鹿水の子
甘露灯
第1話
この世界の、山をご神体にする村には「鹿の力」を持つ者がいる。
山ごとに、一体ずつ、村の水源を守る鹿の姿と人の姿を持つそれを、人々は鹿水(かみ)の子とよんだ。それは時に人里に降りてくるものの、決して村人と交わらない山に住まうものであった。
村人はこの鹿水の子供が嫌いだった。金や水色や桃色など異色の髪をしており、角をもち、肌には鹿の背のように鹿の子模様が浮かんでいる姿がなんとも気味悪く、鹿水の子が現れるときには村人は子供を抱え家に隠れたものだ。
神への信仰の元多くの人々が暮らしていた時代から時は進み、近代化により多くの山が切り崩され高いビルが立ち並んだ。山の切り崩された土地では山神の名こそ残っていたが、鹿水の子もはや忘れ去られ、生きる道を失い、次第にその数を減らしていった。水は汚され、全ての神の力が弱まり、山の残る土地でさえ鹿水の子の力は弱まっていた。
とある村で、鹿水の子がしんだ。目を隠すように伸ばした髪を後ろの髪も同じ長さに切り揃えたおとなしそうな水色の髪を持った鹿水の子で、珍しく村人に愛された子であった。
鹿水の子が死ぬと、村の湖も、近くの山の川もたちまちに干上がり、田にひく水も、飲むための水にさえ困り、村人は酷く困った。新たな鹿水の子が現れるのを待つこともできず、どうしたものかと迷っていると隣村から越してきた男が言った。この者は鹿水の子がいなくなった土地から来た者だった。
「最近、東の方で鹿の聖地だった山がくずされて、ビルが建ったらしい。そこならばまだ鹿水の子が生きているかもしれない」
村人はざわついた。鹿水の子を連れてくるなどということは聞いたことがない。そんなことをして天罰が下されないか、そもそも鹿水の子は他の土地に連れ出せるのか。皆口々に不安がり、乗り気ではなかったが、一人の背の高い男が言った。
「話し合っていても仕方ない。天罰を恐れて何もしなければ、先に村ごと干上がる。何としても鹿水の子を連れてこなければ」
「しかしまがいなりにも神の子を、なんと恐れ多い……」
「ではほかに方法があるか?」
「村のみんなでほかの場所に引っ越すしかねえ」
「ほかの村が俺たちみんな簡単に受け入れてくれると思うのか」
村人は静まり返った。
「それでも、なんとかうけいれてもらうしかねえよ」
若い男がつぶやき、いくつかの村人は親戚のもとへ行くと出て行った。
「俺は鹿水を連れてくる。どのみち山が崩れりゃ鹿は死ぬ。いるなら連れてくる」
背の高い男が村を出る準備をはじめ、何人か乗り気でなかった男たちも、村にしか居場所のないものは付き従った。
街ではビルの立ち並ぶ道路を齢十ほどの男の子がふらふらとあるいていた。金髪の胸元まで伸びた髪は切り揃えられておらずぼさぼさで、白の着物を一枚羽織っていたが、手がすっぽり隠れるほど体に合わず大きく、引きずっていた。全身は土に汚れ、生気が薄く幽霊のようだ。周りと歩む速度も違い、まっすぐ歩けていないために何度か人にぶつかって倒れたが、その子を振り返る者はいなかった。
村を出た男は、街に来て程なくしてその子供を見つけた。鹿水の子は、その山神を心から信仰するものにしか見えない。そして山神を信じる者には自ずと縁が繋がれる。随分と痩せこけているが、あれは間違いなく鹿水の子だ。
それにしても昔村にいたかわいい鹿水の子とちがい、なんとみすぼらしい鹿だろう。こんな子供に、村が救えるのだろうか。男は心の中で見下しながら、考える。初めは話をしてついてきてもらおうかと考えていたが、そんなことをして逃げられるよりあんな弱そうな鹿は捕らえて連れて行ってしまった方がいい。男は仲間と話をつけ鹿水の子をびこうすることにした。
金髪の鹿水の子――翠玉(すいぎょく)おなかが減って仕方がなかった。ある日突然人々が押し寄せ、住処だった山は崩された。山を大きな機械で壊す人たちに、やめてくれと頼んだけれど、その声は届かなかった。誰にも翠玉の姿さえ、見えていなかった。
自分にご飯をくれていた山神様はあの山とともに死んでしまった。私を翠玉と呼んだ優しい声も、もうしない。山神様は最期に「すまない」とだけいった。
