終、 死の後で
死の後で
「――せやからお兄さんはね。もっと自分を大事にしなさいって、前からずーっと、常々言い続けてるわけでね」
ここ最近になって随分と見慣れてしまった、裁判刑務所の白い部屋。薬品と清潔な石鹸の香りが満たす、小さな医務治療室。
開けられた窓から入る風が、体を起こせずにいるネスの髪をやわく撫でていく。
そして寝具のすぐ脇の椅子に腰かけたカカロが、先ほどからじとりと睨むような半眼でネスを覗き込んでは、こんこんと言いたいことを言いたいように言い続けていた。
昏睡から目覚めて、小一時間は経っただろうか。
どうやら丸二日以上眠っていたらしいネスは、一件が起きた夜の内に目覚めていたカカロに相当な心配をかけてしまったようだった。
倒れた後、ネスとカカロをあの場から外界に戻してくれたのは、ロクスだったらしい。ロクスは二人に施した
将来は教皇とも目される司教本人が、自らの足で駆除人のために
「ネス、自分、後で司教さんにめっちゃお礼言うときや、マジで。あの人来てくれへんかったら、あの寄生型やなくても、絶対オレらまとめて
ぶちぶちと、ところどころ説教と文句を重複させながら話し続けるカカロだが、折々でネスに水を飲ませてくれたり、汗を拭いたりと何だかんだ甲斐甲斐しく世話をしてくれる。
こういうところがカカロだな、と思う程度には、ネスもそろそろこの男の人のよさを実感しているつもりだ。
「……カカロ」
「おう、何や。ちょっとまともな声出てくるようになったな、もっぺん水飲むか?」
ネスは首を横に振って、二日間の昏倒で少し掠れたままの声を、そっと絞り出した。
「寄生型の、
「オレから先に伝えたよ。とりあえず隔離区域の結界強化はもう終わってて、出入りする駆除人の確認は、何か極秘のあれやこれやで今まで以上に念入りにしてるみたいやで。各裁判刑務所に登録されてる今の駆除人が、全員寄生型にやられてないのも確認済みやって」
その言葉に、ほう、と自然と大きな息が漏れる。
「あと、お前が……何かのルーンで寄生型の
逃げ道はないぞと言わんばかりに、再びカカロが半眼でネスを覗き込んでくる。
「……一番ひと気のない場所、にあの
あの場ではもう、とてもではないが駆除できなかった。かと言って、自分達を食わせるわけにも、絶対にいかなかった。
それゆえの、最後の賭けだったのだ。
「ああ……それやったら、まあ。無理したことは許したらんけど、とりあえず許したるわ」
「矛盾しているぞ」
「うっさいわ。こっちの身にもなれや、阿呆」
「大丈夫だ。言っただろう。お前が、外界の人間が傷付くことを望まない以上、俺は」
「そっちとちゃうねん、アホんだらァ」
ぎゅむ、と力いっぱい鼻を摘ままれた。
息が出来ずに「んあ」と間の抜けた声を上げると、カカロはおかしそうに破顔して、それから笑んだまま柳眉を寄せるという器用な表情を浮かべた。
「ほんま、さっきから散々言うてんのに……全然自分のこと省みぃひんな、お前は」
何かを取り違えていることは理解できたが、それ以上はよくわからず、ネスは寝ころんだままゆるく首を捻った。
カカロは「まあ、
「しゃべれるようになってきたし、ちょっと真面目な話に移ろか。ほんまはネスが目ぇ覚めたら早々に聴取させぃって言われてるんやけど、どうしても先に聞いときたくてな」
カカロは神妙に目を細めると、自身の膝の上で手を組んで軽く前傾姿勢になった。
「
「ああ……ロクス司教に訊いたのか」
「訊かいでか。やから、先にオレが話聞いといたほうがええんちゃうか、とか思って」
興味、とかではなく。カカロの目は、明らかな気遣いと心配に溢れていた。
だからこそネスは、あごを引くようにうなずいて、
