Another story 後悔のブライダルベール
「ごめんなさい、無理です」
1日中考えた。
考えた結果の言葉だった。
何を言えばよかったかなんて、後から
考えてもわからない。対峙するあの人の
表情はマスクで覆われていて、はっきり
読み取れなかった。
「うん。」と頷いた時も、
「大丈夫、理由言う方も嫌じゃろ?」
気遣われた時も、
「んーん、ありがとう」
感謝された時も。
あの人は1つたりとも本心を
見せてはくれなかった。
涙することも、怒ることもせず、微笑みさえ
浮かんでいたような気がする。
それでも空気は張り詰めていた。
「…じゃあ、俺行くわ」
何故か涙が出そうになった。
堪えるように、あの人に背を向けた。
鞄に手を伸ばした時、
「そういえば、」
思い出したようにあの人が声を上げた。
「お菓子、友達としてあげたいんだけど、
いる?」
温度が読み取れない。よくよく耳をそば
立てれば分かるくらいの、微かな上擦り。
「あー、それは欲しいか、」
も、と言い終えないうちに
気づいてしまった。
震えていた。
瞳が揺れていた。
机に置いた片手の震えを隠すように、
もう片手でぎゅっと握っていた。
やっぱり大丈夫じゃなかった。
おかしいと思ったんだ。
気持ちは届かなかったのに、振られたのに、笑えるなんて嘘だと思っていた。
「気持ちは嬉しかった、ありがとう」
心の中で付け加えた言葉を伝えようと、
口を開いた。コンマ数秒、現代文の授業を
思い出す。
「心と体は切り離されているものである。」
「ごめんね」
どこまでも俺は弱かった。
その姿を見ても、正解がわからなかった。
「無理です」
俺が言ったくせに。
その言葉はしばらく胸を圧迫させた。
部活に遅れて、練習着に着替えている時も、
まだぼんやりとしていた。先刻前にあった
ことは正直、夢であって欲しかった。
チームメイトの筋トレを手伝いながらも、
上の空だった。
がちゃっ。
「お願いしまーす」
後ろ背に聞こえた声は、つい先程自分に
向けられたもの。姿は確認しないでも
わかった。俺が緊張と気まずさで背筋を
伸ばしたことに気づいたのか、はたまた、
俺の姿を見つけたからか。
すぐに部活友達を引き連れて出ていった。
ちらりと目があった気がしたが、あの人は
何にも思っていなさそうだった。
明るい人だ。
4月に入り、苗字の共通点が多かった俺達は、知り合うのも早かった。
「めっちゃ苗字似てる!同クラだよね?」
私は、とニコニコしながら名前を告げる
あの人は、驚くほどに輝いていた。
俺の勘は正しかった。
クラスの中でもよく笑い、よく声をあげ、
よくいじられていた。
壁を感じさせない、さっぱりした性格は
男女共通であるのは意外だったけど。
好意を寄せる人も多そうだった。
実際は聞いたことがないけど。
だけど、
学校で見るあの人はいつも笑顔だった。
音が聞こえるほど、爽快に笑う人だ。
サイダーを具現化したらきっと
こんな人だと思っていた。
だからどうしても、友達の領域を
越えられなかった。
生物的に「女性」として見ることがなかったから。あの人はあの人で、性別なんかに
とらわれない場所にいたから。
囲まれることが多いあの人だが、下心を
持って近づいている輩はいなかったはずだ。
理由は痛いほどわかる。
あの人は、どんな相手にしても平等なのだ。
特別は、同姓の間ではいたように思えたが、異性に抱く感情はきっと等しいだろうと
信じて疑わなかった。
そんな偏見をもっていたのが間違いだった。
ちゃんとあの人は恋をしていた。
俺なんかに恋をしてくれていた。
嫌だったんじゃない。
嬉しかった。
でも、心の中では戸惑っていた。
「この人のことを異性として
見なければならない。」
あまりにも過酷だと、直感は悟っていた。
それでも嬉しかった。
放課後に俺を呼び出すことだって、
平静を装って気持ちを伝えてくれたことも、
何もかもが俺に向けられた「特別」だった。
そんなあの人に、俺はなんて言った?
「無理です」
ああ、そっか。
俺の言葉は無慈悲すぎたのか。
突然、涙腺が爆発した。
視界が一気に緩んだ。
あまりにも急な出来事で、自分でも何が
起こったのかわからなかった。
「どうした?!」
チームメイトが慌てて駆け寄ってくる。
「気にせんで、花粉が一気にきただけ」
目洗ってくるわ、そう言って早足で
その場を去った。洗うといえど、洗面台がある
トイレはここから遠すぎる。体育館入り口に置かれた給水場で喉を潤す。
目元を洗い流す。
でも、洗っても洗っても、
あの人の表情が消えない。
泣いているような、でも笑っているような。
「あ、」
泣き笑いだ。
感動の際に流す涙。
俺があの人に溢れさせたのはきっと
正反対の意味だけど。
振る側も辛いというが、本当に辛いのは
あの時どっちだった。
1日考えさせてくれ、と伝えたあの人の
表情はどんなものだった。
仕草は、目線は、言葉は…
振り返ると、全ての記憶が定かではない。
記憶力は悪くない。いい方だ。
あの人が犬を2匹飼っていて、テニスが
苦手で、元卓球部で、バスクチーズケーキを
作ると笑った顔も。昔、手作りだという
あの人のフロランタンを美味しいと
伝えれば、安心したように笑った顔も。
こんなことあったよな、と伝えれば
「よくそんなことまで覚えてんね!」
驚きながらも嬉しそうに笑っていたっけ。
あの人の笑顔は記憶力がなくとも、
心に刻まれるほど温もりがあった。
気持ちに応えてあげたかった。
もしあの時、
「よろしくお願いします」
といえば、あたたかい笑顔がさらに
花開いたんだろうな。
見たかった。
でも、中途半端は許されなかった。
関係が変わったあの人を、「貴女」を
愛せる自信がなかった。
恋は誰も悪くないのだ。
悪くないから、辛いのだ。
「気持ちは嬉しかった、ありがとう。」
言えなかった言葉を反芻する。
「なんだ、言えるじゃん。」
ははっと笑いが込み上げてきた。
次第にそれは涙に代わり、
「…ぁっ」
声にならない叫びと化した。
実を結び、花芽吹く想いは一握り。
繰り返した後悔を残して、
散りゆく者は数知れず。
1つの幸せを見捨ててしまった。
その分際でも願ってしまう。
どうかどうか、あなたの未来が末永く
幸せでありますように。
「後悔のブライダルベール」
散れるものなら散ってみろ、秋明菊 第一夜 @A_star
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