知らない場所になってしまった自分の住処を見るのもつらく、どこかへ行ってしまいたかったけれど、翠玉はここ以外の世界を知らなかったし、どこへ行けば食べ物が得られるか、どこへ行けば自分が存在することができるのかさえわからなかった。山神様だけでなく仲間の鹿も消え、村があった頃と同じように人はいるのに、誰にも認識さえしてもらえない。急に世界に取り残されてしまった。これほど淋しいことはなかった。ただひたすらにビルの合間をさまよい、少しでも元の自然に近い場所を、山神様の影を探していた。――でも、もう歩くのも疲れた。
人通りの多い道を抜け、路地に入ると、四、五人の男達が翠玉を取り囲む。手には縄と袋を持っていた。けれど翠玉はそれを気にもとめなかった。姿が見えるはずはないのだから、男達同士で喧嘩でも始めるのかとおもっま。おかしなところへ入ってしまったと思ったくらいだ。そのまま歩みを進めると、男達は測ったように一斉に翠玉へかけて近寄り、急に目の前が暗くなった。
――目覚めると、薄暗い小屋の中にいた。
「これが、余所の鹿かい?ずいぶんと小汚いね」
「こんなちびで細くてきたねえガキで、村の水が復活するかよ」
人の声が聞こえる。翠玉は起き上がろうとするが、思うように動くことができなかった。
「あ、目が覚めたみたい」
4、5人の大人が取り囲み上から品定めするようにみていた。恐ろしくて翠玉は逃げようとしたが、全身を何かに縛られているようだった。後退することさえもままならない。
「それで……こいつを連れてきたはいいが、どうやって水を復活させるんだ?」
あの時、路地にいた男達だ。初老の男が背の高い男に聞く。
「俺はしらねぇよ。連れてくりゃ何とかなるって、あいつが言うから」
背の高い男は別の男を指さして言った。
「俺は、まだ生きてる鹿水の子がいるかもって言っただけで」
「じゃあなにかい、どうするかわからないで連れてきたのかい」
あの時いなかった小太りの女が口を挟んだ。
「水神祭りが明日あるというのに、水があまり少ないんじゃぁまずい」
「祭りよりもあたしたちが生きるか死ぬかの問題よ」
女は神経質そうに腕を組みながら指をトントンと叩いている。
「ねえあんた」
ただ話を眺めていた翠玉は、自分が呼ばれたことに気づかなかった。
「あんたよ!」
女は強く翠玉の背中をけった。
「おい、仮にも鹿水だぞ」
「捕らえて連れてきといて今更関係ないわ。あんた!鹿水の子なら私たちの枯れかけた湖と山の川を元通りにしなさい!」
口につけられていたガムテープを思い切り剥がされ喋れるようになったものの、翠玉はしばらく女に何を言われているのかがわからなかった。
生まれてから一度も水を戻すなんてことはしたことがない。山神様の山にいたころは、ほかの鹿と同じように生活をしていた。鹿水と呼ばれる自分たちは水を守ることが役目だったが、それは山があってこそ、山神様がいてこそだ。翠玉の暮らした山は死に、山神も死に、ここがどこかもわからず、やり方もわからないのに、どうやって水を満たせというのだろう。鹿水は神ではないのに。
「あの……ここは、どこですか」
翠玉は尋ねた。
「そんなのどうだっていいじゃない!」
女は怒鳴った。
「いや待て。大事な話かもしれない。ここはお前のいたところから140里西にきた所だ」
背の高い男が答える。
よくわからなかったけれど、翠玉の山神様のところからは遠く離れた場所らしい。
「紐をほどいてください」
「そうすればお前たち鹿は逃げるだろう」
「前にも捕らえたことが?」
そう聞くと、男は言葉を詰まらせ、取り繕うように
「野生の鹿のことだ」
という。
「それより、お前はここの鹿水の子じゃねぇ。逃げるに決まってる」
「どこへ逃げるというのですか。帰る場所などないのに」
翠玉は男をじっと見た。男はも翠玉と目を合わせ、時期に折れるように静かに縄をほどいた。
「ここに山はありますか」
「やっぱりこいつ逃げる気じゃないか!」
横にいた初老の男が慌てだす。男はそれを制すると、先ほどほどいた縄を首に縛り直し、近くの山へと翠玉を連れていった。
懐かしい緑の香りがした。翠玉以前いた、あの山とは違うがそう変わらない優しい匂い。
