ティアラをなくしたお姫さま

１

　イェルニャ大陸（たいりく）のとある山脈（さんみゃく）のなかに、豊（ゆた）かな自然（しぜん）に囲（かこ）まれた、たいそう美（うつく）しい国（くに）があります。

　その国（くに）を治（おさ）めているのは若（わか）くして即位（そくい）した王（おう）さまでしたが、優（すぐ）れた政治（せいじ）と明（あか）るい性格（せいかく）から、国民（こくみん）に広（ひろ）く慕（した）われていました。

　王（おう）さまには大切（たいせつ）にしているものがありました。

　となりの国（くに）から嫁（とつ）いできたお妃（きさき）さまと、二人（ふたり）のあいだに生（う）まれたお姫（ひめ）さまです。

　とりわけお姫（ひめ）さまは、よく晴（は）れた空（そら）の色（いろ）をした瞳（ひとみ）と、栄養（えいよう）がたっぷりつまった土（つち）の色（いろ）をした髪（かみ）を持（も）っていて、それはそれは可愛（かわい）らしい見（み）た目（め）をしています。

　王（おう）さまは考（かんが）えました。「姫（ひめ）が自分（じぶん）の可愛（かわい）らしさを知（し）れば、わがままな子（こ）に育（そだ）ってしまうのではないか。」と。

　同時（どうじ）に、「人（ひと）の美醜（びしゅう）を気（き）にすることがなければ、素直（すなお）で美（うつく）しい姫（ひめ）に育（そだ）つのではないか。」とも思（おも）いました。

　そこで王（おう）さまは、お城（しろ）じゅうの鏡（かがみ）に布（ぬの）をかけるよう命（めい）じたのです。

「姫（ひめ）は本当（ほんとう）に、本当（ほんとう）に本当（ほんとう）に可愛（かわい）い。だからこそ、その可愛（かわい）さを鼻（はな）にかけるようにはなってほしくないのだ。」

　さて、そのお姫（ひめ）さまはというと。

　産声（うぶごえ）を上（あ）げて十年（じゅうねん）がたち、あのときの可愛（かわい）らしさそのままに育（そだ）ちました。

　ばあやの言（い）うこともよく聞（き）きますし、門（もん）を守（まも）る兵士（へいし）にもしっかりあいさつをしますから、みな夢中（むちゅう）になってお姫（ひめ）さまを可愛（かわい）がります。

　お城（しろ）のなかだけではありません。

　王（おう）さまやお妃（きさき）さまといっしょに国民（こくみん）の前（まえ）へ出（で）るときには、きまってお行儀（ぎょうぎ）よくほほえみ、小（ちい）さく手（て）を振（ふ）るのです。

　それを見（み）た男（おとこ）の子（こ）たちはいっせいに頬（ほほ）を赤（あか）らめました。

　女（おんな）の子（こ）たちも憧（あこが）れのまなざしを向（む）けています。

　けれど、お姫（ひめ）さまは自分（じぶん）の可愛（かわい）らしさを知（し）りません。

　それどころか、こっそりお城（しろ）を抜（ぬ）け出（だ）して同（おな）じ年（とし）ごろの子（こ）どもたちと遊（あそ）ぶことが大好（だいす）きでした。追（お）いかけっこをしたり、ままごとをしたりと、子（こ）どもたちはお姫（ひめ）さまの知（し）らない遊（あそ）びをたくさん教（おし）えてくれましたから。

　お城（しろ）にいる大人（おとな）で、ばあやだけはお姫（ひめ）さまのこの秘密（ひみつ）の遊（あそ）びを知（し）っていました。

　いちどお気（き）に入（い）りのドレスを汚（よご）してしまったことがあったからです。今（いま）では動（うご）きやすいよう町娘（まちむすめ）が着（き）るようなワンピース姿（すがた）です。

　ある日（ひ）の遊（あそ）んだ帰（かえ）り、お姫（ひめ）さまはお城（しろ）へ入（はい）る前（まえ）にみだれた髪（かみ）をととのえようと頭（あたま）に手（て）を触（ふ）れました。

　そして気（き）づいたのです。

「あれ……？　ない、ない。」

　ばあやが服（ふく）を着（き）せてくれるとき、さいごに必（かなら）ず頭（あたま）に乗（の）せるものがありました。

　お姫（ひめ）さまはそれがなにか知（し）りませんでしたが、お姫（ひめ）さまのあかしであるということはわかっていたのです。

　それが今（いま）、なくなっているではありませんか。

「これじゃあ、ばあやに叱（しか）られてしまうわ。」

　お姫（ひめ）さまは来（き）た道（みち）を戻（もど）りました。

　とにかく、頭（あたま）に乗（の）っていたはずのものを探（さが）さなくてはなりません。

「もし。」

　声（こえ）をかけると、噴水（ふんすい）のふちに座（すわ）っていたおじいさんが顔（かお）を上（あ）げました。

「おや、お姫（ひめ）さま。この老（お）いぼれになにかご用（よう）ですかな？」

「わたし、いつも頭（あたま）に乗（の）せていたものをなくしてしまったみたいなの。それなのに、どんな形（かたち）かわからなくって……。あなたの頭（あたま）に乗（の）ってる素敵（すてき）なそれは、わたしのものではありませんか？」

