【カクヨム文芸部 公式自主企画参加作品】恋愛ショートストーリー

浅川

気になるあの人

 ここでのバイトも慣れてきた。いつも来る客の顔もなんとなく覚えたし。大体はタバコか新聞を買っていく五十代くらいのおっさんなんだけど。

 そんな年代の客しか常連にいないからこそ一際、目立つ人がいる。今日は来るかな?

 ここ二、三ヶ月でそういえばこの人、いつも同じ時間帯に来店していると気がついた。

 僕はここで週に三、四回くらいのペースで働き、そのうち二回は会っているから向こうもそんなもんだと予想している。

 なんでそんなに気になるのか?

 要はその人とは、なかなかの美人だということ。もちろんそんな目を引くような女性もたまには訪れることがあるけどほとんどはその一度きり。次にまた来てくれることは少ない。

 その来店時間は決まって夜の十一時から十一時半の間。これは外したことないんだけど、平日はもちろん休日にも現れることがあるので仕事帰りだとしたらどんな仕事をしているのか。

 服装は堅苦しくなくカジュアル。しかもかなりオシャレな部類に入ると思う。間違いなくファッションにこだわっていてセンスもそれなりに良い。毎回テーマが異なるようなコーディネートをしてくる。僕の中ではファッションにこだわっているというのは地味にポイントが高い。

 髪の毛の色はダークブラウンで長さは肩まである。たまに結んでポニーテールにしているのがいいんだよなー。

 顔はどこか幼さが滲み出ているも年齢は二十代後半だと思う。身長はこれまた高いんだよね。一七○センチ前後はある。僕の身長が一七三センチでほぼ同じ目線で接客しているから間違いない。

 僕が今まで女性を見てきて言えることは、背の高い女性を目撃すると性的に興奮するような身体の人が多い。

 胸はふくよかだし、足もちょうど良い太さ。太もも辺りが露わになっているとなおさらね。その女性がまさにこの特徴に該当する。

 ちなみにあまりモデルみたいに細ければ良いわけではないとは言っておこう。その細さがあだとなってどこか人間味がない人形みたいな人もいるしね。

 商品をスキャンして袋に詰めてお釣りを渡してさようなら。それ以上のことは起きるわけないんだけど、こうして定期的に顔を合わせているとなんだか期待してしまうのは仕方がないんじゃいかな。こんな楽しみでもないと退屈なコンビニのアルバイトなんてやっていられない。向こうもいつもの店員だくらいに認識あるはずだし。

(きた)

 夜十一時十三分に今日も来ました。

 彼女のお決まりの行動として店内に入るとレジ台の斜め向かい側にあるガムや飴が陳列されてある棚に行く。そこでいつもミント味の飴を取って奥に入っていく。

 三月に入って寒いのか暑いのかよく分からない気温が続くからか、今日は丈の長い長袖の黒いパーカーなんだけど下が……きっと短パンか何かを穿いているんだろう。丈の長いパーカーを着ているから隠れてしまっている。おかげで長い白い生足が余計に際立つ。

 ジロジロ見るな、そんな格好しているのが悪い? 私はそんなつもりで着ていないって女性側は主張するけど、肌を露出させているのは間違いないんだからその言い分はどうも僕は納得していない。

 店内で彼女とすれ違ったサラリーマンが歩みを止めて振り返る。目線は明らかに下を向いている。歳は離れているが男なら思うところは同じらしい。

 駅近くにあるコンビニだから電車に降りた人が寄って来るということで客が来る時は一気にやって来る。

 レジが僕一人の中、後ろには三人並んでいる。彼女は一番前にいた。

 仕事である以上は個人的な感情よりお客さんが優先だ。レジに備え付けられている呼び出しボタンを押して裏に居るもう一人の店員を呼んでフォローしてもらうようにした。

「お待ちのお客様こちらへどうぞー」

 そう言いながら僕の後ろを通る。その時だった。なんと彼女は列から外れてレジ台の手前にある特設売り場の商品を眺め始めた。

 フォローに入った店員は二番目に並んでいた人の会計をする。ペットボトル飲料一本の買い物だったから直ぐに終わった。そして三番目の人がもう一方のレジへ向かう時に現金を出すのにやや時間のかかった僕のレジの会計が終わる。次に僕のレジへやって来たのはそう、彼女だった。

