狂気と暴力の象徴 1
午前0時22分。埼玉県越谷市内、とある廃工場敷地内にて。
「あぐはッ!!」
先刻、大葉家に押し入った末に返り討ちにあった男の顎を、メリケンサックをはめた文字通り鉄拳が突き上げた。
ふわりと浮かんだ男は、錆色の鼻血を散らしながら腐ったパレットの上に尻餅を突き、衝撃で咳き込むとより一層激しく鼻から血を流した。
「誰が一人で拉致ってこいと言った? 場所を特定したらそれだけでいいと言ったはずだが? 報連相は社会人の基本だろう」
「す、すいません……申し訳ありません……。一刻も早くお役に立てればと思って……」
「その結果、貴様は自国の警察から追われる身となったわけだ」
それを見ながら瓶ビールのケースに腰かけ、警棒片手に煙草を燻らせ冷ややかに吐き捨てる男はミハイルだった。察するに暴行している兵士は彼の部下だろう。
地面にランタンを2つほど置いているだけなので、潰れた工場の中は非常に薄暗い。しかし、暗闇の中でもその魁偉な風貌は変わることなく際立っていた。
さっきジェスタフに暴力団事務所を襲うよう命令されてから3時間ほどしか経っていないがすでに仕事は済ませたらしく、かすり傷一つない大きな手で煙草の灰を叩き落としている。
「ギャァッ!!」
鼻を押さえながら地面を這う男の手を、暴行役の兵士が硬い軍靴で踏みつける。服装はタートルネックにジーンズとラフなのに、足だけは重厚なブーツという変わった組み合わせの服装の若い飴色の髪の男だった。
「お前ウチの国民の皆様の血税で生かしてもらってる価値ねぇよ。この役立たずが。アイツらがもし海外に高飛びでもしたらどうしてくれんだ? あ?」
彼はそう言って、尻ポケットから鞘付きのダガーナイフを出して刀身を抜き出した。
「それくらいにしときなさい」
今にも片耳でも削ぎ落しそうな勢いだった兵士を、革靴の音を響かせやってきたジェスタフが鋭い声で諫めた。
「は、申し訳ありません」
兵士は素直に鞘にナイフを納めると、手から足をどけてジェスタフに道を譲った。
「おい、首尾は?」
ジェスタフの問いに、ミハイルは立ち上がって血の付いたレジ袋に詰め込んだ札束を渡した。
「裸で申し訳ありませんが」
「気にするな。さっきは殴って悪かった。ああいう輩は罵声じゃビビらんからな。目撃者はいないな?」
「はい。防犯カメラも本体のディスクを破壊したので問題ないかと」
ミハイルはニコリともせず事務的に事後報告をするので、ジェスタフはこの様子では中抜きもしてないだろうなと感じ、他には何も聞かなかった。
「そうか、よくやった。朝のニュースが楽しみだな。さて、君。久しぶりだな。聞けば何か余計なことをやらかしたそうだな」
ジェスタフはシガレットケースを羽織るチェスターコートのポケットから取り、開き直ったかのように胡座をかいて座り込む男の顔に近づけた。フィルターがない古いタイプの煙草だ。
「吸うか? マチリーク製の中でも一番高いヤツだ」
「は、はい。いただきます」
男は恐る恐る煙草を一本抜いて咥えると、排便座りになったジェスタフはマッチを擦って自分と男の煙草に火を灯し、さっと振り消して箱の中に戻した。
「そんな怯えた顔して吸うなよ。何も根性焼きさせるために吸わせてるわけじゃないんだから」
男は単に煙草を吸い慣れてないだけであり、咳き込むのを我慢していただけだった。
だが、ジェスタフに言われるまで考えもしないことを言われたので、かえって根性焼きされる自分という不吉な想像をして委縮してしまった。今この状況が充分不吉であるが。
「何でも、例の子どもを見つけたけど我々に連絡せずに無断でさらおうとして見事に失敗したとか。何? サツに持ってけば俺は追い詰められて自分は時の人になれるとか思っちゃった?」
「い、いや……大恩あるジェスタフ様を裏切るような真似なんてできません自分は……」
「そうだよな。ま、君からしたら単なる小僧にしか見えないだろうし、変な気を起こしたのも理解に苦しむことではない」
