タヌキ寝入り

碧月 葉

タヌキ寝入り

 忘れられない人はいますか?

 胸に残る「恋」の記憶はありますか?

 

 私にはあります。


 ありふれた、どこにでもあるような小さな「恋」。

 それでも、今も胸を少しだけ温め、ほんの少し引っ掻くこの想い。

 

 この機会に改めて振り返って、ちょっと「恋バナ」してみます。

 少しの間、お付き合い下さい。



∗∗∗



 あれは、大学1年生の冬のこと。


 駅前の街路樹では、青白いイルミネーションが煌めいていた。 

 ゼミの忘年会。

 居酒屋での1次会を終えた私達は、ハイテンションのまま、コンビニでビールやチューハイ、ワインに焼酎、おつまみにお菓子をたっぷり買いこみ、2次会会場に向かっていた。


「ねぇ、柊奈ひな。どうする? このまま2次会行く?」

 果穂かほが、小声で訊いてきた。

「うん。せっかくだから行こうかな」

 何気ない風を装って答えたけれど、内心はドッキドキである。

「じゃあ、私も行くか」

 そう果穂も言ってくれて一安心だ。

 流石に、男子ばかりの宅飲みに女子1人で参戦する勇気はない。


 男子勢のやり取りの結果、2次会の場所は、私が片想い中の蓮君の家に決まったのだ。

 そう、彼の家に入れる!

 普段は、2次会参加率50%の私だが、ここは行くしかない。というか行かせて下さいという心境だった。


 ちなみに、私が蓮君を好きな事は、誰にも言っていない。

 この時私は、人知れず心の中でガッツポーズを決めていたのだ。


「柊奈ちゃんと、果穂ちゃんも行くよねっ」

 リーダー格の悠二君の笑顔の誘いに、私達は頷いた。

 


 駅裏にある蓮君のアパートは、簡素な1K。

 突然の訪問にも関わらず室内は、すっきりと整えられており、やっぱり男子にしては几帳面だよね蓮君……と感心してしまった。


 コタツのテーブルに載った雑誌類を片づけ、ウエットティッシュでサッと拭く彼。

 おお、まめまめしい。

 私も、出しゃばらない範囲で片付けを手伝った。彼の私物に触っているという興奮を必死に隠しながら……。


 飲み会は楽しかった。

 みんなリラックスして、下らない話も少し真面目な話もして酒も進んだ。

 2時位になるとみんな眠くなってきたようで、ソファや床で寝始めた。

 

 私はまだまだいけたけど、酒豪ぶりをアピールするのも何だし、蓮君と最後2人になっても恥ずかしいので、程よい所で眠くなったフリをして、コタツの端っこでタヌキ寝入りを決め込んだ。

 

 彼の部屋の匂いを嗅いで、彼の話声を聞く幸せ。

 

 いいなぁ、蓮君。

 どんどん好きになっちゃうよ。

 

 新歓コンパで隣の席になった蓮君。

 ほぼ男子校みたいな高校から来た彼と、ほぼ女子校みたいな高校から進学した私は、お互いあまり異性慣れしていなくて、ちょっとぎこちなかったけれど、居心地は良かった。


 それ以来、ちょっと気になる男子になった蓮君。

 普段は穏やかで、笑顔が素敵で、ごくたまにポロッと毒を吐く所も好きになった。

 彼が、コンタクトに変えた時は心底驚いた。

 格好いいんだもの。

 私以外の誰かが、彼の魅力に気づいてしまわないかハラハラした。


 私のリサーチが確かなら、蓮君に今のところ彼女はいない。

 

 ゼミ以外の場所、大学の食堂や駅のホーム、スーパーなどで出会った時は、向こうから話しかけてくれて、一緒に過ごしたりしたし、バイト先に顔を出せば笑顔で手を振ってくれるし。

 好かれているかは分からないけれど、嫌われてはいないと思うんだよね。


 このモヤモヤを抱え続けるのも限界になってきたから、思い切って告白した方がいいかな。


 ふわふわした気持ちになっていると。

 

