東京滅亡のための一人飯

名瀬口にぼし

第1話 おでんとアルファ米と缶ビール

 東京が箱根山の大破局噴火によって壊滅するとわかったのは、今から三年前のことだった。


 二十一世紀末の日本ではあらゆる災害についての研究が進んでいるから、噴火予測もほぼ100%外れることはない。


 だから政府はまず即座に、愛知県を中京都として名前を改め、首都を移転した。そして企業にも家庭にも助成金を与え、急遽制定された避難計画に基づく移転や転居を推し進めた。


 人も企業も政府の指示に粛々と従い、各地へ去った。


 そのため火山の噴火の一週間前には、東京にはほとんど人が残っていなかった。ガスも水道も電気も止まり、店も何も営業してはいない。

 まだ災害は起きていないけれども、その様子はすでに実質滅亡したようなものだった。


 しかし避難勧告を無視して東京に残っている、「残留者」と呼ばれる人間もごく少数だが存在していた。


 ◆


 一二月半ばの、大破局噴火の発生予定日の夜。


 アウトドア用のLEDランタンの光に照らされたマンションの一室で、匠真はカセットコンロのつまみを回して小鍋を火にかけた。

 中に入っているのは、冬の室温で保存していた一週間前に作ったおでんの残りだ。


「あとはこの蒸してるアルファ米を食べれば、ちょうど食料は無くなるな」


 食料を余らせないように計算して食べていた匠真は、温まっていく鍋を前に一人で満足気にうなずいた。

 電気が止まっているため暖房はないが、コートを着込んだ匠真の気分は寒くはない。


「これで予測どおりに噴火してくれれば、問題はないんだが」


 今日で終わらなかったら食べるものがなくて困るだろうなと考えつつ、匠真は電気の入っていない冷蔵庫に貼られたカレンダーを見た。


 匠真はいわゆる「残留者」であり、滅亡することがわかっていながらも東京に残ることにした人間である。

 大破局噴火が起きれば誰も生き残ることはできないと言われているから、「残留者」であるということは死を選んだということでもあった。


 そのため世間では、「残留者」は希望のない現代の日本に絶望した人々だとして理解されていた。

 しかし実際は「残留者」になる理由は人それぞれで、少なくとも匠真は何かに絶望して東京に残ることにしたわけではなかった。


(おでんが温まったなら、ご飯を盛るか)


 一人前しか残っていないおでんは、すぐに火が通る。

 そのタイミングにあわせて、匠真はあらかじめ鍋で炊いて蒸らしていたアルファ米を茶碗によそい、ダイニングテーブル上のカセットコンロの側に置いた。


 残り物のおでんと、非常食用のアルファ米。

 これが匠真が「東京滅亡のための一人飯」として用意した献立だった。


「それじゃ、いただきます」


 匠真は椅子に座り、いつもと同じように手をあわせてから箸を手にとった。


 弱火で温めたままにしているおでんの鍋からは、淡いだしの香りのする湯気がふわりとあがって匠真の眼鏡を曇らせる。

 その鍋の中には、汁に沈んで薄い茶色に色づいた卵やはんぺん、こんにゃくなどの具が、ランタンの光に照らされていた。


(まずは、大根だよな)


 匠真は二つある大根のうちの一つを小分けの器に入れ、箸で割る。

 七日目のおでんの大根は中までしっかりとだしが染みていて、少しの力で簡単に崩れた。


(一日目の硬めの大根に味噌をつけるのも美味しいが、やっぱり基本はそのままだと思う)


 やわらかく煮込まれた大根を頬張り、匠真はその素材の甘みと熱さ、そして滲み出るだしの味をじっくりと味わった。


(パックだしを使って昆布を入れただけなのに、なんでこんなに深い旨みがあるんだろうか)


 水分をたっぷりと含んだ大根は、噛めばじんわりとほどけていく。

 匠真は途中でだし汁をかけたアルファ米を挟みつつ、残りの大根も食べた。


 そして体が温まったところで、匠真はテーブルの上に用意しておいた缶ビールを開けて飲んだ。

 味が濃くなった七日目のおでんを食べながら飲むビールの味は、冷たい苦味がより冴えわたって美味しく感じられる。


 匠真は二日酔いが苦手でそれほど酒を嗜む方ではないのだが、明日は来ないはずだからこそ今日は安心して飲むことができた。


(この眺めが見えるのも、今日までなんだな)


 二口目のビールを飲みながら、匠真はカーテンを開けたままにしているベランダへと続く窓から外を見た。


 窓から見える夜の東京の街は暗く、人も明かりも失われてほとんど何も見えない。

 しかしところどころにはかすかな光があって、それは匠真と同じ「残留者」が灯している明かりであるはずだった。


 匠真は今、一人で夕食を食べて酒を飲んでいる。


 だが遠くに見える小さな光に、自分と同じように東京に残っている人々の存在を感じると、奇妙な安心感と心地よさを覚えた。

 人と一緒にいるときに感じる孤独よりも、孤独なときに感じる人とのつながりの方が、匠真は好きだった。


(そう。だから俺はこの場所が、東京が好きなんだ。こうやって居心地が良いから、自分の人生を終える場所を選べるのなら、ここがいいと思った)


 自分が東京に残った理由を改めて確かめ、匠真は自分が手にしている幸せをより強く感じた。


 そして匠真は、今度は牛すじの串を手にしてかぶりつく。


 もしかすると今ここでおでんを照らしているこの部屋の明かりも、誰かが見ているのかもしれないと匠真は思った。

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