初めの一歩のカカオ
小道けいな
前編 見知らぬ土地で始まる生活
私、稲井葉子は、気づいたらここにいた。
ヨーロッパのどこかだと思っていた。
森の雰囲気から。
パティシエだからと言ってフランスで修業したということもない。
とはいえ、旅行はしたことがある。
フランスやイタリア、イギリスなど、ヨーロッパを中心に。
今回は初めてカカオの産地に行く予定だった。
何があったか思い出せた。
飛行機が落ちた。
私の口から悲鳴があふれる。
しかし、しばらくして、我に返った。
悲鳴で混乱を吐き出したからかもしれない。
無傷なのだ。
それに、周りに残骸はない。
「ああ、私、死んだのか」
ここがあの世ということならば、あっさりと説明がつくから。
死んだんだ、と思ったら、急に笑いたくなった。
笑ったら、涙があふれた。
死ぬのは一瞬だ。
専門学校を出た後、運よく新人パティシエとして雇ってもらえた。
仕事を覚え、自分の菓子が出せるようになってきた。
チョコレートの専門部門を作るということになり、手を挙げたのだ。
菓子はまんべんなく作っていたし、焼き菓子が好きだと思っていた。
それでも幅を広げるにはチョコレートも興味があった。
カカオからチョコレートを作る工程を知るのも勉強だと考えていたところに、菓子屋のオーナーが行ってきていいと言ってくれた。それも、菓子屋の仕事の一環として。
その代わり「身につけてもらって、しっかり稼いでもらうよ」と言われた。笑顔で。
半分冗談であると同時に、店側の本音だ。
私も売れる商品を作りたいと思ってはいるから勉強するつもりだった。
災害と事故は防げないこともある。
わかっているけれども、幸せと思えた時に死ぬとは考えなかった。
突然、おなかが鳴った。
「死んでもお腹すくんだ。泣いたもんね」
涙を手で拭って私は笑った。
人の声や足音が聞こえた。
何となく怖くなって、私は隠れた。
言葉は英語のように感じられた。
それならばある程度わかる。
ただ、どこか違うようにも感じられた。
日本人が話す英語がどこか違うというのと同じかもしれない。
「このあたりか?」
「たぶん……何か大きな音がしたけど」
私は茂みからその人たちを見た。
その時、思いのほか音が出た。
ガサリと灌木が揺れる音がした。
彼らは矢の先を私の方に向ける。
音がして驚いたのだから当たり前だ。
いや、冷静に言っているようだけれども、私も怖い。
そう、冷静に考えているふりでもしないと、悲鳴を上げて逃げたくなるだろう。
「あ、えと……」
私は顔のあたりに手をあげて、敵意がないことを示す。
その人たちの服装を見て私は驚いた。
ファンタジー映画でも撮っている人たちがいたのだろうか、と。
人種で言えば欧州にいるに多い肌が白い人たち。顔立ちもそれだろう。
髪の色は茶や金、赤など多様。茶が多いかもしれない。
自然な色合いのチュニックにズボンといった服装の男性が複数いる。
手には弓と矢を持ち。
彼らも私の様子に驚いている。
「この辺りでは見ない人間だな……」
「なんだ、その服……盗賊でも出たのか」
彼らは矢継ぎ早に言う。
私はその早さについていけない。
口ごもると、彼らの困惑も深くなる。
「言葉、わかるか?」
単語を切るように言う。
「わかる」
私も答える。
あっているのかわからないけれども、通じるかはこれからわかるだろう。
彼らは驚いた顔はしたが、話が通じると考えて安堵した様子にも見えた。
この後、賢者のところにいくことになった。
結局、私の居場所がわらないし、彼らも説明がつかないというのだ。
ここで逃げたとしても意味がないと腹をくくった。
●
森の中の道を進み、賢者の塔につく。
歩いて十分はかかっていない気がする。
結構近くに落ちていたのだ。
話を聞いていると、彼らの村とここの中間あたりが私がいたあたりだという。
何となく、イメージがわいてきたし、実は、ヨーロッパでも辺鄙なところに落ちたのではと思えてくる。
いや、アフリカ大陸でも、山岳地帯にこういった知られぬ土地があるとか?
現実逃避が始まってきたが、それを引き戻すように、城門が開く。
扉が開くと、そこは、石畳の道が建物に続く。その両脇は緑あふれる庭園。
緑あふれる……だけかも?
