第42話 (島津にとっては)大団円
待った。
待った。
本多佐渡は待ちに待った。
客なのにこれだけバカにされたら、いい加減そろそろ席を蹴って帰っても良いよな……と老練な参謀がしびれを切らすほどに待った
「やーやーやー!
へべれけに酔っぱらって。
「何があった!?」
「いやね、わしはおきゃく
「だからって飲みすぎだろう!?」
「うひゃひゃひゃひゃ、かんぱーい!」
「乾杯、じゃない! 話の最中だろうが!? 顔洗ってこい!」
(なんだこいつら!?)
“薬”が効きすぎ、というかおかしな方向に走り過ぎだ。
ギリギリの交渉をやってる最中に、その外交役が前後不覚になるまで飲むだなんて……誰が思うだろうか。
もう全然話にならない。
「おい、その侍従殿が帰って来るかどうかはまだ決まってないんだぞ!? まずは島津家が我が殿に……」
ぐでんぐでんになっている山田の襟首をつかんで佐渡が揺さぶっていると、そこへ……。
「ご家老! 祝杯の最中にどこ行っちゃったんですか、もう! まだ二升も空けてないですよ!」
「あ、何か知らない人! さあさあさあ! 駆けつけ三杯っすよ!」
「うおー、豊姫さまー!」
「な、なんだおぬしら!?」
山田を探して客間にどかどか乱入してきた多数の酔っ払いたちに、本多は酒杯を押し付けられた。
「今日はめでたか日たい! さささ、お客人もグッと! ググっと!」
「いや、私は……」
「祝い酒を断るのは無作法ですぞ! ワハハハハハ!」
「おい、このマス何合だ!? せめて盃にしろ!? ていうかまた芋焼酎か!」
(本当に俺は、なんてところに来ちまったんだ……)
酒乱の薩摩人に揉みくちゃにされながら、本多は思った。
◆
その後も紆余曲折あったものの。
帰って報告した本多佐渡の献策もあり、徳川は島津対策を“抑え付け”から“隔離”に変更した。むりやり力で屈服させるよりも、触らない方が無難という判断になったのである。
最終的に徳川による島津の処分は、次のようになった。
“関ケ原の戦いでの島津の反徳川派参加は、家としての公式な判断ではない”
“参戦は島津家の意思決定をできる立場にない、島津弘歌の個人的な行動”
“弘歌の行動は言語道断ではあるが、まだ善悪の判断の付かない年齢である“
以上を受けて、
“島津家の行動でない以上、島津家に対する制裁は行わない”
“島津弘歌への制裁は未成年であることを鑑み、保護観察処分とする”
“島津義歌と徳川内府が個人的に親しいので、弘歌の監察は島津家に一任する”
と最終処分が下り、公式文書で島津家への目通りの前に公表された。
つまり島津家へは“一切お咎め無し”というのを徳川が保証したので、島津は初めて上京して内府へ挨拶をする事になった。
満場一致での徳川新政権誕生を急ぐ内府が事実上、折れたのである。
ちなみに、以上の事を知らされた義歌の反応は「キモッ!」の一言。
弘歌の反応は、「タヌキのオイチャンも、大人になったのじゃ」であった。
◆
せっかくの歴史的な勝利に泥を塗られた形になった内府は不満であったが、それもやっと実現した島津当主との面会で考えを改めた。
関ケ原から、実に二年も経って実現した島津当主の徳川内府への挨拶。
これは結局関ケ原戦の責任を問う尋問ではなく、島津家の領国統治と新当主承認を新政権が認めたお礼という形になった。
そう。
結局中央嫌いの義歌は最後まで出頭せず、隠居したのだ。
「姉ちゃん、やっぱタヌキのオイチャンがくれた手紙の『個人的に親しい』ってところが引っかかるのじゃ?」
「ほとんど面識もないのに、何だあの一文は。気持ち悪くて直接会えるか」
「ワシがおサルのオジちゃんのお膝に乗っておねだりした時は、オジちゃん薩摩だけじゃなくて大隅と日向もくれたぞ? 姉ちゃんが熟女好みのタヌキのお膝に乗れば、西海道くらいくれるかも……姉ちゃん、刀で殴るのは勘弁なのじゃ!?」
鹿児島では、こんな会話が有ったとか無かったとか。
そんなわけで大坂城の西の丸にいた徳川内府の元へは、島津家の代表として新当主の島津
「このたびは私めの家督の相続にご尽力いただき、誠にかたじけなく……」
取ってつけたような棒セリフを朗々と暗唱する年若い美女に、拝謁を受けている徳川内府はちょっとモニョる気持ちが無いでもない。
たしかにこの島津の御曹司は一連の騒ぎに関係ないのだが、島津にこの二年振り回されてきた内府としては一言言ってやりたい気持ちは強い。