「そうだな……何から話せばいいかわからないから、先に言っておく。カカロ。恐らく、マイサー・フォルテは既に死んでいる」
「は……?」
話が唐突なのもそうだが、ここで改めてマイサーの名前が出るとは思っていなかったのだろう、カカロが虚を衝かれたように目を丸くした。
ネスはカカロから視線を逸らさず、話を続けた。
「覚えている限りで、だが。俺はあの
「いや、何か……ええ? 記憶に、種類とかあんの?」
「見た時の時系列はバラバラだったが……あいつが食らって吸収したと思われるミディアル自身の生前の記憶と、あいつがミディアルを食らって吸収した瞬間の記憶。それと恐らく、あの
答えると、そこでマイサーの名前が挙がった意味を理解できたのか、カカロはきゅっと自身の唇をきつく引き結んだ。
「視界が人間と違っていて見づらかったんだが、恐らくあそこは……研究所のような場所で、
「……死んでる、って」
かろうじて返された問いかけに、ネスはうなずく代わりにゆっくり目を瞬かせた。
「研究所らしい場所で、食われていた年配の男がいた。既に事切れていたその顔が、手配書で見たマイサー・フォルテによく似ていた」
「……何やねん、あのおっさん。世の中めちゃくちゃにして、世間様を恐怖のどん底に陥れといて……本人は真っ先に死んでるとか。ホンマ、何やねん」
初めは茫然と、途中から怒りが滲んでわずかに声を震わせながら、カカロは独り言ちた。
ネスはしばらく口を閉ざして、カカロの瞳に滾る感情が落ち着くのを待った。
会話は何もなかったが、柳眉が寄せられ深いしわが刻まれていたのが、しばらくして少しずつ薄まっていくのがわかる。鋭くぎらつき、剣呑な色を滾らせていた瞳も、少しずつ凪いでいつもの落ち着いた深緑へと戻っていく。
「……すまん。続き聞かして」
「ああ」
カカロが自らネスに目を向けた時、その表情は諦観を交えた苦笑に変化していた。
——マイサーが死んでいて良かった、と。カカロが人殺しにまで落ちなくて良かった、などと。面と向かって言ってはいけない気がしたけれど、ネスは内心、そう思っていた。
「あの寄生型についてだが、恐らく、ここ最近で進化した新種だと思う。生まれ落ちた時の記憶を見る限り、あの
「ってことは、獣型やった?」
「ああ。研究所内にいた
ただ、幸いと考えるべきか、どうか。
「……俺が思う限り、寄生型は進化の形として、相当な希少種なんじゃないか」
「何でそう思うん?」
カカロが首をかしげ、ネスは思案を深めるように、己の視線を白い天井へ上げた。
「寄生型の記憶の中に、他の寄生型を見なかったことと……ガイを食らった、もう一体の寄生型のことがあるからだ」
覚えているか、とネスは再び寝具脇へ視線を返す。
「ミディアルに寄生した
――『やっぱり駄目かあ。仕方ない、地力が違うよね』
ネスが反復した言葉に、カカロも記憶を引き出せたようで「ああ」と小さな相槌を打つ。
「あの時、俺はミディアルが『俺達の地力』と『ガイを食らった
「そうか、『ガイを食らった
ネスは静かにうなずいた。
そこで
「疲れたか?」
近い距離で声をかけられて目を開けると、カカロが再びネスの顔を覗き込んでいた。
「ああ……疲れたが、もう少し話したいことがある」
「無理すんなや」
「無理をしてでも、カカロにだけ、話しておきたい」
暗に聴取で打ち明けるつもりがない、と前置きすれば、気遣わしげに下がっていた眉がかすかに跳ねた。
「カカロ、俺はミディアルの記憶を見ても、やはりどこか他人事で、過去の記憶は思い出せなかった」
「……おう、そうか」
「ただ、もしかすると……俺は」
言いかけて、しかし上手い言葉が見つからず一度口を閉じる。