翠玉をかわいがってくれた山神は死んでしまった。それでも、ここに別の山神がいるかもしれない。もしいるなら、翠玉に応えてくれるかはわからなかったが、この村の水は戻るかもしれない。
翠玉は鹿の姿になり、声を張り上げて鳴いた。なんども、なんども。繰り返し、山の神や仲間に届くように。
――しかし、神は応えなかった。山神の声どころか、翠玉と同じ鹿水の気配も、山の神と命を共にする鹿やうさぎ、山の血脈である木々の声も何もしなかった。
ここは翠玉の知っている山じゃない。あの自分の育った山ではないだけでなく、本質的に自分の知っている山と違う。ここにあるのは鹿の力と繋がるものがない、力を失った土の塊だ。
「――い。おい」
男が呼びかける。
「何をしている」
翠玉は立ち尽くしていた。何故、誰も応えないのか。形はあるのに、自分がほかの山の鹿だから駄目だったのか。それともどこの山も人々に壊されなくとも、もう山神や私たちの手を離れ、死んでしまったのか。少なくともこの土地の山神も鹿も誰も私に応えてくれない。つまり水を戻すこともできない。ならば翠玉は村人から恨まれて、そして鹿水の自分が何もできなかったということは鹿水への信仰も絶たれ、山神様にも汚名が及ぶかもしれない。
「水は戻せないのか」
男が問うた。翠玉は答えることができなかった。いや、答えたくなかっただけかもしれない。静かに人の姿へと戻ると、男は諦めたように翠玉を担ぎ、小屋に連れ戻した。
小屋へもどると、ヒステリックな小太りの女が、なにが「カミの子」かと怒りを露わにしていた。前の鹿は美しかったのに、この鹿はみすぼらしいばかりか役立たずで、そればかりか私たちに天災を持ってくる疫病神に違いないと捲し立てる。
「あんたがカミなら水くらいなんてことないでしょ!!どうにかしなさいよ!!」
「そうだ水、水を満たしてくれ!!」
「水を満たせ」「満たせ」「満たせ」
村の人々が初めと同じように取り囲んだ。今度はもっと多くの人数が居た。彼らは早く水を、そうできなければ殺すと叫びながら何度も翠玉を蹴り、殴った。しばらくそれが続いたあと、奥で見ていた1人の老爺が言った。
「この子を水神様に供えれば良いのではないかの」
その一言にはっと人々は殴る手を止め、老爺の言葉に賛成した。
「みすぼらしくないかしら」
不安げに女性が呟いた。
「なぁに、どれだけボロボロであろうとも鹿水の子じゃ。これ以上の生贄はなかろう」
ことが決まると、奇妙な程に人々の動きは早かった。翌日に迫った水神祭の為に翠玉に少ない残りの水から水浴びをさせ、服装を綺麗に取り繕う。
そして粗方の準備が住んだあとは小屋に元通り綱で繋ぎ、祭事の日を待った。
祭の日。朝から村は賑やかだった。村の先行きが困難な状況など感じさせないほど晴れやかな賑わいで、屋台が立ち並び、人々は晴れ着を着ている。水神祭は朝から行い、夜に贄を沈める。そして夜通し祝詞を上げ二日続く。大掛かりなものだった。
1人小屋の中の柱につながれた翠玉は、ぼんやり天井を眺めていた。どうせ贄とならずとも死ぬのだから、どうとでもなればいい。けれどここにいた鹿水や、自分を育ててくれた山神様に泥を塗ってしまったのではないかということが気がかりだった。
昼前に村の女衆が翠玉に祭儀用の装束を着せにきた。服を着替える前にもう一度湯浴みをさせ、燕脂の着物をきせ、その上からまた一段明るい色味の燕脂の装束を頭から被らされる。そして胸のあたりに赤い紐をまき、後ろで結ぶ。生贄とは嫁入りのことのようだった。
準備が整うと、また縄で繋がれた。見張りらしき人は1人だけだった。その見張りの女も祭事の炊き出しの手伝いに小屋を出る。入り口には腰が曲がり、耳が遠そうな老婆が1人座っているようだったが、それ以外に人影はない。けれど繋がれた紐をとる術も気力もなかったので、逃げることはできなかった。それに逃げる気も毛頭ない。初めから山神様が死んだ時から、生きてる意味もなかったのだから。
しばらくして階段上から子供が1人、降りてきた。子供と言っても、見た目は同い年ぐらいだった。
「ねぇ、きみ、鹿のかみさまなんだよね?」
