堕落と怒り

「えいっ!」


 女テニ部長の放った強烈なサーブを、今度こそはとハナが打ち返す。


「……あ」


 だが、惜しくもそのボールは、相手コートの枠の僅かに外側で跳ねた。


「ドンマイドンマイ。次、次」


「うん! 次こそは!」


 ハナはどこか嬉しそうにすら見える表情で、そう口にした。


 続いて三本目のサーブが放たれる。


「んっ!」


 何とかコート内に打ち返すことに成功したそのボールに、男テニ部長が駆け寄ってくるのが見える。


「らぁっ!!」


 意趣返しのつもりだろうか? 僕に当てたかったんだろうな。


 だが――


「――遅いっ!」


 顔面めがけて飛んできたそのボールを、僕は打ち返す。


「くっ!」


 女テニ部長が、その弾をまた打ち返す。


「ハナっ!」


「はいっ!」


 そのボールをまたハナが。


 ……なるほど。


 コレは結構楽しいかもな。少しハナの気持ちが分かった。


 目の前のボールに一秒でも、一歩でも早く追いつき、打ち返す。


 全身全霊で勝利の為に一瞬を戦う。


 なかなか悪くないじゃないか。


 彼女の楽しんでいるものの片鱗を味わえて、僕は少し嬉しくなっていた。


「んぉっ!」


 男テニ部長がさらに打ち返そうと構える。


 僕もハナも、コートの前面に出てきている。コレは――!


「――っ!」


 瞬間、僕はコート後方へと向けて、弾かれるように走り出した。


 予想通り、僕の背中を追い越したボールが、コートの奥深くでバウンドする。


 ……僕の初速を、ナメんなよ!!


 最初の一歩目で倒れそうなくらいの前傾姿勢を支え、二歩目でその体重を総て前へ、解き放つ。


 爆発的な加速に成功した僕は、あっという間に跳ねるボールに追いつき、次の一歩で追い抜く。


 ――テンちゃん、あんなに身体捻じれるんだ。打つ前のバックスイングの時、すっごい身体捻ってるの。普通の人よりずっと。身体柔らかいんだね。


 先程のハナの言葉が脳裏に蘇る。


 じゃあ……! 振り向きざまの回転を、全部ボールに加えたらどうなるんだろうな!?


 最後の踏み込みを軸足にし、僕は先程の爆発的な加速の勢いそのままに回転した。


 多分、常人だったらここで軸足にした脚の腱が切れるか、足首を痛めるんだろうな。


 だが、僕の身体の柔らかさなら、吸収しきれるはずだ。


「おぁあっ!」


 僕が打ち返したボールは、相手チーム二人の頭上を越えたところで急激に落ち、コートのライン際ギリギリに叩きつけられるように落ちた。


「テンちゃん! すごいっ!」


「まかせとけ!」


 嬉しそうに駆け寄ってきたハナと、ハイタッチをする。


 うーむ。我ながら今のは凄いプレーだったのだろうということが分かる。


 見れば、フェンスの外の仲間達も手を叩いて、興奮しているようだ。


「……ウト」


 そんな時、ネットの向こう側からそんな声がした。


「え……」


 どうやら、今の声は男テニ部長のもののようだ。何だ?


「?」


 ハナが信じられないというような顔をする。何なんだ?


「アウトだよ。今の。まぁジャストだが」


「……はぁあ?」


 何言ってんだこいつ? 今のボールが入ってなかったって? 眼科行くか?


「い、今のは……インだったと思います!」


 ハナが抗議する。


「いやいや、明らかにそっちコートからより、自コートにいる俺達の方が見やすいでしょ。今のはアウトだったよ」


「ちょ、ちょっと……」


 今のがアウトでないことは、誰の目から見ても明らかだ。女テニ部長も、若干非難するような声で男テニ部長に詰め寄る。


「セルフジャッジでやるって話なんだから、ここで入った入ってない言っても水掛け論だと思うけど? それか誰かウチの部員を審判にする?」


 あぁ……そういうことか。


 ここで部員達が部長に逆らったジャッジなんか出来るワケないだろう。しかも平然と部員いびりをするような部長のもとで。


 それが許されるこの無法状態でそんな反抗をしたら、次のターゲットは自分になる。


 こんな状況で審判に立候補できる部員など、いるはずがない。


「……堕ちたね。もう実力では敵わないと認めたから、そうするしかない……か。憐れだね。実に」


 僕は心底蔑んだ視線で、憐れむような声を出した。


 別に期待していたワケじゃない。それでも女テニ部長さんの本気のサーブを目の当たりにした時は、少し、ほんの少しだけ心が躍ったのは事実だ。


 まさか、その跳ねた心の着地点がこんなところだとは、がっかりとしか言いようがない。


「何を言っているんだか分からないが、コレ以上練習の時間を削るワケにもいかないから、さっさと次にいかせてもらうよ」


「大したもんですよ、本当。その爽やかなスマイルの一枚下は必死こいた形相で汗かいてるんですよね? 一体何と戦っているんです? そこまでして何を守ろうとしてるんで?」


「何のことだか分からないな。ただ僕達は乗り込んできて無茶を言ってる君に付き合ってあげてるだけだよ」


 にこやかなスマイルを貼りつけた男テニ部長の声に、若干戸惑うような素振りを見せたが、やがて諦めたように女テニ部長さんはサーブのモーションに入った。


 ハナが打ち返す。


 男テニ部長が打ち返す。


 僕はそのボールを、先程よりもラインの内側へと余裕を持って打つ。


 だが、返されてしまった。


「んっ!」


 どうにかハナが拾ったボールが、再び僕の方へと打たれ、向かってくる。


 やはり、ライン際に打つしかない……!


 そう判断した僕は、ネット際。ほぼ真横と言えてしまう程ギリギリに打った。辛くもラインの内側でワンバウンドしたボールがコートの外に飛び出して行く。


 そこで、再びあの言葉が耳に飛び込んできた。


「アウト」


 ……やはり、もうKOしかないか。

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