回復術師ロリエンさん家の薬草園

るふな

ロリエン先生の隠し味


「ポンメルちゃん、お庭から薬草を採ってきてくれるかしら?」


 森に朝日が差し込み、鳥さん達が1日の始まりを告げる頃、手際良く準備を始めるロリエン先生は私にメモを渡して続けた。


「新鮮な薬草の見極め方は昨日教えた通り。セージとネトルは少し多めに採ってきてちょうだい」


「はい、先生」


「仕込みがひと段落したら、お茶にしましょう」


 その言葉に私の心は天高く飛翔した。私が住み込みで奴隷のように過酷な環境で働くことも厭わないと、ロリエン先生の足元にへばり付いてまで‘助手‘としての地位を獲得した理由…それはロリエン先生の淹れるお茶のために他ならない。

 

 初めて回復薬としてお茶を淹れてもらった時、まるで花束を手渡されたかのように優しい芳香が部屋全体を包み込んだ。口に含んだ瞬間に、ナッティーノートの程よい渋みとやわらかな旨味が口の中を支配した。嚥下すると、胸のあたりで絡まっていた何かがゆっくりと解きほぐされて、私は幸福で満たされていた。


 それ以来、私は冒険そっちのけでロリエン先生のもと、助手としての仕事に没頭している。今考えてみると、あの時飲んだお茶にヤバイものでも入っていたのではないかと思うくらい、従順に働いている。しかしそれはロリエン先生が、ただ回復を目的とした回復薬を超えたものを人々に与えているからだ。誰かを幸せにできるその何かを、私はどうしても知りたかったのだ。


「え〜と、フェンネルにパセリ、バジルと…カモミール」


 渡されたリストは、上から下までびっしりと薬草の名前が書かれていた。ロリエン先生の薬草店は、王都から離れた森に位置しているのにも関わらず、客足が絶えない。週末ともなると、お店は開店から閉店まで大忙しだ。と言うのもここはただの薬草店ではない。回復薬として料理も提供する、この世界で初めての回復料理店でもあるのだ。


「今日は忙しくなりそうね…」


 お店の裏に広がる、ドラゴン2匹分位の敷地の薬草園。大地の恵みを受け、朝日に向かって満面の笑みを振りまく薬草達を連れて、私はロリエン先生の待つお店のキッチンへと向かった。


「あら、早かったのね」


「えぇ、もうすぐお昼の診察が始まりますから」


 このお店に決まったメニューはない。来店した人に合わせて、その人に合う回復薬や回復料理を処方する。最近では病人や怪我人だけでなく、伝染病などの予防のために回復料理を食べにくるお客さんが増えている。


「薬草はそこのテーブルの上に置いて、こっちにいらっしゃい」


 私は薬草をテーブルに並べて、鮮度を保つために水魔法をかけた。


「せ…先生…これは…」


「そうよ〜ポンメルちゃんの大好きな‘お茶目フルコース‘よ」


 私はロリエン先生の作る茶葉を使用した料理に目がない。先ほどから食欲に刺激された脳汁が、唾液となって滝のように溢れ出ている。意に反して、私の尻尾は右へ左へと荒ぶり散らしている。


 テーブルの上には賄いという名の楽園が広がっていた。どこに目をやってもロリエン先生の料理が喜びを全身で表現し輝いて見える。席に着いた途端に、立ち登る湯気と一緒に私の理性がどこかへ旅立っていくのがわかった。


「さあ、いただきましょう。たっぷり食べて、しっかり働くのよ」


「ひゃいっ!いただきましゅっ!」


 思考に先行して私の右手が捕らえていたのは、‘バターナッツティー‘。薬草園で採れたカメリアシネンシスの木の葉から作った紅茶に、クルミのペースト、たっぷりバターと濃厚ミルクで作ったとっておきのお茶だ。口に含んだ瞬間、ほっぺたがとろけ落ちた。今日は特別にメイプルシロップが少しだけ加えられている。


 落ちた頬を拾う間も無く、私はテーブルの真ん中で厳かに君臨するピザに心を奪われていた。様々な薬草が香るジェノベーゼのピザだ。いつもより生地が少し茶色いのは、食べた瞬間に広がる香りで知覚した。生地には粉末状にしたアールグレイが練り込まれていたのだ。普通なら重たい印象を与えるピザが、アールグレイの爽やかな香りでさっぱりとした後味を演出している。私の中でピザに対する最適解が見出された今、顔面の筋肉が弛緩してうまく食べられないことに気がついた。