男の子の顔がぐっと近づいて、クリッとした目が翠玉を覗いた。翠玉は答える気力もなく、じっとその子を見つめ返した。
「ぼく、知ってるよ。鹿はカミさまで、ぼくたちをたすけてくれるんでしょ。湖に水がなくなっちゃったんだ。かみさまならきっとたすけてくれるよね?」
濁りのない真っ直ぐな瞳だった。みているのが辛くなるほどに、真っ直ぐな。
「私は……もう死ぬんだ」
そういうと、目の前の男の子は驚いた顔をした。
「どうして?」
「水は私には戻せない。私はここの山神に縁もないし、私自身に力もない。けれど、水神のところに贄に出されるから、もし私が水神と会えたら私の代わりに村の水場に水を戻してくれと頼んでみるよ」
申し訳なさに微笑むと、男の子はみるみる顔を真っ赤にして怒り、目を潤ませる。あぁ、この子も、情けない私に怒り、失望し、許せないと思っているのだろう。そう翠玉は思いながら男の子から目を逸らすと、男の子は翠玉に繋がれた縄を一生懸命手で解き始めた。
「なにを……しているの」
「みてわからない?ひもをほどいてるんだよ」
階段からぎりぎり届く柱に結ばれた紐を彼は必死に手を伸ばし解いている。
「そんなことをしたら、大人たちに怒られてしまうよ」
「かまうものか!ぼくは、ぼくは水月とともだちだったんだ!」
「みなづき?」
「この前までここにいたきみとおなじ鹿だよ。最初はみんなこわがって、ちかよりもしなかった。水月の肌の斑点ががうつったら病気になるだとか、触ったらたたられるだとか。全部ウソだった!みんな、みんな鹿のことゴカイしてたっていったのに。みんな、水月とあって鹿水様のこともうけいれて、水月のことも大切にしてきたのに……同じ鹿水の子をどうしていけにえになんてできるんだよ!これじゃ裏切りだよ」
男の子は泣いていた。翠玉は泣いている男の子をどうしたらよいかわからず困った。
「私にはどのみち帰るところがない。どうなったっていいよ」
慰めたつもりだった。
それなのに、男の子はブンブンと頭をちぎれそうなくらい左右に振った。
「よくない。もし君が死ぬとしても、ここで殺される死に方は絶対にダメだ」
苦闘の末、紐が解けると、男の子は翠玉から上に被っていた装束を脱がし、自分のコートと取り替えようと言った。お互い着ていた着物の上から装束とコートをきた。男の子は顔が隠れるよう羽織り、その上から市女笠も被った。翠玉も借りたコートのフードを深く被る。
僕が時間を稼ぐ、と。男の子は言った。
「すぐに気づかれるかもしれない。だから、できるだけ早く行って」
裏の勝手口から出れば村の人は祭りに忙しく、見張りも手薄になっている。ここから山まではそう遠くない、うまく逃げて鹿になれば村の人たちには山の鹿と区別などつかないだろう。
「君は……君は水を戻して欲しいんじゃないの。水神のところに行けば、私でも何かできるかもしれない。……何もできない私のことを、どうしてうらまないの」
翠玉はどうしても気になり尋ねた。
「恨むもんか。君はこの村には関係ない。ぼくは鹿の力も山神も信じてる。生贄なんかしたって犠牲が増えるだけだよ。鹿がカミなら、神様を殺すことなんて村の人たちも絶対にやったらダメだ。それに、友達の仲間を殺させない」
そういうと彼は翠玉と反対方向へ進んで行った。
翠玉も勝手口を出て、人目を掻い潜り、山へと向かう。しかし村人に殴られ蹴られたことや、空腹、山神からの加護の消失によって、思ったよりも身体は衰弱していた。足が思うように前に出ない。一歩一歩進むたびに自分が真っ直ぐに進めているかも怪しかった。早くしなければ追手が来るかもしれない。逃がしてくれた彼のためにも、もっと早く、走らなければいけないのに、足を早く前へ進めようとすればするほどただ足をもつれさせて転んでしまうばかりで、山へ入る前に視界もどんどん霞んでいった。
幸い追っ手に見つかることなく山に入り、坂道でふと村を振り返ると、かつては水がたくさんあったであろうわずかばかりに水が残る湖と思わしきものが見えた。あぁ、あれが。と翠玉は思った。あれだけ干上がっていれば、田に水も引けない。それどころかこの地は時期捨てざるを得なくなるだろう。いくら今から雨が降ったところで、あの湖が戻ることはあるだろうか。皆ここを捨てて、居場所はあるのだろうか。私と同じように皆故郷を無くしてしまうのか。