カカロはネスを覗き込むのに浮かせていた腰を再び椅子に落ち着けると、急かすことなく、何も言わずに待っていてくれた。先ほど、マイサーの話題でネスがそうしたように。あるいは、ネスがした以上の気遣いを持って、ただ静かに。
ネスはもう一度目を閉じて、ぐるぐると回るめまいを落ち着かせようと、深呼吸した。
そうしていると、まぶたの裏に、あの時に見た
建ち並ぶ培養液。規則性のないルーンの羅列。溢れかえる
それから。
「——俺は、
「は……?」
ようやく目を開けて打ち明けると、カカロは意味がわからない、というような呆気にとられた声を上げた。
「あの寄生型の
首を回して、改めてカカロを見る。
深緑色の瞳が大きく見開かれ、呼吸も忘れたようにネスを凝視している。
——失われた記憶。どれほど駆除を重ねても漆黒から変わらない
「カカロ……もし、
「ネス」
カカロは勢いよく椅子から立ち上がると、枕元に両腕をついて文字通り真正面からネスの目を視線で貫いた。
「ない。それだけは、ない。いや、仮に、もし……もし、ホンマに、そうやったとしても」
カカロの瞳に、感情が揺らぐ。
けれどそれは、ネスが恐れていた、マイサーに向けられていた類の感情ではなかった。
「もし、ほんまに何かしらお前が関与してたんやと、しても。そこにお前の責任は、ない」
「何故だ」
「十二年前やぞ。お前、十歳やろが」
カカロはきつく柳眉を寄せ、何かを思い出すように、何かの苦痛に耐えるように、呻くように言葉を絞り出した。
「だが、カカロ。十歳でも」
「いや、普通に考えて無理すぎん? 十歳て。オレの妹も死んだ時十歳やったけど。無理やん。
「知らないのか? 俺も知らないが」
「おん、まあ聞きかじりやからマジで知らんのやけど。やから、あれやん。マイサーに何かさせられとったとしても、そんなルーンの何やかんやがわかるはずもない十歳の子供には、絶対罪なんか何もないよ。そんなんで、漆黒になんか染まらんよ。それ関係で
こんこんと、まるで落ち込んだ子供を励ますような、そんな言い回しだった。
——
あまりにも必死なカカロの様子に、ネスは思わず、ふ、と吐息を揺らしてしまった。
「ちょお。何わろてんねん。てかネス、割と普通に笑えるやん。たぶん初めて見たわ」
「そうか。いや……言葉も状況も違っているのに、同じようなことを、ミディアルの記憶の中でも言われていたなと思い出した」
少しだるい腕を上げ、首元の水晶玉に指先を触れる。ひんやりと冷たく、心地がいい。
カカロは眉間のしわを深くして、何とも複雑げな表情で視線を横に流した。
ふと、つられるように視線を流せば、枕の横につかれているカカロの腕、その手首に撒かれたバングルが目に留まる。
埋め込まれた水晶玉は、寄生型との戦闘内で乱高下していたようだが、今は落ち着いた色で留まっていた。ネスに正式な判断はできないが、恐らく、三ノ色。それも二ノ色に限りなく近い薄灰色だ。
「……カカロはもう、駆除人を辞めたほうがいい」
呟くような声量になったが、近くにいるカカロにはしっかり聞こえたようで、改めて深緑の瞳がネスを捉えた。
「何で?」
「その
言葉尻で頬をつねられて、声が痛みに上ずった。
見返せば、カカロは気を損ねたように口をへの字に曲げ、ただ端的に、
「オレは生きてる」
ネスを見下ろす目には射貫くような鋭さがあった。怒っている、ということを隠す気配もなく、むしろ知らしめるようにカカロはこめかみを震わせた。
「ミディアル・レジンが寄生型に殺されてしもたことは、残念やったと思うよ。それでも、オレは生きてるし、お前と一緒なら次は勝てる」
言い切って、またも軽く引っ張ってから頬を離される。
じん、と痺れるように痛んでネスはわずかに眉尻を下げた。
