どらごんさんど

埴輪

どらごんさんど

 どらごんは料理なんぞしない。獲物はそのまま食らう。人の言葉で言えば、「生に限る」といったところであろうか。ただ、別に空腹さえ満たされればよい。腹が減らなければ食べることもない。それが、自然というものだ。


 だから、人とは面倒なものだと思う。炒める、煮込むと、とにかく食事に手間をかけ、何より、味というものにこだわる。こと味に関しては、私も人の身を得て味わったことで、なぜ手間をかけるかということも、理解はできたとは思う。


 だが、この書物に書かれていることには、納得しかねる。何でも、大切な人に作る料理とは、空腹だとか、味だとかを超越した、特別なものであるというのだ。


 ――くだらない。もっとも、それは人のことわりだ。どらごんである儂には関係がない。そう、関係ないのだ。諸般の事情で人の少女の姿をしている儂だが、どらごんであることに違いはない。だが、まぁ、そうか……大切な人……ふむ、なるほど。


 ※※※


「料理を教えて欲しい、ですって?」


 宿のテラスで読書をしていたサラは、儂の申し出に豆が鳩鉄砲を食らったような顔をした。儂はきびすを返したが、むんずと襟首を掴まれてしまう。人の身である今、サラと儂では大人と子供、体格の差が恨めしい。


「リューちゃん、ごめん!」

「離せ。そして、何も聞かなかったことにしてくれ」

「でも、あいつに食べて欲しいんでしょ?」

 

 儂は身をひるがえし、サラを見上げて吠えた。


「何を言うかっ! なぜ儂がアルに料理なぞ──」

「あら、私はなアルにだなんて言ってないけど?」

「……うー」

「よしよし」

「頭を撫でるでない! 儂は――」

「はいはい、創世の輝竜きりゅう様。それで、何を作りたいの?」


 何を、じゃと……私は首をかしげる。


「……でしょうね。まぁ、あいつなら何でも美味い美味いって食べるだろうし、リューちゃんはお料理が初めてだろうし、目玉焼きでも作ってみましょうか!


 ――かくして、宿の厨房を借り、儂はサラから目玉焼きの作り方を学ぶことになった。何の目玉を焼くかと思えば、焼くのは鶏卵だという。サラに促されるまま、儂はふらいぱんなる鉄の板を持つ。足場を用意してもらい、こんろなる装置の前に立った。こんろは魔力を使わずとも火を起こせるというが、儂には無用の代物である。


「まずはフライパンを熱して――」

 

 儂はボッと炎のブレスを吐きかける。鉄の板は灼熱し、どろっと溶け──「フリーズ!」サラが氷の魔法を放ち、厨房はもわっと湯気で溢れかえった。


「何やってるのよ!」

「熱しろと言ったじゃろう?」

「溶かせとは言ってない! ……ほら、その成れの果ては私に渡して、この新しいフラインパンを持って、コンロの上に置いて、ここを回すと、火が出るから」

 

 確かに、青い炎がちろちろと上がっている。


「これっぽっちでいいのか?」

「いいの。少し待てば、フライパンが温まってくるから――」

「ふむ」


 儂がフライパンに手を当てると、サラが慌てた様子で儂の手を引き上げる。


「危ないでしょ!」

「何を言っておる? 儂の肌がこれしきの熱で焼かれるとでも?」

「……あー、よい子の皆さんは、マネしちゃだめだからね!」

「誰に向かって言っておる?」

「ともかく、もう十分温まったから、油をひいて、この卵を割り入れ──」


 グシャッ。


「……ですよねぇ」


 握り締めた手の間から、黄色と透明のドロリとした液体が垂れる。それがふらいぱんに落ちると、ジュゥと小気味よい音を立てた。ふむ、これが料理か。


「楽でよいが、手が汚れるのは難点じゃな」

「だめよ、だめだめ。目玉が潰れちゃってるし、殻も入ってるでしょ?」

「歯ごたえがあってよかろう?」

「リューちゃんは大丈夫だろうけど、アルの口がズタズタになっちゃうでしょ?」


 そうだった。これは儂が食うのではなかった。人は魚も鱗や骨が食えぬほどか弱い口しか持たぬ。だからこその料理なのかと、儂は新たな知見を得て頷いた。


「……この際、炒り卵でもいいか。火を止めて、殻を取り除きましょうか」


 儂は頷き、爪で一つ一つ、殻を摘まみ上げていく。だが、摘まんでも摘まんでも、細かい殻は残り続け……儂はふらいぱんに口をつけると、中身を口に流し込んだ。ぐちゃくちゃ、ぼりくちゃ。ふむ。丸かじるするのと大して変わらぬな。ごくん。 