「あらあら、‘森の茶ピザ‘そんなに美味しかったの?」


「最高でしゅ…先生、ありがとうございましゅ…」


 私はその後、採れたての薬草をふんだんにあしらった‘気まぐれ薬草サラダ‘、バジルとピスタチオの‘翡翠ジェラート‘を平らげ、身内に生命力がみなぎるのを感じた。天にも登る気分とはまさにこのことだろう。私は小刻みにステップを踏みながら、洗い物をして開店の準備を進めた。


 回復料理はただの薬膳料理ではない。薬草だけでは効果が緩やかなので、最後の隠し味にロリエン先生が魔法をかけているのだ。私の助手としての仕事は、雑務に加えて調理補助とその味見役だ。最高かよ。


 私がお店の外に開店の看板を出しに行くと、そこにはすでに2人の人影が見受けられた。


「あ、おはようございます。今、開店しましたのでどうぞ中へ」


「ごきげんよう」


 本日最初のお客様は、サキュバスのお姉さんとヒューマンの旦那さん。旦那さんは清々しいお昼時だというのに、この世の終わりのような顔でお姉さんに抱えられている。まるで冷蔵庫の奥底で数年ぶりに発見された、萎びた生姜のようだ。


「あら、サッキュンじゃない。いらっしゃい。マービンも…元気そうねえ…」


「ごきげんようロリコ。今日は特別スペシャルでお願い」


「はいはい。ちょっと待っててね。ポンメルちゃん、2人にお茶を出してあげてちょうだい」


「配合はどうしますか?」


「そうね〜センニチコウ、アシュワガンダ、シベリアンジンセン、アーマラキーをカメリアアッサミカベースでお願い」


「はい」


 滋養強壮には良さそうだけれど、美味しく淹れるのはとても難しそう。助手としての腕の見せ所というわけね。私が薬草茶の配合に悪戦苦闘している間に、ロリエン先生は手早く回復料理を調理してゆく。その技を少しでも盗もうと頻繁にチラ見しながら、お茶に回復魔法をかけて、2人が待つテーブルへと向かった。


「どうぞ。美味しくはないです」


「ありがとう。はい、マー君飲んでっ」


 キッチンに戻るときに横目でマービンさんを見たけれど、やはりあのお茶は飲みにくかったようだ。無念。


「はい、もうできてるわよ」


 私がキッチンに戻ると、すでに回復料理はお皿の上で運ばれるのを今や遅しと待っていた。なんと神々しい佇まいだろうか。あの真珠のように輝かしい料理は…牡蠣かっ!洗練された牡蠣のソテーは、薬草に包まれ虹色のソースの五線譜上で色彩の音色を奏でている。眩しいっ!後光が差しているようだっ!


「さあ、ポンメルちゃん味見してみて」


 小皿に取り分けられたトロトロの牡蠣が口に飛び込んできた瞬間、目尻が下がり口角が急上昇した。私にはわかる。噛んだらとろけて消えてしまう類のやつだ。できるだけゆっくり、味わって食べなければ…。


 そうして私は味覚の冒険に飛び出した。森のすぐ近くの海で獲れた牡蠣はミネラルを豊富に含み、噛むたびクリーミーな旨みが溢れ出す。バターのマイルドな香りに、ガーリックのフリッカージャブ、そして少し大人の苦味…?そうか、テーブルの上に置いてある冬虫夏草やトンカットアリをソースに混ぜたのか。その苦味で全体の輪郭をはっきりさせ、最後にレモンと添えられたクレソンで味を整えている。いつの間にか儚い淡雪のように消えてしまった牡蠣を探し始める。後味の余韻にどっぷり浸りたいのに、見つけられたのは春風に吹かれたような、仄かなディルの香り。私は無意識に天を仰いでいた。


「美味しすぎる…」


 私はこの回復料理を‘天海の恵‘と勝手に命名した。ロリエン先生は料理の名前には特に興味がないので、レシピをメモする際に私がこっそり名前をつけているのだ。


「よかった。それじゃあ2人に運んであげて」


 なんということだ。こんなご馳走を目の前に差し出されて‘待て‘をされるとは。犬人族の私にとっては、拷問という表現ですら生ぬるい。洪水のように溢れ出す唾液を一気飲みして、荒ぶる呼吸を全く抑えられないまま、お客さんの待つテーブルに回復料理を運んだ。


