人事も尽くしてないのに“天才”を授かってしまった僕の苦悩

「こんなことになってしまって……ごめんなさい」


 最後の戦いが始まる前に、僕達の前にやってきた女テニ部長が小さな声でそう言った。


「あなたの要求……勝敗に関わらず、守りたいと思うわ。コレ以上、情けない自分でいたくないもの」


「部長……」


 ハナが目を丸くする。


「明井さん。本当にごめ――」


「いいんです。それより、全力でやりましょう。楽しみましょう? ね!」


 女テニ部長の謝罪の言葉を遮って、ハナが明るい声で言う。


「明井さん……分かりました。それから、神乃ヶ原くん」


「はい?」


「彼を……止めてね。全力で。一切の言い逃れが出来ない形で、負かしてみせて。出来る?」


「余裕です。天才ですから」


 僕は自信満々にそう言った。




◆◆◆◆




「おぁっ!」


 渾身の力を込めてサーブを打つ。


 返ってきたボールにハナが喰らいつく。


 そしてまた返ってくるボールに向けて、僕は全力で走る。


 向こうも完全に本気だ。


 地力では元々ハナに勝っている人達だ。


 おまけにこっちはもう、ライン際ギリギリは狙えない。


 気がつけば2ポイントを取られていた。


 それでも、勝たなければならない。


 ……出来るよな?


 出来る筈だ。


「お前は天才なんだろ? 神乃ヶ原天っ!」


 僕が放ったショットは、ネットの縁ギリギリのところに当たり、勢いを殺されたボールは、相手コートに落ちた。


「コレなら……文句ないよな!?」


 喝采が巻き起こる。


「すごい……今の狙ってやったの?」


「トーゼン」


 嬉しそうに駆け寄ってくるハナの笑顔に向けて、僕は親指を立てた。


「でも、今のもコートボールって言って、ポイントにはなるけどマナー的には良くないんだよ。やっちゃったら謝らないといけないの」


「うえぇ? コレもご満足いただけないの? まったくワガママなお姫様だな」


 文句を言いつつも、僕は一応向こうのコートに向けて手を上げてみせる。


「お、お姫様って……!」


「じゃあ、次はもっとクリーンに、正攻法で勝ってやる」


「う、うん……」


 赤くなるハナを尻目に、僕は次のサーブを打つ。


 ……待てよ? 僕、最初の方で、サーブにスピン掛けたよな?


 あれを応用すれば、いけるんじゃないか?


 自コートに打ち返されるボールを眺めながら、僕は閃きを実行してみようと考えていた。


「いけっ!」


 やがて、目の前に飛んできたボールに、とびっきりのスピンを掛けてみる。


「あぁっ! ライン際!」


「駄目だ! またクソジャッジされるぞ!」


 神原と小太郎の悲鳴が聴こえる。


 大丈夫だ! 多分!


 地面に叩きつけられたボールが、僕の描いたイメージ通りに、コートの内側に向かって跳ねる。


「な……!?」


 自コートに残ったボールを見て、両部長が驚いた声を上げる。


「へ、へへ……神乃ヶ原流……『ボールはコートの中にいたいようです』だっ!」


「いやダセぇっ! でもすげぇっ!」


 小太郎の、ツッコミと称賛が一つになった声がする。


 よし……コレで勝てる!


 起死回生の一手を見出した僕は、この後もさらに魔球『ボールはコートの中にいたいようです』を決める。


「コレで2-2……同点ですねぇ……!」


 ニヤついた僕は、意気揚々とサーブを打つ。


 ……いい加減、疲れてきたのか、少し精度が落ちてきた気がするな。


「あっ……!」


 返ってきたボールを、ハナが打ち損じてしまう。


「ごめん……」


「いや、気にすんな」


 まずいな……コレで向こうがリーチだ。ハナの消耗も気になるし、何よりライン際を狙うとアウトになるというプレッシャーが彼女を追い詰めているのだろう。


 ……カッコつけてアホなハンデを背負ってしまったな。やれやれだ。


「でも男は……カッコつけて口にした言葉を……撤回できません!」


 我ながらキャラが崩壊しつつある発言をしながら、サーブを打つ。


 戻ってくるボールを、今度は上手くハナが返す。


 勝つんだ……! 絶対……!