 蓮君と悠二君が、恋バナをはじめた。

 俄然、聞き耳を立てる私。

 

「蓮、まだ彼女できねーの?」

「悪かったな。どうせ俺はモテないよ。悠二だって、今いないだろ?」

「仕方ないさ。やっぱ相手が高一じゃ話が合わなかったんだよ」

 さすが悠二君、前カノ、高一だったんだ。

 〇〇坂とか好きだと公言してたし、若干ロリコン疑惑があるからな。


「でも、今好きな子がいるんだよな」

「そうなのか、気が多い奴」

「馬鹿、別れてから2ヶ月経つっての。………… 可愛いよな、柊奈ちゃん」

 悠二君の視線を感じる。

「…………ああ」

 蓮君の視線も感じる。


 —— 私ぃ⁉︎

 呼吸を乱さず、タヌキ寝入りを続けた私を褒めて欲しい。

 ちょっと待って! 蓮君の「ああ」に喜んでいる場合ではない。

 私の恋は、今大ピンチを迎えている。

 

 確かに私は、小柄で幼児体型で……外見だけなら妹キャラだけどさ。

 悠二君、何でよりにもよって蓮君の前ここで、私の名を出すの……。


「前から気になってたんだよ。彼女、今フリーだよな」

「…… 誰かと付き合ってるって話は聞かないね」

「良かったぁ。よし、もっと仲良くなれるように頑張ろ。蓮、ちょっと協力してくれよ」

「………… ああ」

 悠二君の応援要請に、蓮君が同意した。


 終わった。


 もう、心は土砂降り。

 さっきまでのふわふわした幸せが嘘のように吹き飛び、後悔だけが胸の中に渦巻く。


 こんな話を聞くことになるなら、タヌキ寝入りなんてしなきゃ良かった。

 ずっと起きてて、一緒に喋って、朝を迎えれば良かった。


 もっと早く好きだと伝えていれば良かった。

 

 こうなっては、蓮君は決して私の告白を受け入れる事は無いだろう。

 

 私の恋は、終わった。



∗∗∗



 その後私は、悠二君からのアプローチを躱し、2人とは友人として1年次を終え、2年生になると、それぞれ別のゼミに進み、私達は少しずつ疎遠になっていきました。

 

 それでも、私が蓮君の事を忘れがたい人だと思うのは、その後何度か思いがけない場所で再会し、私の運命が変わったと感じるからです。


 ひとつは、就職試験の面接会場で。

 1次試験を突破した場所で、偶然蓮君に会ったのです。

 お互いに励まし合って、私は大きな勇気をもらい、明るい表情で面接に挑んだ結果、合格を手にしたのでした。


 もうひとつは、就職後、恩師に会いに大学のある街に行き飲んでいた夜のこと。


 同じ店に彼がいました。

 

 その頃、私は当時付き合っていた人と別れるかどうかを悩んでいる真っ最中でした。

 その人について行くには、仕事を辞めねばならなかったから。

 私を好きになってくれる人は、人生でもう2度と現れないんじゃ無いかという不安。

 今の仕事を失ったら、彼に頼らざるを得ず、個としての自分を保てないのではという不安。

 その2つがせめぎ合って、苦しかったです。


 そんな時、久々に会った蓮君は、やっぱり素敵で、胸が高鳴りました。

 ただ言葉を交わしただけだったのに。


 私の中には、まだこんなに「ときめける心」が残っていたことにハッとしました。

 そして、愛されない不安より、自分がどう生き、どう愛するかの方が大切なんじゃないかと思ったのです。


 当時の彼とは別れ、その結果、私は、今ここに居ます。



 あの時、タヌキ寝入りさえしなければ、また違った道があったかも、そんなふうに思い返す事もあるけれど、あの時の事は、今ではほろ苦く甘い思い出です。

 

 そして蓮君は、きっと知らないだろうけど…… 私に恋を教えてくれた人、そして私の運命を変えた人です。


 全然叶わない想いだったけれど、きっとあれは「運命の片想い」。

 

 

 


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

タヌキ寝入り 碧月 葉 @momobeko

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