それでもカカロは怒ったような表情を変えることなく、さもありなんと、
「確かにお前のほうが神気は強いけど、メンタルは絶対オレのほうが強いしな」
「何の話だ。俺は、ただ……」
「ネス。お前が最初、オレだけでも生かそうとしたように、お前が死ぬのんは嫌やなって思う人間もおることだけは、自覚しといて欲しい」
ネスは大きく目を見開いた。
ずん、と胸と腹の上に圧し掛かるような、妙な重みを感じる言葉だった。
――『ネス。いつか君が、重荷を下ろして笑えますように』
ミディアルの死を直視した時に似た、息が詰まるような心地がよみがえってくる。
記憶のないネスですら感じた、抉られるような胸の痛み。記憶のあった己は、この痛みをどう捉え、どう処理して……どう、忘れてしまったのだろうか。
本能的に思うのだ。あの時と同じ想いは、したくない。
けれど駆除人である限り、常に死は自分達について回る。特に漆黒であり続けているネスの周りには、きっと今後も予期せぬ危険がふりかかることも、あるだろう。
もしも、何かあって。
もしも、カカロと死に分かれることがあったとして。
今のネスにはもう、何も感じないふりはできそうになく、耐えられる自信もなかった。
――それでも、この想いはカカロも同じだと。
そう解釈して、間違っていないのだろうか。
「カカロ、俺は……わからないことが、多すぎるんだ」
「せやなあ。オレも知りたいことが多すぎる」
改めて浮かべられた苦笑が、ひどく優しい。
カカロは上体を起こして腕を寝具から離すと、代わりにまるで幼い兄弟にでもするような手つきで、ぐしゃぐしゃとネスの頭を撫で回した。
「っ、おい、カカロ」
「せやからさあ。お互い、もっと色々スッキリするまで相棒続けようや」
はっきりと告げられ、ネスはカカロの腕を引き剥がすのも忘れて動きを止めた。
「そしたらお互い様やろ?」
カカロは悪戯な笑みで片目を瞑る。
その時、初めて。
真顔じゃなくても、美しく思える表情がカカロにあったんだな、と。
そんなことに、ネスは妙に感心してしまった。
「あっ……、はァあああ? おい、お前! カカロ・ドゥーン!」
唐突に治療室の扉が開き、聞き覚えのある声がけたたましく飛び込んできた。
窓側のカカロに向けていた首を回して入口に視線をやると、目を三角につり上げたエクソシスト司祭、イアンの姿がそこにあった。
驚くネスをよそに、イアンは手に持っていた水桶を近くの棚に乱暴に置いて、空気を刺すようにビシッと鋭くカカロに指を突きつける。
「ネス・バンテーラが目覚めたらすぐさま知らせなさいと、あれほど言ったでしょう! そんなことすらまともにできないんですか、あなたは!」
「はぁーい、すんまっせーん」
悪びれず舌を出すカカロに、イアンは余計に顔を赤くして怒髪天を衝いた。
「かぁーーッ、人を馬鹿にして! 天罰が落ちますよ!」
「あれ? 落ちてへんわ、もしかして神さんって司祭さんよりよっぽど優しいんちゃう?」
「はァ? 当たり前でしょう!」
「あ、そこは認めるねんな。自分やっぱおもろいな」
何ひとつ面白くない! とイアンは頭を抱えて地団太を踏む。
賑やかだな。そんな感想が胸に馴染んで、それが特に嫌でもない自分に気づく。
——己が負うべき『重荷』が何なのかは、まだわからないままではあるけれど。
もしも叶うなら、ネスはミディアルに「今なら笑えるぞ」と伝えたかった。
もしも叶うなら、一度でいいから、カカロと三人で笑ってみたかったな、と思えた。
断罪者<コンダンナー>の駆除人 弓束しげる @_shigeru_
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