 戻ってきたボールに、僕は先程と同じ、飛び切りのバックスピンを掛けてやった。


「神乃ヶ原流……奥義っ!」


 相手コートに弾んだボールが、ネットを飛び越えて、自コートに返ってくる。


「えーと……『ボールはコートの中にいたいようです。欲を言うなら自コートがいいみたいです』だ!」


「いやナゲーよ!! でもスゲーよアマツ!」


 再び小太郎のツッコミと称賛を受けながら、僕は笑みを浮かべていた。


「リーチ。次で終わりです……!」


 ……楽しいな。必死こいて戦っている最中なのに、楽しくて仕方がない。


 見れば、ハナも、相手の部長達も笑みを浮かべていた。


 憎しみはきっかけに過ぎず、全力でぶつかっている内に汚い感情は消えてしまったのか。


 ふふ……以前の僕だったら、鼻で笑い飛ばすような綺麗事だ。


 でも今は、そう悪いものでもない気がしてきたよ。


「まぁ、勝つけどねっ!!」


 コレが最後のサーブと心に決めたボールは、向こうのラケットに吸い込まれ、跳ね返ってくる。


 ハナがそれを打ち返し、女テニ部長がそのボールに飛び付く。


 来た……! 行くぞ……!


「コレで……っ!」


 僕は再び渾身のバックスピンを掛けたボールを相手コート中央に落とす。


 ボールは僕のイメージ通り、ネットを飛び越えるであろう軌道を描き、こちらのコートへと帰ってくる。


 その最中――


「うおぉっ!!」


 飛び付いた男テニ部長のラケットのフレームの端が、僅かにボールを掠める。


「……!」


 勝利を確信していた僕は、こんなことが起こり得ると予想していなかった愚かな僕は、軌道の変わったそのボールに、反応できなかった。


 軌道の変わったボールが、確かに自コートの隅で跳ね、外へと出て行く。


 僕は……負けた。


「ぅああっ!!」


 そう僕が諦めた瞬間――先程の男テニ部長よりも、自身を顧みない勢いで、ハナがボールへと飛び付いた。


「ハナ……っ!」


 ハナが打ち返したボールは、とても弱々しい軌道で、だけど確かに、相手コートへと落ち、その後、ゆっくりと転がった。


「ハナっ!」


 僕は地面へとダイブしたハナに駆け寄り、慌ててその身体を助け起こす。


「入った!? 今の?」


 痛い、などと漏らすよりも、何よりも先に、彼女はそう尋ねてきた。


「あ、ああ、入ったよ」


「やったぁ! 勝ったんだね! 勝ったよ、テンちゃん!」


 そう言って、汗と砂と、泥まみれになった顔に満面の笑みを咲かせて、彼女が抱きついてくる。


「……ハナ。……ハナっ!」


 僕は……僕はこの人が大好きだ。ずっとずっと大好きだ。


「僕は……明井花が大好きだっ!」


 思わず、テニスコート全体に聞こえる声でそう叫んでいた。


「才能なんか全くないのに、努力することを諦めないところが好きだ!」


 彼女を抱き締めた腕を弛めないまま、僕は続ける。


「失敗して、転んで、傷ついたときに! 強がって笑うところが好きだ!」


 真っ赤に染まっていく彼女の頬を見ながら。


「可哀想な自分に酔わないところが好きだ! 今の自分で満足せずに、もっと好きになれる自分を目指しているところが好きだ!」


 恥ずかしそうに目を逸らし、それでも受け止めなければとこちらに向き直る彼女を見ながら。


「どんなに辛くても、自分の好きなモノを楽しむ為に戦い続けるところが好きだ!」


 いつの間にか溢れていた涙が、彼女の頬に落ちるのを見ながら。


「凡人の癖に、天才である僕にいつも何かを教えようと、お姉さんぶる為に、貪欲に何かを学ぶところが好きだ! 天才の僕にすら出来ないことを、いくつも出来るところが好きだ! 彼女は……努力の天才なんだ! 自分より優れた人間を目の当たりにしたときに、自分を押し上げるのでなく、他人を引きずり下ろそうとするような人間が……ちょっかいを出していい人間じゃないんだ!」


