りゅうがくします
秋色
それは桜の季節だった……
「空が真っ青だね。それに桜が満開」
祐希は天窓から見えるソーダ水のような空を見て言った。時折、その青に花びらが散り散りに混じる。
祐希は大学の友人である真璃、ユリと三人で市民会館の玄関ホールにある桜カフェで、カフェオレを飲んでいた。この玄関ホールには天窓があり、グランドピアノも置いてある。
今日、市民会館では、真璃の母が参加しているポジャギ教室の春の展覧会が行われていて、三人はポジャギ展を見た後、このカフェに立ち寄っている。市民会館の敷地内には桜の並木があって、今が満開だった。
「ポジャギって初めて見たけど、春色って感じでどれも綺麗だったね。それにこのホール、初めて来たけど、立派な所だねー」ユリが言う。
「うん。本当。こんな場所が出来たなんて知らなかった」と祐希は言い、ふと玄関ホールにいる一人の人物に気が付いた。
「あれ、あそこにいるの、ちょっとミナミ君に似てるな。まさか……。まさかね」
「ミナミ君って、あの祐希がよく話してる小学生時代の伝説のコ? 小学校以来なのに分かるの?」真璃が訊いた。
「うん、一目見たら分かる自信ある。よく思い出してたから」
「伝説のコって?」とユリが訊く。
「何かさ、人気者だったらしいよ」
「初恋の子?」ユリが興味深そうに訊いた。
「初恋……なのかな。大好きだった。やっぱ伝説な感じかな。話せば長くなるんだ。つまり……」と祐希は、さっきの人影をぼんやり見つめながら話し始めた。
「小学校高学年の時に通ってた塾に、ミナミ君がいたの。一緒だったのは小学五年生の一年間。学区が違うから、違う小学校だったんだけどね。休憩時間に話すようになって仲良くなったの。そこはみんな仲良しの塾だった。ミナミ君は小学生なのに落語に詳しくて、自分でもいくつかの演目ができたの。『時そば』とか『鏡のない村』とかね。親子で天神様に行くお話も好きだったな。『毎度つまらない話ですが』って始めるの。自分の事を『南之亭しま輔』なんて言ってね。それに落語以外でもお笑いのセンスがあって、とにかく面白い子だったんだ。自分でも絶対、お笑い芸人になりたいって言ってた。出張ライブもしててね。一度、ウチでも頼んだんだよ。いや、家にきて、ザブトンの上に座って落語をするんだけど。お礼はお菓子。へへ。私が盲腸の手術をして退院した後で、お母さんが呼んでくれたの。笑い過ぎて傷跡が痛かったよ。
でもね、小六に上がる前の春休みに突然塾をやめたんだ。普通だったら、中学受験する子も多いし、今から本格的に勉強するって時期でしょ? だから『なんで?』って感じだった。やめたって知った日の帰りに塾の受付のお姉さんが私を呼んだの。ミナミ君から手紙をことづかってるって。白い封筒には漫画雑誌の付録の便せんが入ってた。妹がいるって言ってたもんね。その便せんをドキドキしながら広げると、『ゆうきちゃんへ 塾は三学期まででやめました。お笑いのりゅうがくします。また帰って来る日まで元気でね。さようなら』と書いてあったの。私、帰り道ずっとこらえてたんだけど、家に着くと、わんわん泣き出したんだ」
「お笑いの留学? 小学生が? 落語家に弟子入りするにしても義務教育終えてからでしょ。とにかく不思議な話だね」とユリ。
「そうなの。頭もいい子だったから、同じ塾の子の中には、もっといい塾に行く事にしたんじゃないかって噂もあったんだ」
「そりゃもっともな推理だな。でもね、そんな事で嘘つく? 正直に言えばいいじゃん」と真璃。
「だよね」とユリも同意。
「私は嘘ついたとか思いたくない。お笑いの留学に行ったって信じたいの」と祐希は強く主張した。
「はあ……」とユリが溜息をつく。