　おじいさんの頭（あたま）には、薄茶色（うすちゃいろ）の麦（むぎ）わら帽子（ぼうし）がかぶせられていました。目線（めせん）だけで上（うえ）を見（み）てから、彼（かれ）は首（くび）を横（よこ）に振（ふ）ります。

「残念（ざんねん）ですが、これはわしのものですな。畑仕事（はたけしごと）にはかかせませんで。」

「そうなの。でも少（すこ）しだけ、試（ため）してみても？　頭（あたま）に乗（の）せてみたら、なにかわかるかもしれないわ。」

「そういうことなら。はい、どうぞ。」

　おじいさんはこころよくうなずいて、お姫（ひめ）さまに麦（むぎ）わら帽子（ぼうし）をかぶせてやりました。

　お姫（ひめ）さまはそのつばに手（て）を添（そ）えて、それから考（かんが）えるように首（くび）をかしげます。

「わたしのものはこんなに軽（かる）くないわ。それに、こんなふうにまぶしい日（ひ）ざしをさえぎってもくれない。これは素敵（すてき）なものね。」

　お姫（ひめ）さまは麦（むぎ）わら帽子（ぼうし）をおじいさんに返（かえ）しました。

「もし。」

　次（つぎ）に声（こえ）をかけたのは、薄汚（うすよご）れた服（ふく）から細（ほそ）い手足（てあし）が伸（の）びるお姉（ねえ）さんでした。

「可愛（かわい）らしいお姫（ひめ）さま。あたしみたいなのにも声（こえ）をかけてくれるのね。」

　お姉（ねえ）さんは貧（まず）しい家（いえ）の生（う）まれでしたが、王（おう）さまのおかげで少（すこ）しずつ生活（せいかつ）がよくなっていました。

　それでも、家（いえ）にはまだ水道（すいどう）が通（とお）っておらず、日（ひ）に何度（なんど）も井戸（いど）から水（みず）をくんでこなくてはなりません。水（みず）のたっぷり入（はい）った大（おお）きな樽（たる）が、お姉（ねえ）さんの頭（あたま）に乗（の）せられています。

　お姫（ひめ）さまは、さっきおじいさんにしたのと同（おな）じ質問（しつもん）をお姉（ねえ）さんにしました。

「残念（ざんねん）だけど、これはうちのよ。水（みず）がないと困（こま）ってしまうもの。」

「そうよね。でも少（すこ）しだけ、試（ため）してみても？　頭（あたま）に乗（の）せてみたら、なにかわかるかもしれないわ。」

「そういうことなら。ほら、弟（おとうと）ので試（ため）したらいいと思（おも）うわ。」

　お姉（ねえ）さんはうしろに隠（かく）れていた男（おとこ）の子（こ）の腕（うで）を引（ひ）き、前（まえ）に出（だ）しました。

　男（おとこ）の子（こ）がキュッと口（くち）を引（ひ）き結（むす）んだまま、お姫（ひめ）さまの頭（あたま）へていねいに小（ちい）さな樽（たる）を乗（の）せてくれます。

　お姫（ひめ）さまは樽（たる）を落（お）とさないよう両手（りょうて）で支（ささ）えながら、ほぅと息（いき）を吐（は）きました。

「わたしのものはこんなに重（おも）くないわ。それに、こんなふうに大事（だいじ）なものを運（はこ）ぶことだってできない。これは素敵（すてき）なものね。」

　ぴしゃりと跳（は）ねた水（みず）をもうしわけなさそうに見（み）ながら、お姫（ひめ）さまは樽（たる）を男（おとこ）の子（こ）に返（かえ）しました。

「もし。」

　町（まち）でいちばんの大通（おおどお）りをゆくと、ぞろぞろと歩（ある）く人（ひと）だかりがありました。

　その先頭（せんとう）には豪華（ごうか）な花嫁衣裳（はなよめいしょう）を着（き）た新婦（しんぷ）さんと、お揃（そろ）いの一張羅（いっちょうら）を着（き）た新郎（しんろう）さんが並（なら）んでいます。