 そこまで言って、僕は立ち上がり、コート全体に向けて叫んだ。


「今度ハナにくだらない劣等感や利己的な自己憐憫を押し付けてみろ! 僕は容赦しない……! 全員、泣かすぞっ!」


「…………」


「…………」


「…………」


「えと、そんな感じ。じゃあ、あの、僕はこの辺で失礼しようかと――」


 静寂に包まれたテニスコートから、居たたまれなくなった僕が逃げ出そうとした時だった。


「待ちなさい」


 振り替えるとそこにいたのは、どこか憑き物が落ちたような顔をした、両部長だった。


「な、何ですか……僕は今、自分の発言と、何泣いてるんだ自分はって恥ずかしさに堪え切れなくなって逃げたい気分なんです」


「全部自分でやったことじゃないの。天才のくせに、可愛い子ね」


「む」


 子供扱いされた僕が何か言い返そうかと思った瞬間、両部長がハナに頭を下げた。


「本当に、すみませんでした……コレからは、二度とこんなことが無いようにします……!」


「え、ちょ……わわわ、やめてくださいそんな……っ」


「彼が言っていたように、昔の気持ちを思い出して、精一杯理想の部長を目指していくよ……!」


 うろたえまくるハナと、頭を下げっぱなしの部長を余所に、僕はこっそりと歩き出した。


「よ。お疲れ」


「ああ、疲れた。ありがとな」


 僕は小太郎に礼を言う。


「……良かったですわね。グスっ……ハナちゃんと、仲良くね……!」


 神原は泣きじゃくりながら、僕に背を向けて駆けて行ってしまった。


「え……何だあれ?」


「気にするな。いや、お前は気にしちゃいけないんだ。あとは俺に任せてくれ」


 首を傾げる僕の肩に手を置き、妙に漢気のある声でそう言った小太郎が彼女の後を追って駆けていく。


「おめでとう神乃ヶ原くん。キミはハナさんだけでなく、あの両部長も救ったねぇ。見事な落とし所を作ったもんだ」


 僕が首を傾げていると、速見先輩が声を掛けてくる。


「……ありがとうございます。そうですね。ただ自分がムカついて、叩き潰したんじゃ、ガキだなって。ハナがコレからも頑張っていく場所なんだからって……そう思いましたから」


「彼女は幸せものだねぇ。今日はもう帰って休みたまえ。交換条件であった密着取材は、後日ゆっくりと受けて貰おう。自己紹介の言葉、考えておいてくれたまえよ?」


 速見先輩がそう言ったところで、コートの方からハナの声がした。


「あ、テンちゃん! 夜、部屋に行くから! その時にまた話そう?」


「…………」


「……今夜何が起こったのかも、後日じっくりと訊かせてもらおう」


「それは拒否します!」


 そう言って僕は歩き出した。


「自己紹介……自己紹介、か」


 何の皮肉か、間違いか、或いは神の悪戯か……僕には大抵のことは高水準で出来てしまうワケの分からない才能があるらしい。


 僕は神乃ヶ原天。高校一年生。


 ……どうやら僕は天才らしい。いや、皮肉や嫌味で言ってるのではない。


 何せこの才能を一番疎ましく思っているのは、僕自身なのだ。


 僕はこの才能を疎ましく思っていた。


 出来て当たり前を期待されて、出来なきゃ失望を顕わにされる。


 ……まぁ実際に、何でも当たり前に出来てしまうんだけどさ。


 でも、最近はこの才能があったから、今の自分があるんだと思えるようにもなったんだ。


 だったらチラシの裏にでも書いてろと言われたら、ぐうの音も出ないのだが。


「ま、こんなとこか」


 コレは……そんな僕の苦悩を描いたお話だ。


 そして、人事も尽くしてないのに天才を授かってしまった僕の日常は、コレからも続くのだろう。


 最高の仲間達と、最愛の人達と共に。

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人事も尽くしてないのに“天才”を授かってしまった僕の苦悩 アンチリア・充 @Anti-real-m

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