芝生が基本。灌木や木がところどころにあるという程度だから。
石造りの城壁に、建物。
建物には塔もある。
だから、塔というのだろうとは理解できた。
建物の入り口まで来ると見学は一旦終了。
入り口に来ると扉が開いた。
そこにいるのは初老の男性。厳しい顔をしているが、雰囲気は柔らかい。
着ている服は清潔感があり、上等だと感じた。
服に詳しくないからよくわからないが、中世ヨーロッパという感じ。
時代や国によっても服装も違うのはわかる……だから、正しい解説ではない。
初老の男性は、問う。
「こちらのお嬢さんが、アレスからいらした可能性がある?」
「そうです。言葉は通じているみたいですが、服装も珍妙ですし、どこから来たか聞いてもよくわからず」
私を連れて来た人の一人が言った。
初老の男性は私を見る。
「はじめまして」
「は、初めまして」
「なるほど、発音がどこか違いますが……通じているみたいですね」
「たぶん」
男性は少し考えた。
「少しいいでしょうか? これは何と言いますか?」
男性は、自分の右人差し指に左の指差し指を当てる。共通する認識であれば、指をさして聞いている。
「指……でいいでしょうか?」
「まぁいいでしょう」
「あー……」
人差し指が正解だったのかもしれないけど、単語が出てこなかった。
男性は自分の髪、階段を指差し訪ねて来たので、その通り答える。
「言葉は通じているということですね」
私もホッとした。
実は偶然通じているだけで意味が通じていないだけだったらどうしようと思っていた。
たぶん、この男性も同じことを危惧していた。
「ここがどこか知っていますか?」
「いや……アフリカか、ヨーロッパのどこかですか? アメリカ大陸?」
「……なるほど……いや、確かに……わかりました。アレスから迷われた方」
「アレスって何ですか?」
「この世界とは違う世界のことです」
「……え?」
私は面食らう。
男性も困ったように「私も正直驚いています」という。
何それ、別の世界?
飛行機落ちて、別の世界?
あの世じゃなくて?
あの世も別の世界と言えば別の世界。
しかし、あの世ならば、住民が驚かないはずだ。
だって、死んでいた者が行く場所なのだから、ここの人たちがもともといたところが私のいたところなのだから。
いや、あの世は広くて、色々あるのかも?
「……お嬢さん、心配もあると思いますが、ひとまず、休息しましょう」
「なんで……そんな?」
「……ここは私と主しかいません。部屋もたくさんありますから、今から用意します」
「……」
「……お嬢さん」
ここで、私は気絶した。
死んでも気絶できるんだ。
●
私は見知らぬ天井を見ていた。
違う、天蓋つきベッドなんだ。
「ここっ」
「目、覚めたか」
ベッドの横にいたのは、私と同じくらいの年齢の女性だった。
誰かいると考えていなかったので「ひっ!?」と驚く。
女性は本を閉じるとため息をつく。
「ここはわしの家であり、ぬしは不幸なめぐりあわせだと聞き、おいてやったのだ」
「……あ、ありがとうございます」
彼女の言い方は気に障ったけれども、安全な寝床を確保されていることは理解できた。
もし、本当に悪人ならば、私が今いるのは劣悪な環境の地下室か縛られて動けないとかだろう。
彼女は淡々と話を進める。
「アレスから来たというなら、戻ることは難しいの」
「……戻れないんですか」
「知らぬ。アレスからくる人間はあまりいないことゆえ」
「珍しいんですか」
「うむ」
私は帰れないという事実にあまり驚いていなかった。
あまりにも現実離れしているからかもしれない。
「わしとしては、アレスの人間には興味があるようなないような」
煮え切らない言葉。
「……アレスに限らずこの世は知らぬこともたくさんある」
「……えっと」
「賢者だといえども、知らぬものはある」
「だから知ろうとする?」
彼女は驚いた顔をした。
私と目が合って、慌てて威厳を保つように表情を消した。
「知ったようなことをいいよる……」
彼女が少しうれしそうなのは気のせいだろうか?
「ぬしが悪人か」
「悪人が悪人とは言わない」
「まぁそれも真理よのぅ」
彼女はうなずく。
「わかった。ぬし、何ができる?」
「何って……」
「本を読む、掃除をする、木を切る、戦う……とかそういうことじゃ」
「本は言葉と同じく字も同じなら……読めるかも? 掃除はできる。あ、洗濯と料理もできるかな? 木は……」
続けようとしたが彼女が割って入った。
「なら、ここにおいてやろう」
「え?」
「じいや村の人の手助けでどうにかここは動いている。じゃが、わしとじいの食事を作る人間はほしいところじゃ。掃除や薪は村に頼めばいいがな」
私は「いいの?」という。
得体のしれない人間だろうに。
「むろんじゃ」
「掃除も、できればしてもい……薪?」
薪だといった。
そう、掃除だってしてもいいけど、ガスコンロや水道があることが料理ができるという宣言の前提。
「薪がなければ火は使えぬぞ?」
「……料理できるかもしれませんが、調理道具の使い方とか教えてください」
「……なんと! でも料理はできる?」
彼女は驚いた様子だが、興味を持った様子である。
詳細は「じいに聞いてくれ」ということで終わる。
「わしはフォーサ・イトイン・プリターじゃ。フォーサでよい」
「私は稲井陽子。陽子と呼んでください」
「ヨーコ、わかった」
私はこの世界での生活が始まった。
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