「まぁ、お姫（ひめ）さま。どうかなさいましたか？」

　幸（しあわ）せそうにほほえむ新婦（しんぷ）さんの顔（かお）には、頭（あたま）の飾（かざ）りから流（なが）れ落（おち）ちる白（しろ）いヴェールがかかっていました。

　お姫（ひめ）さまは前（まえ）の二人（ふたり）と同（おな）じように質問（しつもん）します。

「これは借（か）り物（もの）ですけど、今日（きょう）だけはわたしのものですよ。楽（たの）しみにしていたの。」

「幸（しあわ）せなことだわ。でも少（すこ）しだけ、試（ため）してみても？　頭（あたま）に乗（の）せてみたら、なにかわかるかもしれないわ。」

「そういうことなら。はい、小（ちい）さなお嫁（よめ）さん。」

　新婦（しんぷ）さんは楽（たの）しそうな笑顔（えがお）で、お姫（ひめ）さまの頭（あたま）にヴェールをかぶせてくれます。

　となりで新郎（しんろう）さんもほほえましいものを見（み）るように目（め）を細（ほそ）めていました。

　お姫（ひめ）さまは顔（かお）にかかる薄布（うすぬの）をはらりと揺（ゆ）らして、首（くび）をかしげます。

「わたしのものは顔（かお）に布（ぬの）がかかることはないわ。それに、めくってキスをくれる王子（おうじ）さまもいない。これは素敵（すてき）なものね。」

　お姫（ひめ）さまはヴェールを新婦（しんぷ）さんに返（かえ）しながら、二人（ふたり）の幸（しあわ）せを祈（いの）りました。

「もし。」

　次（つぎ）に声（こえ）をかけたのは、露天商（ろてんしょう）の店番（みせばん）をしているサルでした。

「ウキッ、ウキッ？」

「わたし、いつも頭（あたま）に乗（の）せていたものをなくしてしまったみたいなの。それなのに、どんな形（かたち）かわからなくって……。あなたの頭（あたま）に乗（の）ってる素敵（すてき）なそれは、わたしのものではありませんか？」

　サルの頭（あたま）に乗（の）っているのは、あざやかな黄色（きいろ）がまぶしい、よく熟（じゅく）したバナナです。

「……キィッ、ウキィ」

　サルは、これは自分（じぶん）のものだと主張（しゅちょう）するように、両手（りょうて）でバナナをおさえました。

「そうよね。でも少（すこ）しだけ、試（ため）してみても？　頭（あため）に乗（の）せてみたら、なにかわかるかもしれないわ。」

「ウキッウキッ！」

　今度（こんど）は嬉（うれ）しそうにバナナをさしだしてきたので、お姫（ひめ）さまはサルの前（まえ）にかがみました。

　すると、サルは器用（きよう）な手（て）つきで、お姫（ひめ）さまの頭（あたま）にバナナを乗（の）せてくれます。

　お姫（ひめ）さまは鼻（はな）をすんすんと動（うご）かしながら、ぐぅとおなかを鳴（な）らしました。

「わたしのものはこんなにいい匂（にお）いがしないわ。それにきっと、食（た）べられない。これは素敵（すてき）なものね。」

　お姫（ひめ）さまはバナナをサルに返（かえ）しました。

「困（こま）ったわね。」

　さんざん探（さが）してみましたが、お姫（ひめ）さまの頭（あたま）に乗（の）っていたはずのものは見（み）つかりません。

「でももう帰（かえ）らないと。それこそばあやに叱（しか）られてしまうわ。」

　しかたなく、お姫（ひめ）さまはお城（しろ）へ戻（もど）ることにしました。

「姫（ひめ）さま！　今日（きょう）はずいぶんと遅（おそ）かったですねぇ。もうお夕飯（ゆうはん）の時間（じかん）ですよ。」

「あのね、ばあや。」

　ばあやに着替（きが）えさせてもらいながら、お姫（ひめ）さまは頭（あたま）に乗（の）せていたものをなくしてしまったと白状（はくじょう）します。

「それで遅（おそ）くなったのですね。……姫（ひめ）さま、今日（きょう）はさいしょからティアラをしていませんでしたよ。」

「え？」

「ほら、ここに。」

　ばあやが指（ゆび）さしたところにあったのは、ビロードの台座（だいざ）に置（お）かれた、美（うつく）しいティアラでした。

　きらきらと輝（かがや）く宝石（ほうせき）が散（ち）りばめられていて、お妃（きさき）さまが着（つ）けているものによく似（に）ています。少（すこ）しだけ可愛（かわい）らしい模様（もよう）になっているところだけが、違（ちが）うのです。

　その晩（ばん）、お姫（ひめ）さまはふかふかのベッドにもぐりこみながら、ばあやの手（て）をつかみました。

「ねえ、ばあや。」

「はい、なんでしょう姫（ひめ）さま。」

「みんなね、頭（あたま）に乗（の）せるものを大事（だいじ）にしていたわ。」

　お姫（ひめ）さまは、頭（あたま）にいろいろなものを乗（の）せていた人（ひと）たちのことを思（おも）い出（だ）しました。誇（ほこ）らしそうな表情（ひょうじょう）とともに。

「……わたしも、大事（だいじ）にできてるかしら。」

「ええ、ええ。大事（だいじ）にできていますとも。」

「それにとてもよく似合（にあ）っていたわ。」

　お姫（ひめ）さまは想像（そうぞう）しました。自分（じぶん）の頭（あたま）に、あの輝（かがや）くティアラが乗（の）せられるところを。

　けれどもうまくいきません。

　なにせ、お姫（ひめ）さまは自分（じぶん）の姿（すがた）を知（し）らないのですから。

「……わたしも、似合（にあ）っているのかしら。」

「ええ、ええ。よくお似合（にあ）いですよ。なんといったって、姫（ひめ）さまのために作（つく）られたものですからね。」

　それを聞（き）いたお姫（ひめ）さまは、今度（こんど）こそ安心（あんしん）して目（め）を閉（と）じました。

　おしまい。