「ありがとうね、可愛い子犬さん」


「ポ…ポンメルです…ハァハァ…ごゆっくりどうぞ」


 キッチンに足を向け歩き始めたのに、私の鼻腔はテーブル上のご馳走を捕らえて離さない。キッチンでエキナセアのクッキーを小分けにしているロリエン先生に、縋るような視線を送ってみたけれど、先生は首を縦には振らなかった。背後で尻尾がへにゃりと力なく垂れ下がるのがわかった。


 エキナセアのクッキーは、この薬草店が回復料理を提供するようになったきっかけとなるものだ。疫病や伝染病が流行る季節に、ロリエン先生が予防策として免疫力を高めるポーションを配って回った。しかし通常のポーションは苦味が強く、怪我でもしていない限り進んで飲みたいとは思わない。そこで子供でも食べられるように、免疫を高める薬草をクッキーにして配ったのだ。今ではこの薬草店の主力商品になっている。


 しばらくすると、ロリエン先生は手招きして次の回復料理の味見を指示した。‘ボタンボウフウのサラダ‘は、新緑を思わせる爽やかな風味。ドレッシングには玉ねぎとエシャレット、セロリが細かく刻まれているようで、面白いアクセントになっている。様々な薬草が折り重なり、いくらかき分けても更なる発見が止まらない。まるで私の身体に欠落した栄養素を無限に降り注いでくれる、妖精の森に迷い込んでしまったようだ。


 そしてザクロとイチジクのスープは窓から差し込む木漏れ日に反射して、奥深い妖艶な光を放っている。酸味が前面に押し出されるかと思えば、不思議な甘味や旨味の波が打ち寄せる。器の中に注がれた紅色のスープに目を落とす。油断するとその深淵に吸い込まれてしまいそうになる。


「ポンメルちゃん、大丈夫?」


 ロリエン先生に声をかけられるまで、私はぼんやりとこの美しいスープに目を奪われていた。許されるならこのままずっと、小さな器に浮かぶ‘真紅の大海‘に溺れていたい。


「はい…行ってきます」


 助手の仕事は欲望との戦いでもある。私が客席に向かう手の中には、いつも一欠片の幸福が握られている。その味を、その心地よさを知っているが故に、誰かの目の前に手放すのは頗る惜しい。だけど自分の中にもう1人、誰かとこの幸せを共有したいと願う自分がいる。毎日そのもう1人の自分と激しい死闘を繰り広げているのだ。


 それからというもの、怒涛のような忙しさが続いた。もともと普通の薬草店なので、お店は広くない。テーブルの数も少ないので、お客さんはお店の外で列をなして待っている。とても大変だけれど、ロリエン先生の回復料理を味見するたびに、疲れがどこかへ吹き飛んでゆく。そして回復料理を食べて笑顔になるお客さんには、たくさん幸せを分けてもらえる。マービンさんも帰る頃には水を得た魚のように生命力に満ち溢れ、凛々しい顔つきになっていた。


 お店が落ち着く頃には、外はとっぷりと日が暮れていた。食器を片付けて洗い物を終えると、ロリエン先生がカモミールティーを差し出してくれた。木製のカップから立ち上がる湯気が、私の頬を優しく撫でる。


「お疲れ様。今日もよく頑張ったわね」


「ありがとうございます先生。あの…」


 私は知りたい。どうしてロリエン先生の作る回復料理はこんなにも求められるのか。どうしてこんなにも心が満たされるのか。私の魔法ではあまりうまくいかなかった。その差は一体何なのだろうか。


「先生の回復料理…隠し味について教えてください。仕上げの回復魔法、上手にできなくて」


「あら、ポンメルちゃんお料理に回復魔法をかけていたの?」


「え…違うんですか?」


「うふふ…まだまだ修行が足りないわね」


 結局ロリエン先生は、隠し味の魔法を教えてはくれなかった。未熟な私にはまだそれがどんな魔法なのかわからないけれど、それは確かに存在する。心を満たす不思議な魔法。ロリエン先生のもとで学びたい。それはきっと、私がずっと求めていたものだから。

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