 買う商品を見ると追加した商品はない。いつもの飴とヨーグルト飲料。

 なぜだか僅かながらでも心は揺れ動いた。いや、なんか興味ある商品が置いてあったから列を一旦外れたと思うのが普通なんだけど、それにしてもタイミング的にどうしても引っかかるものがあった。

 二点しか買う商品がないならレジ袋はいらないって言う人もいるけど、それを聞くのが面倒だとか思う時はかまわずレジ袋に入れる。今がそれだった。正確にはこの瞬間、言葉が出なかったからだけど。

「あっ、袋はいらないです」

 袋に商品を入れようとする仕草を見せた時に高めの声で彼女は言った。こんな声出るんだ。聞き慣れない声色を耳にして怯むように動作が止まった。

「なら、シールを」

 と、商品にシールを貼ろうとするタイミングと彼女が商品を鞄に入れようとするタイミングが被り手が重なった。

「あっ……すみません」

 手に触れてしまった。ジワッと何か弾けたような感覚になった。彼女は黙ったまま斜め下を向いていた。

 ほんの二秒、一秒かもしれない。それでも何か、自分の中にある世界が動き出したような気がした。

「ありがとうございました」

 そうか、彼女はいつも電子マネーで支払うからお釣りを渡したことがなかったんだ。僕はこの日、初めて彼女の手に触ったことになる。


 これはもしかして一方的な妄想ではないかもしれない? 三日前の出来事が今も頭から離れられない。

 けど、そうだとしてもどうにもできない。さすがに仕事中に知り合いでもないのに個人的な事情で客に話しかける勇気はない。そんな度胸があるなら今頃、付き合った女性は二桁に昇っているだろう。

 あっ、今日も来た。とりあえずそれだけで安心してしまうのはなぜだろう。左手にどこかのカフェで買ったのか、フタの上からストローがささっている透明のコップを持っている。

 今日は日曜日なのでいつもより暇だ。店内は混むことなく彼女は僕のレジに来た。

 手に持っていたコップを台に置き、財布を取り出した。あれ、今日の支払いは現金なんだ。

 数百円の買い物に一万円を出してきたのでお釣りが細かくなる。硬貨の方は落とさないように注意しながら数えて渡す。

 色んなことを言ってくる人がいるからお釣りを渡す時は最小限の接触を心がけるように指導されている。でも彼女はガシっと掴むように受け取った。おかげで今日も彼女の手に触れた。あの時より深く。

「ありがとうございました」

 そう、これ以上はどうすることもできない。向こうから話しかけてくれるという可能性は? なんでそこまでして。

 バカみたいな夢を見るのはやめよう。

 あれ、台の上にあのコップが置かれたままになっていた。よく見ると中には溶け始めている氷しかない。

 ゴミか。ゴミの処理をお願いされることはよくあるので特に何も考えず捨てようとした時に小さい水色のメモ用紙のような紙も下に置かれていることに気がついた。それを手に取ると。

(えっ!)

『よかったら連絡してね。三枝奈々』

 その言葉と共にメールアドレスと携帯電話の番号がいかにも女性らしい丸い筆跡で書かれていた……。

 周りには花がプリントされているメッセージカードをわざわざ使っている。この気遣いは男には難しいかも。

 何か貴重な宝を手に入れたように僕はこの紙を制服の胸ポケットにしまった。

 捨てようとしたコップを見る。ストローの小さな穴を見るとそこへ吸い込まれそうになる。ここに口をつけて飲んでいた……。

 いや、名前は……なんとか奈々ななさん。数字の三に枝でなんて読むんだ? それは後で調べればいいか。とりあえず名前が分かったことに胸の鼓動はおさまらない。開くわけがないと思っていた扉が開かれた。

 惜しい気もするけどコップは流しに氷を捨ててゴミ箱へ。さすがに仕事中、幾つもの防犯カメラの前でやる気にはなれない。


 三枝奈々さいぐさななか。あまり聞いたことない名字に何かやっぱり彼女は特別な人だと思えてくる。

 体が熱い。夜になれば涼しくなるのでこの気温はちょうどいい。今の状態だと段差で転んだり、電柱にぶつかってもおかしくないので冷静になるように努めた。

 電話番号まで教えてくれるなんて。最近だとLINEだから大学の友達はアドレスも番号も知らない人が多いんだけど、三枝さんは年齢的にアドレス、番号交換の方が馴染みあるのかな? いずれにせよここまで教えてくれるのは信頼されている証なんじゃないだろうか。

