後編 カカオとの出会い

 塔での生活に慣れるまでは外に出なかった。

 建物や道具の状況、野菜や果物、肉など違いがあるためだ。

 最初はじいことハンスさんに調理道具の扱い方を聞きつつ手さぐり。このハンスさんがおっとりしているから助かった。

 わからないという私に丁寧に教えてくれる。


 火の扱いがわかってきたことで、単独でどうにかできるようになった。

 失敗が少なそうな、スープでそこは練習を重ねる。

 大量の水分のおかげで具に火が通れば失敗はない――わけではなかった。


 用心しすぎてどろどろのおかゆ状態でも、フォーサは文句は言わなかった。

 まずくなければいいと思っている節はあるし、本当に私が知らない世界から来ていると理解しているようでもある。


 一応、一緒に食べているため、表情を見ていると、味がなさ過ぎたとか程よいとかはわかった。

 これは「おいしい」と言わせてみたいと感じる。


 慣れてから村の市場、買い物に行くようになった。

 最初は、アレスからの人ということで注目を浴びた。

 それは私も一緒だ。珍しくてきょろきょろいっぱなしだったし。

 だって、舗装はされているけど、本当、ヨーロッパの古い町並みそもの。むしろ、建物は新しいものだってある。つまり、昔に飛んだ気分でもある。

 質問にも答えてもらったりしつつ、互いがわかった感じ。

 徐々にお隣さんという雰囲気になった。


 時間が経つのは早い。

 字が読めるのにも気づき、情報を得る幅が広がる。

 フォーサが賢者って本当なのだと感じた。

 アレスに対する記述はあった。昔話のようなもので、迷子が来たから保護して生活したみたいな。でも、帰れたという表記は見つからない。


 帰りたいけど、帰れない。

 諦めているけれども、諦められない。

 あっちでは私の状況はどうなっているのだろうか?

 心配されているのか? 「生きているよ!」と言いたい。


 ある日、村に買い物に行くと、見慣れぬ人がいた。

 行商で寄って珍しいものを持っているという。

 私も村の人に交じってみる。

「カカオっ!?」

 私は思わず声が出た。

 懐かしい。

 これを見るために飛行機に乗ったのだ。

「よく知っているね、お嬢さん。あ? アレスの人? アレスだと、これ、有名?」

 植物の名前が若干違うことが多かった中、カカオは同じようだった。

 いや、カカオと同じに見えて違う植物かもしれない?


「私、パティシエで、カカオ見に行くつもりだったんです」

「パティシエ?」

「あ、菓子職人」

「何言っているんだい? カカオは菓子じゃないよ? 苦いし、薬だよ」

「……あ、そうか」

 私ははっとした。カカオは今こそ菓子であるが、もともとは薬として使われていたのだ。

 どう加工するかは覚えているが、想定するものが作ることはできるか不安だ。

 新鮮な牛乳に、たくさんの砂糖。

 でも、カカオを加工したいと欲求がわく。


「一つください」


 私は勢いで買った。

 ちょっと、高かった。


 早速、カカオの処理に入った。

 フォーサは「カカオなんか買ったのか」と苦笑していた。

「変わったものが好きじゃの。苦いのは苦手だ」

 と興味ないとばかりに立ち去る。


 ここにある共通していると思われる植物があるのだ。

 帰れないとしても、私ができることはあるはずだ。

 カカオは苦い。

 砂糖もどの程度あるかわからない。

 チョコレートができればいいけれども、道具があるわけでも材料が潤沢にあるわけではない。


「……そっか、料理に使えばいいんだ」

 料理と菓子に分ければいいのだ。


 私は、料理にどうするか考える。

 パンが合うのだから、パスタ系は合うはずだ。

 野菜はどういうのがあうか、キノコ類はどうだろう?

 チョコレートをカレーに入れるということを考える調味料の一環としてとらえてもいいはずだ。

 苦いのはカカオが凝縮されたもの。

 ペースト状にしたところで、口に少し含む。

「……本当はこれを……」


 学びに行くはずだった。

 パティシエとして飛躍するために。


 涙がこぼれる。

「別に、つらい思いしているわけじゃないんだよ」


 手の甲で涙をぬぐっても、ぬぐってもこぼれる。


「つらいんだよ!」


 私は叫んだ。

 日本語で。


 英語圏で英語を話しているのではない。

 地球ではないここで私は生きている。

 家族にも、友達にも、店の人にも会えない。

 パティシエとして店を任されるとか、店を持つとか……そういう夢もついえた。

 ここで、頑張れば道はあるかもしれない。

 周辺のことだけでなく、国の仕組みとか知れば、道が開ける。


 前向きになった瞬間、「ここは、違うっ!」と叫ぶ。


「……う、ううう……」


 調理台に手を突く。

 膝から力が抜けたので、調理台に腕を置き、顔をうずめる。

涙は止まらない。

 嗚咽は止まらない。

 聞かれたら心配をかけてしまう。

 迷惑を掛けてもいい。

 でも……。


 私の気持ちは、揺れ動く。


 しばらく泣いて、私は今すべきことに戻る。

 今はここにいるのだから。

 料理を作って、衣食住を得ているのだ。


「……そっか」

 フォーサはすぐに仕事をくれた。

 それは、私の前向きさにつながった。

 彼女は色々見抜いているみたいだった。

 実際、賢者と言われているゆえんはそれなのだろうか?