「信じたいんならそれでいいんじゃない。グレードの上の塾に私は一票だけど」と真璃が小声で言った。
「あ! 近付いてきた。やっぱ似てる…。ミナミ……君?」
短髪の人懐っこい顔立ちをした、まだ男の子と言っても良いような小柄な青年が気付いて立ち止まった。
「お、もしかして仲野さん?」
「え、じゃやっばミナミ君なんだ。すごーい。十年ぶりだよね!」
✽✽✽✽✽✽
五分後、二人は昔話で盛り上がっていた。
「そうそう! あのわが家での落語会、ホント楽しかった」
「良かった。実は前の晩、落語を相当一生けん命練習してたんだ」
「で、留学の成果はどうだった?」
「留学って?」
「お笑いの留学よ」
すぐに返事しなかったミナミ君の代わりに、いつの間にか隣にいた大柄な派手なシャツの中年男が答えた。
「まだまだ……だな。だろ? だから返事出来ないんだろ?」
「あの、あなたは?」と祐希が尋ねた。
「コイツの師匠だ」
「師匠とここに来てたんだね。じゃ、市民会館へはショーとか慰問とかで?」
祐希はさっき養護学校のバスやどこかの病院の専用バスが入って来ていたのを見ていた。
「ん」
「ね、連絡先おしえて。ずっと寂しく感じてたんだ。友達と別れ別れになってた事」
ミナミ君は無言でシルバーのスマートフォンをポケットから取り出した。祐希もピンクのスマートフォンをバッグから取り出し、QRコードから連絡先を交換した。
真璃とユリは顔を見合わせて笑った。ちょっと眩しそうに二人を見つめながら。「なんと言っても十年ぶりだもんね」「夢、叶ったね」と小声で囁き合っていた。
「あ、夕方にゼミのミーティングがあるよ。もう行かなきゃ」と女の子達。
別れ際にミナミ君は大きく手を振った。
手を振り返す女の子達を見ながら、大柄な中年男に島尾ミナミは言った。
「ねえ先生、とっさに師匠なんて話、合わせたの、どうして?」
「さっきカフェに入って、偶然あの子達の話を聞いてたんだ。あのポニーテールの子、ミナミの方を見て、突然塾をやめた少年の話をしてたから、それってオマエの事だろうって思ったんだ」
「そっか。ありがとう、先生。それにしても本当、医者が白衣着てない時って正体不明なアヤシイ感じですね」
「それ、けなしてるのかよ」
その日の市民会館での催しが書かれたボードが入り口にある。
「あの子達は今日のここの催し、見ていないんだな」
そこには「春のポジャギ展」より大きく、「小児難病の子達に希望をキャンペーン」と書かれてあった。
「いや、気がついてもホントに子どもへの慰問で来たと思うだろ。あの様子じゃ。それにしてもどうして小学生の時、友達に嘘ついたりしたんだ?」
「留学の事? だって正直に言ったら、もう笑ってもらえないと思ったんだ。だって不治の病のかわいそうな少年の落語やネタなんて誰も本気で笑えないから」
「今日あの子と連絡先を交換したのは、この十年で医学が発達して難病を克服したから……なんだな?」
「うん。医学の発達だけでなく、先生って主治医のおかげで」
「いや、ミナミ自身の努力の結果だろ。きつい療法にもよく耐えたし。じゃあ、もう彼女を笑わせられるお笑い芸人にだってなれるって事だよな」
「それはどうかな。それはやっぱ自信ない。だって……」
「だって?」
「この十年、病気のせいで親をさんざん泣かせたから。人を笑わせるのって本当難しいって分かったんだ」
「そうか。確かに人を笑わせるの、難しいもんだ。でもそれが分かったんなら行った成果があったな」
「どこに?」
「長い長い留学にさ」
「ん」
窓の外にはまるで舞台を彩る紙吹雪のような桜の花びらが舞っていた。
〈Fin〉
りゅうがくします 秋色 @autumn-hue
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