天才だって成長するんです
「……はぁ」
大きな溜息を吐く。
……思い通りにはいかないものだな。
どうしてそこまで愚かな選択をする? 衆人環視の上で、部員達の見守る中で、長たるあなたがそんなことをしたら、どうなるか想像できないのか?
散々煽り散らし、赤っ恥をかかせた上で、もう部員達が誰も言うことを聞かない状態にしてやろうなんて考えていたものの、実は僕にとってそれは理想の結果ではなかったのだ。
いや、僕個人としては、それが一番すっきりする。でもそれではあくまで僕の個人的な恨みを晴らしたに過ぎないんだ。
ハナにとっては……大会前のこの時期に部がバラバラになることなんてことが、理想的であるはずがない。
分かってるさ。だからと言ってあのままで、ハナが虐げられていて、周りの連中は止めたら次は我が身だとそれを黙認して! そんな状態でハナを除いた部員達が纏まっていようと、喩え全国大会で優勝したとしても、そんなことは容認できるはずがない!
僕にとっての最優先は、ハナを救済することだ。そこは動かない。
その為なら、誰を傷つけてもいいとすら思っている。思っていた。
だが、願わくば……望めるのなら、救済されたハナが楽しめる場をそこに作ってあげたかった。
打ち負かされた彼らは『負けたよ、凄いな神乃ヶ原くん。明井さんも凄いじゃないか』と笑い、今までの自分達の行いを悔いて。
そうだ、こんなことおかしいと声を上げる部員達に、自分達は何てことをしてしまったんだと猛省し、詫びる部長達。
それを笑って許すハナ。
一致団結してテニスに励む一同。
……夢物語だな。あり得ない、都合の良すぎる絵空事だ。
だけど、理想ではあった。最良のゴールには違いなかったんだ。
僕は心の底でそれを望んでいたんだと、今気がついた。
でも、あいつはルールを捻じ曲げてでも、部員達の信頼をかなぐり捨ててでも、
理想の未来は今
どうする? では僕はどうする?
思考を止めるな。考えるのをやめるな。
僕は一体彼女の為に何が出来る?
「ふざけるのもいい加減にしてくださいっ!」
ざわめきの中、一際大きな声で僕を思考の海から引き戻した声の主は、フェンスの向こうの神原天乃だった。
「そんなことをして勝ったとして、あなたは『自分は神乃ヶ原天より強い』と胸を張れますの!? その勝利は、敗北より苦いものになるのが分かり切っているのに!」
神原の声に、辺りが静まり返る。
マジギレだ。僕が見た中でもトップにランクインするほどの怒りっぷり。
でも、その悲痛な声には、怒りだけでない、訴え掛ける別の何かが含まれている。
「コレ以上、いきなりやってきた礼儀知らずに練習の時間を取られるワケにはいかない。一刻も早く終わらせるだけだよ」
だが、今更後には引けない男テニ部長は無理して作った涼しい顔で神原を一蹴した。
「いいんスか先輩? あんた、本当にそれでいいんスか?」
次いで声を上げたのは、同じくフェンスの向こう側にいた小太郎だった。彼もまた神原に負けじと険しい表情をしている。
「後が怖いっスよ? 先輩が今カッコわりぃ手で怒らせてるの……未経験なのに、柔道部の顧問に柔道で勝つくらい強い男ですよ?」
コレは、脅しだな。
口を挟もうか一瞬迷うが、僕は黙って成り行きを見守った。
コレは野次馬根性などでなく、小太郎なりの精一杯の抗議なのだろう。
ヘラヘラしているように見えて、腸が煮えくり返っているのがよく分かる。
……神原。小太郎。
「そういや先輩は勝ったらアマツに土下座してもらうって言ってましたよね? 奴隷としてコキ使ってやるとも」
「言いましたわね」
「言ったね」
神原と速見先輩が続く。
「じゃあ、アマツ達が勝ったら、先輩は何をしてくれるんでしょうね? どんな要求をされてしまうんでしょうねぇ? そこの、怒りを迸らせた、最強の天才に! なぁ、そうだろ? アマツっ!」
そう言って小太郎が僕に振る。
あぁ……そうか。良い流れ作ってくれたなぁ。
神原。
小太郎。
速見先輩。
やっぱり頼りになるなぁ。コレは、僕一人じゃ思いつきもしなかった流れだ。
……だがなぁ小太郎、僕はお前の予想とはちょっと違うことを思いついたぞ。
「え……何が?」