 つまり……現時点では行き過ぎな想像をするとまた顔が熱くなってきた。家に無事に着くことを心がけよう。

 部屋の中に入る。電気を点ける気にはなれなかった。荷物を下ろして息を吐く。

 どうする? 忙しなく首を動かすと机の上に置いてある明日のホワイトデーに渡す予定のプレゼントが目に入った。店員さんがプレゼントですか? と聞いてきて専用の包装してくれた物。他人にプレゼントするために何かを選ぶという行為があんなにも気持ちが良いものだとは思わなかった。

(どうせ無理なんだろうけど)

 袋詰めにされてあるチョコレートを一個ずつ親しい男子に渡しただけである。最後は余っているからと近くにいる話したこともないであろう男子にも配ったくらい。あの誰とでも自然と接することができるのは宮田さんの持ち味でもあり、時に勘違いさせてしまう要因にもなるだろう。

 国民的行事に沿って配ったお礼としてはちょっと豪華すぎるとひいてしまう危険性もある。

 ならいっそのこと三枝さんに……!

 馬鹿だ! 元々、別の女性に渡すために買った物を渡すなんて最低だ。バレるわけないとしても一生引きずってしまう。

 崩れ落ちるように床に座る。メモを見つめる。携帯はドコモなんだ。なんとなくそんな気がしていた。

 どういうつもりで連絡先を教えたんだろう。まさか年下のうぶな男性が好みで良さそうな人を見つけてはもてあそんでいる習慣のある人かもしれない。こんな積極性があるくらいだからおかしくはない。

 それでも大人のお姉さんが手取り足取り教えてくれるというのも悪くないと思えてしまうほど三枝さんは魅力ある人だ。

 現にまだ経験がないので下手と思われないためにも、先ずは慣れている人にリードしてもらうのは有りか?

 何を考えているんだ僕は。

 もしもこちらからは返事をしないとして……また三枝さんが店に来たらどんな顔をされるだろう。とてもではないが合わせる顔はない。本来あんな美人からのお誘いを断るほど僕はできた男じゃないわけだし。向こうだって多少なりとも自信はあるだろう。

 顔面を膝に埋めてうずくまる。大学に入ったら今度こそ彼女をつくりたい、恋をしたいと意気込んではいたけど、まさかこんな選択を迫らせるなんて。

 これは真剣な誘いか、一夜限りの欲望を満たすためだけなのか、そこらへんを聞いてみようかな。後者だったら乗る気はない。

 うん? ということは僕は三枝さんと真剣なお付き合いであれば良いということなのか。今更ながらの問い。

 宮田さんとは百八十度タイプが違う女性。でもときめいたのは事実。

 僕の好みの女性ってなんだ? 年上が好みという自覚はない。だからといって年下がいいというこだわりもない。

 宮田さんを良いなと思った理由は? 同じ大学に通っていて、僕にでも気軽に話しかけてくれて話しやすいから。それだけか。

 見た目だったら三枝さんだけど、誠実そうなのは宮田さん。

 こうして考えてみると僕って特に明確な基準があるわけでもなく、適当に選んでいるだけって感じなのかな。そんな理由で付き合ったって……。

 恋とは難しい。まだ誰とも付き合ったことないけど、適応な理由で付き合ったって長続きするはずないんだし。

 頭を掻きむしりながら立ち上がった僕は親には何も言わずバイクで近くを走り回ることにした。

 絶対に素晴らしい恋を、相手を探してみせる、その決意のもとバイクを走らせた。


(あっ)

 しまった。メッセージカードを握りしめたままバイクを走らせていた。それに気がついた時にはそのカードは風に乗って飛ばされてしまっていた。

 あぁ……引き返して探す気にもなれなかった。

 優柔不断な男は嫌い——空からそんな声が聴こえてきた気がする。

 もしかしたら恋愛で一番駄目なのは決断力がない男なのかもしれない。

 早くも僕は一番大事なことを学ばせてもらった。


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