ていうかこの娘、聞いていれば関ケ原の一件については一言も触れてない。当主交代のお礼だけ。あの件は島津の中では無かったことになっているらしい。
(かかわっていないとはいえ、せめてこいつに一言ぐらい謝罪させたいのう)
仕返ししたい気持ちがちょこっと顔を出した内府は、挨拶を終えた恒歌に意地悪な質問を投げかけてみた。
「ところで島津殿よ」
「はっ」
また平伏する新当主に、内府はニヤニヤ笑いながら脇に控える井伊兵部を指した。
「実はそこの井伊は、貴家の
井伊は重要な会談という事で列席しているが、関ケ原の追撃戦で負った傷がいまだに思わしくないので具合が悪そうにしている。
「まあ、我が妹が……」
当てこすりを聞かされた島津の当主は顔色を曇らせ、井伊に頭を下げた。
「不肖の妹がどうもすみません」
「ああ、いやいや。これも戦場の
「いえいえ、とんでもございません」
妹と、おそらく母ともそっくりな島津の姫は、本気の顔で言い切った。
「
……うん。島津と関わり合いになるのは、もう止そう。
徳川はそれ以上は何も言わず、島津が退出するのを見送った。
徳川が作った新政権は、以後島津に触らず放置するようになる。
そして井伊はトラウマを悪化させて寝込み、まもなく世を去るのであった。
◆
畑を耕していた
「もし、中馬様でございますか」
誰も彼も見知らぬ顔だ。不思議に思いながらも手を止めた中馬は挨拶を返した。
「たしかに、おいが中馬でごわすが?」
相手を確認できた若者たちは、丁寧に頭を下げた。
「我ら、鹿児島の郷中の者でごわす。後学のために関ケ原のお話を、当時を知る御方たちに聞いてまわっているところでして」
「おお、それは熱心なことでごわす」
中馬の住む出水は肥後との境に近いので、鹿児島からでは丸一昼夜かかる。老人の体験を聞きにわざわざやって来た若者たちの心意気に、中馬は感心した。
「ならばこんな路肩で話せるようなお話でもありもはん。屋敷へどうぞ」
あの関ケ原の一戦も、もう遠い昔の話となった。かろうじて生きて帰った者たちも次々鬼籍に入り、決死の逃避行を知る者も少なくなっている。
中馬にとっても人生で最も重いあの時間を語るのには、威儀を正す必要があった。
中馬は座敷に若者たちを通すと、正装に着替えた上で改めて彼らに向かい合った。
「そうでごわすな。関ケ原と申すものは……」
時代が移り変わって年も老い、領地に引きこもった今となっても。
あの
何が何でも参加したくて、すでに出た船を足で走って追いかけたとか。
敬愛する
戦場からお姫様抱っこで連れ出したこととか。
常にお側で連れ添って、食事も寝るのもご一緒しちゃったこととか。
日向から薩摩まで、肩車させていただいたこととか……。
「……関ケ原と申すものは……」
多くの
もう
(至福であった……!)
ああ、あんな素敵な出来事をもう二度と味わえないなんて……。
◆
(言葉もなく泣いておられる……)
(歴戦の勇士でさえ、それほど筆舌に尽くしがたい体験であったのか……)
(今までにいくつも関ケ原のお話をうかがってきたが、これほどまでに心に訴えてくるものないな……)
若者たちはかつての戦場に思いを馳せる中馬に深々と頭を下げ、邪魔をしないようにそっと屋敷を後にした。
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あとがき
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
忙しい時期から解放されたところでポンと浮かんだこのお話、完走できてほっとしております。
前に書いた長編が「女王陛下の特命令嬢」なので、丸一年以上開いてしまったんですね。後から考えると色々改善点も浮かぶのですが、まあ形にできただけでも良かったです。
このお話はノープロットで書いていたんですが、何しろ実際にあった事件に基づいているのでその点は楽でした。というか、お話の中で使えなかったエピソードがまだまだ多いんですよ……島津さんたち、どれほどイカレた事やらかしてるんだって感じです。
次回作はまたファンタジーと現実世界を混ぜたものになるかなあと思っています。今年中には始めたいと思います。
ほっぷ・すてっぷ・関ケ原 おうちに帰るまでが戦いです! ~のじゃロリ武将・島津弘歌のゴーホーム戦記~ 山崎 響 @B-Univ95
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