僕はキョトンとした顔を作って見せた。
「何が……って! お前ここはどう考えても俺の作った流れに乗っかって、もう不正なんか出来ねーくらいにビビらせる流れでしょーが!」
「ははは……あっはっははは!」
小太郎の狼狽っぷりに僕は大笑いした。
おかしいな。さっきまで腹の底にあった暗くて重い怒りが、綺麗サッパリどこかに行ってしまったようだ。
……僕のことで、僕以上に怒ってくれる仲間がいる。
その事実が僕に怒りを忘れさせたんだ。
「いや何笑ってんだよ! そうだ速見部長! スローカメラとか持ってきてません!? それで撮影してればもうあんな好きにはさせないで……!」
「ウチは写真部じゃなくて校内新聞部だよ。そんな機材が支給されてるワケがないだろう。いや写真部にもないと思うが」
「じゃ、じゃあ、高性能のデジカメとかで動画撮ってれば……」
「この距離じゃ無理だろうねぇ。神乃ヶ原くんの打つ球は速過ぎる」
「はっはっはっは!」
小太郎と速見先輩の漫才に僕はなおも笑う。
「いやだからさっきから何笑ってんだっての! お前ピンチなんだぞ! ここは『ここから全弾KO狙いでいきますんで』って脅し掛けるところだろうが!」
「ははは……あー笑った。まぁ、確かにさっきまで僕も『顔面に穴開くまでブチ込んでやろう』と思ってたよ」
僕の言葉に、一瞬男テニ部長が身体を強張らせるのが分かった。
……心配しなさんな。そんなことしないよ。
「
僕は先程まで怒りに呑まれそうだった自分を棚に上げて、強がることにした。
「そんなワケで部長さん方。コレでイーブン。次を取った方が勝ち。そちらがそれで恥ずかしくなければこのまま次にいきたいんですけど」
「おいおいおいアマツ! あんなクソジャッジを通すってのかよ!?」
小太郎が信じられないと言った声を出す。
「うん。そうだよ。あ……でも勝った場合の要求を先に言っておくのはアリだな……何にしようかな」
小太郎の熱をさらりと流す風を装って、僕は呑気に考えるようなポーズを取った。
内心、親友達が作ってくれた流れに、自分の中の毒気を抜いてくれたことに感謝しながら。
僕は男テニ部長、女テニ部長、テニス部員達、フェンスの向こうの仲間達、そして……後ろにいるハナを見た。
「テンちゃん……」
……分かってるよ。ハナ。そんな心配そうな顔するな。
「僕達が勝ったら、先輩達は……もう一度“部長”になってください。いつの間にか熱意を失っていた今の自分達に別れを告げて、先代から指名された時の、喜びと、自分がみんなを引っ張るんだって目指していた“部長”の理想像を追いかける、熱い気持ちを思い出してください」
「…………」
「…………」
「…………」
「個人的な感情なんかで誰も虐げられない、部員達がぶつかりあいながらも力を合わせて、切磋琢磨し、一つの目標に向かっていけるような……そんな、理想的で、漫画的で、実現するのが難し過ぎて投げ出したくなるような、夢物語みたいな場所を……! 馬鹿らしいと思わずに、本気の本気で作ってください! それが僕の要求であり、命令です!」
僕はそう高々と叫んだ。
瞬間、フェンスの中、外から、大喝采が沸き上がった。
「アマツぅううううう!! お前超カッコイイぞおおおおおおお!!」
「素晴らしい言葉ですわ!! 私、感動しましたわ!!」
「今の歴史に残る演説!! ちゃんと撮ったかい副部長!?」
「オフコースです! 部長!!」
沸きに沸く仲間達、いや、テニス部員達まで歓声を上げている。
もうここはアウェイじゃなくなった。
「テンちゃん……」
「コレが僕の答えだよ。ズルい手を使ってくるヤツにも正々堂々と戦って勝つからカッコいいんだ。気持ちいいんだ。ハナが言いたかったのって、そういうことだろ?」
僕は精一杯のキメ顔でそう言ってみた。
目の前の少女の目に貯まる涙を眺めながら、再度自分に確認する。
そうだ。自分の感情を優先してる場合じゃないんだ。僕のすべきこと、僕の出来ることは――
「ありがとう、テンちゃん……大好きだよ」
――彼女の、愛した人の望む世界を守ることなんだ。
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