 私は、フォーサのため、諦めたくない自分のために、カカオを使って料理を作る。


 牛っぽい動物の肉と根菜、キノコの煮込みの味付けにカカオを使う。水分を飛ばしたビーフシチューのようにも見える。味わいは、ほろ苦さはあるけれども野菜などの甘味で気にならない。

 ショートパスタを作り、それをかけた。

 オニオンスープも作る。パスタ自体がしっかりとした歯ごたえがあるから、スープは具がないタイプ。まぁ、玉ねぎの炒め方、煮崩れ方の影響で、多少固形物はある。でも、噛む必要がないくらい柔らかいから、具という判断にしない。


 これらの問題は一つ。

 全体的に茶色い。


 いや、これまでも、色合いは考えて作ってないから、いっか。

 今後の課題。



 フォーサはテーブルの上の料理を見て「ずいぶん進歩したよのぅ」という。

 最初のころに比べれば、進歩したのは事実。

 私は、笑顔で胸を張る。

「……顔、洗ってこい」

「……え」

「わしは、人付き合いが下手じゃ。でも、うぬが、泣いたくらいわかる」

「……叫んだもんね」

 私は笑う。

 その表情はひきつったのだろう。

 彼女が苦しそうな顔になった。

 私は顔を洗ってから給仕をした。

 ハンスは個別で食事をとる。

 私は彼女と一緒に取る。

 使用人であり、そうでない立場が私だという。


「変わったものだな」

「カカオを使った」

「……苦いのはいやじゃ」

「わかってる。私も苦いのは嫌だもの。味見はきちんとしたし、とりあえず、食べてみて」

 フォーサはフォークでパスタを突いた。ソースはちょっとついている。

 かなり警戒している。

「……パスタは普通じゃ」

「うん」

 フォーサは少しソースはついていたのを理解しているのか、何か考える顔になった。

 そして、根菜にフォークを立てる。

 口元に運ぶが、口に含むまでの時間がかかる。


 私は息を殺して、彼女の様子を見守る。

 とっとと食べろとも言えない。

 初めての料理に不安が隠せない。

 わかる、それは、わかる!


 フォーサは意を決して、口に入れた。

 苦みを警戒して目がキュとなる。


 一度、二度、咀嚼したとき、目がパッと開く。

 顔全体が開かれた感じだ。


「うまい! あ、これ、カカオぽい、って味はあった。でも、食べられる。普通に食べられる」

 フォーサはパクパクと食べていく。

 その顔を見れば、問題がないはわかった。

 私も食事を始める。


 フォーサは無言だった。

 途中でオニオンスープを飲み、そして、パスタに戻る。

 カカオソースは成功したらしい。


「……これは……体に良い料理ということじゃな」

 口の周りについたカカオソースをナプキンで拭いとりながら、フォーサは言う。


 私はきょとんとした。

 そうだ、チョコレートの最初は薬だったのだ。

 実際、チョコレートでも高カカオの物は、口の粘膜の修復を助けるとある。

 なんでも食べすぎはよくないけどね。


「……薬膳ってことか」

「え?」

 私の口からついた日本語に彼女が驚く。

「あ、ごめん。私の国の言葉……説明が難しいなぁ、そういう料理があるんだよ、体にいい料理って」

「ほほー」

 彼女の知的好奇心が刺激されたようだ。

「ぬしの国の言葉というのも面白そうだ」

「え?」

 彼女の言葉に私が驚く番だ。

「大体な、アレスの状況だって知られているのかわしには知らぬ。わしが先代から引いた情報にないからな」

「……教えようか?」

「それはよいな」

「だから、私に、この世界のことをもっと教えて」


 彼女は笑う。

「それはいいアイデアだな」

「料理は作るから」

「助かる」

 彼女はまじめな顔になった。

 私の心情を読み取れるんじゃないかしら、この人。

 魔法とかあるのかな?


「……なら、この料理は何と名付ける? 今、言った名前」

 フォーサの言葉に私は「Yakuzenだと、体にいい料理とかそういう分類だから」と断る。

「なるほど」

「そうか、料理に名前」

 私は少し考える。

 菓子も料理も名前がある。名前がないと「何とか地方の煮物」とかなる。つまり、呼び方だ。

「わしが知る限りで、これは、初の料理だ」

 私の全身がゾクッとした。

 寒気ではなく、鳥肌が立つ。

 パティシエとしての興奮。

 初めての冒険。

「カカオと共に歩みたい」

「料理名か?」

 フォーサがあり得ないものを見るように私を見ている。

「う、ううん」

「世界をまたぐカカオ」

「あなたもそれ名前?」

「うぬが考えよ」

 私は知恵を絞る。

「未来とあるカカオ……世界を超えるカカオ……世界を作ったカカオ!」

「カカオすごいいのぉ」

「確かに」

 私は笑う。

 心の底から笑った。

 フォーサは手をたたく「アレス風カカオソース」でよいな」

「え?」

「いや、もう、そのままで。名前はわかりやすいのが良い」

「え、ええ……まぁそうか」

 私は納得した。

 納得したけど納得できない部分もある。


「今回はフォーサを立てて『アレス風カカオソース』でいいや」

「ひどいのぉ」

「次、考える料理は私が付ける」

「ふふ」

 フォーサはうなずく。


 カカオがあるのだ。料理だけでなく、菓子類だって作ることはできる。

 この世界のことをよく知って、その食材を使えば。

 パティシエとして成長できるはずだ。

 もし、戻れたら、その経験も生きる。

 もし、戻ったら、フォーサと別れる。


 フォーサといると楽しい。

 戻ることは考えたくない。

 もうすでに、突然引き裂かれているのだけれども。

 だから、考えすぎると前に進めないとも気づく。

 時々立ち止まり振り返るとしても。


 私は、フォーサのことを知らない。

 彼女がこちらを見て、守ってくれているのは理解できた。

 アレス風カカオソースは第一歩。


 ――初めの一歩のカカオ


 私のなかではそう名付けてみよう。

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初めの一歩のカカオ 小道けいな @konokomichi

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