「……リューちゃんには、難しかったからしら」


 ため息をつくサラに、私はにやりと笑って見せた。悠久の時を生きる儂を、侮ってもらっては困る。ここは一つ、度肝を抜いてやろうではないか。


「殻を入れなければ良いのじゃろう?」


 儂はふらいぱんをこんろに載せる。すいっちを回して火をつけ、ふらいぱんに手をかざし、熱を感じる。ふむ、これぐらいでよかろうと、油を少量、ふらいぱんに流し、それが全体に行き渡るよう、傾ける。


「あら、良い手際じゃない!」

「ふふん。では、卵を」


 儂は卵を右手で受け取ると、ふらいぱんから左手を離し、人差し指の爪で卵を横なぎにする。殻の上部を取り除き、傾けると、中身はつるんとふらいぱんに落ちた。


「ばっちりよ! あとは蓋をして、少し待ては完成よ!」

「それでいいのか? 存外、簡単じゃのう」

「……こんなところで何をやってるんだ?」

「ぬわっ!」


 振り返ると、アルのとぼけた顔がこちらに向けられていた。


「い、いきなり出てくるでない!」

「お、目玉焼きか。お前、料理なんてできたんだなぁ!」

「馬鹿にするでない! 儂の手にかかれは、目玉の一つや二つ……で、お主こそ、昨日からどこへ行っておったんじゃ?」

「あら、リューちゃんも知らなかったの? ふらっと出ていくのはいつものことだけど、行き先を言わないなんて、アル、何か後ろめたいことでもあるの?」

「な、何を言い出すんだよサラ! リューが誤解するだろ?」

「じーっ……」

「ほらみろ、めっちゃ疑惑の眼差しで見られてるぞ!」

「黙って出て行くアルが悪い」

「そうじゃそうじゃ! ほれ、どこに行っておったんじゃ?」

「それは――」

「ダーリン!」


 甲高い声と香水の匂いをまき散らしながら、派手な女が厨房に躍り込む。顎をつんとあげ、金髪を搔き上げるその姿が、様になっているところが腹立たしい。


「アリシア、どうしたんだ?」


 アルの助け舟を見るような表情も腹立たしい。やはり、後ろめたいことがあるのだろう。よもや、この派手な女と、関わりのあることではあるまいな?


「探しましたわよ! ぜひ食べて頂きたいものが……セバスチャン!」


 派手な女が指を鳴らすと、老執事が颯爽さっそうとあらわれ、厨房のテーブルを食事席へと作り替えていく。魔法のように並べられている料理の数々は、儂の目からみても美味そうだった。特に、あの豚の丸焼きの照り艶はどうだ……ごくりと、喉が鳴った。


