつ?」

 女の返事に、要は驚いて立ち上がった。

「そうなんやね。後輩の芸人におるから知っててんけど……。それやったら、あたしのことも知らんよねえ」

 相貌失認の話がここでできるとは思わなかった。要はどんな反応をすべきかわからず、とりあえず思いついたことを口にした。

「人の顔わからないと、テレビはニュースくらいしか観るものないですね。アニメは配信でいいし」

「お笑いとかも、顔わからんかったら楽しくないって感じ?」

「そうですね。まあ、俺はそもそもにして笑いのポイントのようなものがわからない性格なので、相貌失認だけのせいじゃないと思いますよ」

 お笑いもドラマもアニメも、要の家では、両親が低俗だと決めつけて視聴を禁止していたのだ。でも、要にとっては、相貌失認でお笑いやドラマが楽しめないと説明するより、親に禁止されていて楽しめないと言う方が通りがよくて、気楽だった。弟は、たまったものじゃなかったかもしれないけれど。

 要の話を一通り聞くと、女はチケットを要に手渡した。

「あのな、これ、さっき言った後輩が出る公演やねん。顔わからんくても楽しめる芸をやるんやってのが、あの子の口癖でな。やから、一回観てみてほしい。エンタメは、やっぱり皆のためにあるんやと思うし」

 しばし呆然としてしまい、要が気づいたときには、女はいなかった。こんな風にチケットを貰うことに後ろめたさのようなものはあるが、貰ってしまったものを返す機会は逸してしまった。

 人の顔が判別不能でも楽しめるエンタメをやると言い切ったその後輩に、要も興味が出ていた。


「今日は、ありがとう。来てくれて」

 ヘアカットされてステージから下がると、弟が待っていた。

「たまには、研究以外のこともしてみるもんだな」

「いや、自己紹介のワードが難しすぎて、誰もわかってないとかあったけどね。常識が違うんだなって改めて思った」

「こっちもわからなかったが。何だ、甘皮って。俺が知ってるのは腫瘍の中で爪やら髪やらが作られてることがあるって事実くらいだぞ」

 そんな事実は常識じゃないよ、と笑って、弟は要に帰り道を示した。

(了)

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判別不能 染井雪乃 @yukino_somei

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