捕食系。
多賀 夢(元・みきてぃ)
ステルス。
『肉食系』という言葉が流行った。
異性を積極的に喰らう性志向は、強い否定と羨望を集めた。肉食を自称する者達は、自らを誇り驕った。テレビでは連日のように、派手な容姿に仮装した人間が己の経験をひけらかしていた。
「葛西さん、これ修正しておいて」
私の前に、分厚い書類の束が落ちてきた。私は作業の手を止めて、いつものように薄くほほ笑み、抑揚を消した声で返事をした。
「わかりました」
ちょっと、と隣の女子社員が止めようとするのを、私は全く同じ表情で制止する。私は今やっている作業を中断し、渡された(というか、卓上に落とされた)書類を手に取り目を通し始めた。それを見て、本来の書類の持ち主が満足げに立ち去っていく。
私はちらっと彼の背中に目をやった。
誰かは知っているが名前は記憶していない。軽くグレーに染めた髪色、明るい色のスーツ。社会人としてギリギリ許される派手さの男だ。しかしいくら営業職ではないとはいえ、社風は疑われかねないなと感じる。
「あいつ、女を下に見てるのが本当に腹立つ」
先ほどの女子社員が、私にささやくように言った。明るいグリーンのカットソーに、やはり明るめなグレーのタイトスカート。素材の質もよく、雑誌から出てきたようなOLルックだ。
「彼の世界で問題がないなら、別にいいんじゃない」
私は作っていた笑顔を捨て、無表情で吐き出した。白のブラウスに紺のカーディガン、黒のスキニー。全部ファストファッションなので、数回洗うだけでくたびれる。お前はくすんで見えるとよく言われる。
「葛西さんは優しいよねぇ、でも、許してばっかりじゃ駄目だよ」
「そうだね」
私は適当に相槌を打ってから、ほんの一瞬手を止めた。そしてまた書類をめくりつつ、修正箇所に鉛筆でチェックを入れた。
――そうよね。
それから数日後、チームだけの小さな飲み会が催された。
「じゃ、みんなお疲れさまでした、乾杯!」
早川主任の声と共に、グラスを掲げる面々。コロナ対策ということで、グラスをぶつける仕草はご法度となっている。
人数は、8人を二つの席にに割って4対4。隣の女子社員と例の派手男子は私とは別の席だ。私の席には早川主任がいて、最近撮った娘さんの写真を見せびらかしている。
「葛西さんも、そろそろ子どもが欲しい頃じゃない?」
早川主任の言葉に、周囲が「それセクハラですよ!」と慌てている。私は聞かなかった風でウーロン茶を置いて、軽く頭を下げて席を立った。
お手洗いに向かいつつ、軽く肩を揉んでいると、急に後ろから抱き着かれた。
「なっ」
「葛西ちゃーん、全然飲んでないじゃーん」
絡んできたのは例の派手な男子社員だ。私はうんざりしつつ、特に抵抗せずに口だけ動かした。
「離してください」
「やーだー。ねえ葛西ちゃんってぇ、なんでそんなに地味なの?」
「地味って」
「もっと人生楽しもうぜぇ?一度きりの人生じゃん。かわいいんだから、見た目キレイにすれば男がほっとかないよお」
「――はあ」
うすっぺらい言葉だ。そんな言葉、今まで何回聞いてきたと思うんだ。
「まあ俺、肉食だから?俺はどんな女の子も抱けるけどー、葛西さんが俺好みに替わったら、俺はもっと嬉しいかなぁ――」
手が、私の胸元に伸びてきた。私はいつもの仮面を捨てて、本当の『素』に戻った。
「黙りなさい」
突然のキャラ変に相手が気づく前に、私は彼の口を私の口でふさいだ。舌を差し入れて大きく中を蹂躙してやると、相手はガクガクしながら後ずさっていく。それを壁にぶちあたるまで、こっちから押しまくる。
「誰かさんは、相当初心なのね。肉食のくせに」
耳たぶを甘噛みしてささやくと、相手の息が跳ね上がった。
「私は好きでこの格好に『擬態』してるの。それに男に選ばれる気なんてないわ、選ぶのはいつも私」
気弱そうな外見に油断して、寄ってくる虫を捕食する。それが、私という『捕食系』女子の技。
「つっ、強がんなよ、それに誰かさんってなんだよ、俺の名前くらい知ってんだろ」
「いいえ?」
「おいっ」
その時、私は人の気配に振り向いた。近づいてくる人間が誰か分かったとたん、最高の笑みが腹の底から溢れた。
「誰かさん。私ってね、人の名前を覚えられないの。『喰っちゃった男の名前以外』」
虚を突かれた相手から離れ、私はすれ違った男性に軽く頭を下げた。
「早川主任、飲みすぎですか」
「うっかり『喰う』前に、お前を呼んでこようと思って」
「わざわざありがとうございます、でも私、グルメですからね?」
私と早川主任が、誰かさんを見た。誰かさんは、戸惑うように目を彷徨わせた。私は歪んだ優越感を見せつけつつ、自分の席に戻った。
捕食系。 多賀 夢(元・みきてぃ) @Nico_kusunoki
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