「ダーリン、私の手料理を存分に味わってくださいませ!」

「手料理って、全部セバスチャンが作ったんでしょうが!」


 サラの突っ込みにも、派手な女は涼しい顔で応じる。


「セバスチャンは私の手足よ? なれば、私の手料理と何が違って?」

「お嬢様の仰せの通りです」

「美味そうだな! ちょうど腹が減ってたんだよ!」


 吸い込まれるように着席するアル。儂はふらいぱんの中身と、豪華な料理を見比べる。悔しいが、比ぶべくもない。


「あら? リューさんもお料理? まぁ、可愛い目玉焼き! おやつからしら?」

「ああ、リューも腹が減ってたんだな。一緒に食おうぜ!」

「あ、それは、ダーリンのために――」

「アリシア、いいよな?」

「ええ、もちろんですわ! そんな目玉焼きでは、何の足しにも――」


 儂は炎のブレスを吐き出した。料理が紅蓮に燃え上がる。間髪入れず、サラがフリーズをかけたが、間に合うはずもなかった。


「ぎゃーっ! 何すんのよこのクソドラゴンっ!」

「お、お嬢様、お気を確かに!」

「リュー!」

「アルっ! 水もかけてっ! 水っ!」


 間近で起こっている喧騒が、儂にはすべて遠いことのように思えた。


 ※※※


 ――町から離れた崖の上。沈む夕日が目に染みる。


「リュー」


 儂は振り返らなかった。どんな顔をすればいいのか、見当もつかない。


「器用だよな。あの狭い中で、料理だけ焼くんだから」

「サラもおったしの。けが人もおらんかったじゃろう?」

「ああ。さすがに厨房はだめになったけど、店主のおじさんも怒ってなかったよ。なんでも、ドラゴンのやることは天災扱いらしくて、保険がおりるとか」

「そうか」


 どらごんと人とでは力が違う。共に暮らそうとするならば、このようなことも覚悟せねばなるまい。いくら姿を似せようが、その違い、溝が埋まることはないのだ。


「リュー、腹減ってないか?」


 ――グゥゥ。盛大に腹が鳴った。我ながら、堪え性のない腹である。


「ほら」


 差し出されたアルの手には、さんどいっちがあった。白いぱんに、何やら草と、肉が挟まっている。――じゅるり。儂はさんどっちをひったくり、かぶりついた。


 柔らかな口当たり。シャキシャキとした歯触り。噛む程に溢れ出る肉汁……口の中に様々な味わいが広がっていく。だが、何より儂を驚かしたのは、ふっと香る、風の記憶。それは何とも名状しがたい、懐かしい匂いと味だった。


「これは……」

「お、わかるか?」

「わからないでか。この草の味、儂の故郷の……まさか、行ってきたのか?」

「さすがに聖域まではいけないけど、昔は聖域だった山があるって聞いてさ」

「お主、それで昨日からいなかったのか」

「そ」

「なんでわざわざ……代わりの草など、すぐ手に入るであろう?」

「リューは人の姿になってから、長いだろ? だから、故郷の味が恋しくなることもあるんじゃないかと思ってね」

「余計な心配じゃ。どらごんは食べるものにこだわりなぞない。必要なものを、必要なだけ食う。腹が膨れるまでな。ただ、それだけ……と、思っていたんじゃがな」


 儂はまじまじと、さんどいっちを眺める。


「……そうでもなかったのじゃな。これを食べて、わかった。儂はこの草の味が好きじゃった。だから、食べていたのだ。どらごんであっても、そうだったのだな」

「それは、美味しいってことかな?」

「ああ、そうだ。その通りだ。美味い、美味いぞ!」


 儂の言葉に、目に見えてほっとするアル。なぜそんなに嬉しそうなのだろう? そういえば、これは……もしかして……


「このさんどいっちは、お主が?」

「ああ。といっても、具材を挟んだだけだけどな!」

「まさか、あの書物はお主のものだったのか?」

「へ? ああ、部屋の雑誌ならそうだけど。武器特集だったから」

 

 ……そういえば、料理の他にもあれこれ書かれていたような。まぁ、そうだろう。この鈍感男が、大切な人のために料理を作るなんてことは……ましてや、儂はどらごんだ。ともあれ、今はこのさんどいっちを楽しむことにしよう。うん、美味い。


「この肉の焼き加減も絶妙じゃな!」

「ああ、それはお前のおかげだよ」

「なんじゃと?」

「いや、さっきの炎で、いい感じで焼けてる肉があったからさ。それを使ったんだ」

「ならば、これは儂の作った料理と言っても過言ではないのか!」

「……せめて、共作ってことにしてくれないかな」


 共作……その響きが、妙に心地よかった。儂は最後の一切れを口に運ぶのを止め、アルに差し出す。


「じゃあ、これはお主にやろう」

「いいのか?」

「お主も腹が減っておったのだろう?」

「じゃあ、遠慮なく。さしずめ、ドラゴンサンドといった感じかな!」


 ――どらごんさんど。素材はアルが調達し、肉は儂が焼いた、二人の料理。


「うん、美味い! ……リュー、何か嬉しそうだな?」

「はぁ!? な、何を言っておる! 儂は――」

「美味いといえば、目玉焼きも美味かったぞ」

「食べたのか!」

「ああ。だって、お前が俺のために作ってくれたものだって、サラが」

「あ、あの、うつけが! もっとこう、おぶらーとに包むとか……」

「違うのか?」

「……違わない」


 儂は居ても立っても居られず、駆け出した。そんな儂を追いかけるように、アルの「ごちそうさま」という言葉が聞こえてくるのだった。

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どらごんさんど 埴輪 @haniwa

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