「あの子が、苦しむのは、辛いなぁ……」
私を救ってくれた、あの男の子。あの勇敢な、1人私と山神を信じてくれた男の子。あの子のために、私は何か――
翠玉のツノが光り、山がその光に呼応するように風が抜け木々がざわついた。空には暗雲が立ち込め、ぽつ、ぽつ、と山を中心として一帯に雨が降り始める。やがてそれは強くなり、豪雨となり、乾いた地を濡らしていった。湖も、川も、空から水をうけ、その水に誘われるように地下から更なる水が湧き上がる。乾いた川も湖もみるみるうちに水嵩を増していった。
村人は皆あまりの豪雨に祭事を取りやめ、一度家へ帰るものや、土砂崩れを恐れて避難するものも出た。その雨は夜通し降り続けた。それは災害でもあったが、村人にとって間違いなく恵みの雨であった。
次の日の朝、昨日の豪雨は嘘のように雨はあがり、以前の鹿水の子、水月がいた頃のように湖には水が満ち、村人からは歓喜の声があがった。湖の復活は、村の復活だ。またここで暮らせる。
その湖を見たものは、幸せに手を取り合って喜び合った。
翠玉は山の中雨を見ていた。
山が応えてくれたのがわかった。
これが鹿の力ーーツノが光り、確かに山と繋がれた。まだ山は生きていた。山と繋がれた瞬間、自分が世界になったようだった。強い光と幸福感に包まれて、もう一度山神様に会えたような気がした。もう、自分は死んだのかもしれないと思った。
その光は一瞬で、すぐに体が張り裂けるように痛く苦しく、酷い吐き気に襲われて、すぐに意識は戻されてしまったけれど、あのままあの光に包まれていられたらどんなに幸福だっただろうかと思った。地面が真っ赤に染まり、自らが血を吐いてることを自覚したのはすぐ後だった。何度かその場で吐血し、咳き込んだ後、土にそのまま倒れ、空を見た。真っ暗で、土砂降りの。
身体が痛くて、寒くて、凍えるように寂しかった。もう指一本も動かない。雨が体の体温を奪っていっていた。けれどそれもどこか誇らしかった。これは私の生きた証だ。山神様、私はうまくできたでしょうか。貴方の誇りの鹿水でいられたでしょうか。最期に彼を助けることができたなら、私のこの生も、悪くはなかった。
翠玉は力無く目を閉じた。雨が降り続け、夜が明ける頃、翠玉のいたそこには彼の着ていた衣服だけが残った。
晴れやかな晴天と、煌めく湖の元で村では中断された水神様への祭りが引き続き行われていた。水の恵みを願う祭りから、水の恵みをくださった感謝。そして今度は氾濫しないようにと願いを掛ける祭りへと中身は変わっていたが、やる事はあまり変わりなかった。
昨日、逃げ出した鹿の子を捕らえて暴れるのでそのまま樽に詰め、贄として湖に流した後、大雨が降り水が村に戻ったのだ。やはり私たちのやったことは間違っていなかった。翠玉を捕らえた男達は確信していた。
水神こそが私たちを守ってくれる。
村人たちは静かに祝杯をあげた。大雨の災害で幾人か犠牲になった手前、大手を振って皆で祝うことはできなかったが、それも大義のためならば仕方がない。
鹿水の子は贄にふさわしかった。
「あの鹿もよく見りゃ顔は悪くなかった。水神も、あいつは細っこかったが上玉で気に入ったんだろ」
「見窄らしいって散々言ってたのに都合がいいわね」
呆れたように小太りの女は言った。
「前の鹿が役に立たなくなってから、死ぬまでに贄に出しとけばよかったな」
誰かが言う。
「なに、鹿水の子なんてまだいくらでもいる。最近じゃ山が開発されて迷子だらけだ」
「お前何を」
初老の男は少し怯えた顔をした。
「あんただって一緒に生贄にした仲間だぜ。1人でまた鹿の天罰なんて気取るなよ」
背の高い男はことがうまくいって、にやにやとしながら呟いた。
「おもちゃにも守り神にも生贄にもちょうどいいうえに、連れてっても誰にも文句も言われねえんじゃ、こんなにいいもんはねえ。またどっかから持ってくればいいのさ」
鹿水の子 甘露灯 @Ganludeng
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