当たりだった。恐らくジェスタフも本当は見抜いてるなと男は感じた。上に立つ立場なだけあって流石に頭が切れるし人をよく見ている。
「どうだった? 中々面白いことができるガキだったろ?」
「はい。何なんですかアイツは? 見た目ただの栄養失調気味のガキでしたが、レスラーみたいな力で吹っ飛ばされて……」
「説明してもいいが、俺は要点を短くまとめるのが苦手だから話してると朝になるから後でな」
ジェスタフは吸い殻を部下の足元にポイ捨てすると、彼が律義に踏みつけた。
ジェスタフは唇をつけずに舌を滑らかに動かし、相手が聞き取りやすいよう凝った熟語も使わずにゆっくりと喋る。まるでアナウンサーのようだが、そのせいで身震いすることを言われても自分の聞き間違いと思う事ができないのが男は嫌だった。
「さて……えーと、すまんが君の名を忘れてしまった。何だっけ」
「ふ、藤岡俊之です」
「そうだった藤岡君。君は俺のことをどう思ってるかは知らんが、俺は君を評価している。そもそも君がこうなってるのは去年の夏頃にマチリークに無許可で上陸したからだったな」
ジェスタフは藤岡の周りをくるくる回りながら話し始めた。
そうだった。彼は去年の8月、大学の夏休みにサークルメンバー達とマチリークに侵入して、軍基地をバックに写真を撮ろうという軽い冒険心から夜中にカヌーで上陸を試みた。そして、陸に上がること自体は成功したところまではよかったが、すぐに捕縛されたのだった。彼含めて仲間は4人いた。
「俺はその時にたまたまその地区の哨戒基地の責任者に用事があったからその場にいた。それで、アホもいるもんだと興味があったから担当官に代わって君の事情聴取をさせてもらった。その時に君、俺に何したっけ」
本当に要点をまとめるのが苦手なんだなと藤岡は内心思った。それでいて相手にとって言葉に詰まるようなことは本人に話させようとするのが胸糞悪い。
「どうした?」
「あ、はい。隠し持っていたナイフであなたを……人質にして仲間と逃げ帰ろうとしましたが失敗して逆に取り押さえられました……」
「そうだったそうだった。君は運がいい。俺がもし貧弱で人質にされてたら君は確実に死んでたからな。無論その死も安らかなものではない」
ジェスタフは朗らかに笑って藤岡の肩を叩く。
「興味のある事柄を探求することはいい。それが他人様に迷惑をかけない範囲ならな。だが、不法入国は流石にダメだろ?」
この男は初めて見た時から弱そうには見えなかったたが、実際ナイフをチラつかせても怯むどころか、座ったまま腕を掴んで捻り上げるくらいには強かった。その後たっぷり痛めつけられたが幸い殺されはしなかった。他のメンツは聴取のみで手は上げられなかったので、同じ牢で不思議がっていた。
藤岡の言った大恩というのは、外務卿の自分に歯向かったのに彼が命までは取らないでくれたという意味だ。
だが、ジェスタフは無鉄砲と言うより他ないこの男だけを何故かある日、極秘で日本に帰し、そしてあることを命じた。
「確か俺は君に資料を渡して頼んだよな? このガキがどこに行ったか特定しろってな」
そうすればお前もお前の友達も解放してやると告げられ、僅かな路銀を渡されて藤岡は右も左も分からない青森県の無人駅で釈放された。
もちろん、ジェスタフが指定した日までに目立った成果を上げなければ拘束してる仲間は無論、藤岡も藤岡の親兄弟も全員消すという手枷を付けられて。
「正直なところあまり期待はしてなかった。逃げるか命乞いするかのどっちかだと俺もミハイルも思っていた。なぁ?」
「……」
ミハイルは無視した。
「なんか言えよ。だが、君は見事にあのガキの居場所を探り当てたわけだ。どうやった? ぜひご教示願いたい」
クルエル・フィールド ラクレット @wsdsod
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