いつもの感謝の気持ちを込めて おつカレースペシャル

郷野すみれ

カレー

「はあ……」


 私は北風に吹かれてとぼとぼと帰路につく。

 IT企業に就職して数年。そろそろ中堅なのだが、納期が迫っていて修羅場だ。今日も9時近くまで残業だった。冬は底冷えする。私は巻いているマフラーに顔を埋めた。


 電車の中でメッセージアプリを開くと夫である拓実の、心配しているメッセージが何通か入っていた。残業でそれどころではなく、気づかなかった。


「大丈夫?」

「残業かな?」

「俺、カレーくらいだったら作れるから作っておくね」

「何時に帰ってくるかわかったら教えて」


 足がむくんでいる。私は混んだ電車に揺られながら返信する。

「大丈夫」

「残業だった。今電車だから10時くらいになる」

「カレー楽しみ。ありがとう!」


 無事に最寄り駅に着いた。駅の近くのコンビニに寄って、和菓子を買うことにする。こんな日には和菓子に限る。時間が遅く、ちょうどみたらし団子が割引になっていたので買う。3本入りだが、胃の大きさ的に拓実に2本あげればちょうど良いだろう。


 家に帰ってきたので、郵便受けを確認してみる。企業からのDMが届いているが、やっと私の苗字が旧姓ではなく、今の苗字になっているのを見て疲れた心が癒された。

 事前に時間を言っておいたからだろう、鍵は締まっていなかった。ガチャリと扉を開ける。鍵を取り出す必要がないこと、明るくて暖かい部屋に帰れること、そんなことの積み重ねが幸せだ。


「ただいまー」

「おかえりー」


 靴を脱ぎながら言うと、台所の方から拓実の答える声が聞こえる。私は鍵を後ろ手に締めた後、玄関先でコートやマフラーを外していると、拓実がやって来た。


「お疲れ様」


 手を広げられて、私は倒れ込むように抱きつく。


「ううう……疲れたよ〜」

「よしよし」


 玄関先でコンビニの袋を手にしたまま、ぐりぐりと頭を胸元に押し付ける私と、そんな私をあやすように頭を撫でる拓実。誰も入ってこないけれど、もし入ってきてこの光景だけ見たら結構カオスかもしれない。


「手洗って着替えて、リビングあっためておいたからそこで待ってな。もう少しカレー温めたり準備したりして持っていくから」

「うん」


 いつもは私が料理をしているし、二人で協力してご飯の準備をしているけれど、今日はお言葉に甘えることにする。


 リビングで座って待っていると、拓実がお盆に二人分のカレーを乗せてやって来た。

 ちなみにリビングと寝室は別である2LDKなので、カレーの匂いが寝室に充満するといったことはない。思えば、一人暮らしの1K、同棲時代の1DK、今の2LDKと、どんどん住むところが広くなっている。


「わ! 目玉焼き乗ってる!!」


 いつもだったら乗せない目玉焼きが載っているのを見て、私は思わず声をあげる。


「疲れてそうだったから、乗せてみたよ。はい、『いつもの感謝の気持ちを込めて おつカレースペシャル』」

「寒い……」

「もっとこっち来て、膝の上にでも乗って食べる?」

「違う、そうじゃない」


 寒いのはギャグセンス。部屋は暖かい。


「いただきまーす!」


 手を合わせてカレーにスプーンを入れる。もう少しカレールーの味が前面に出た、レトルト味のある味を想定していたが、いつも私が作っているのと似たような味がして私は目を見開く。


「あれっ⁈ 作り方どうしたの? 箱に書いてあるやり方じゃ……?」


 拓実はカレーを口に運びながら、なんてことないように答える。


「え? いつも美玲ちゃんのカレーの作り方、見てて覚えてたからその通りにやったよ」

「すごい!」


 確かに私がいつも料理をしている時は余程でない限り、拓実が台所にいて私のところを見たりうろちょろしたりしているので、適宜手伝ってもらっている。


「まず、バターで鶏もも肉と玉ねぎを炒める。その時に塩胡椒、生姜、ヨーグルト、シナモンパウダーも一緒に炒める」


 カレーの味が染み込み、臭みの消えた柔らかい鶏肉は口の中でホロリと崩れる。玉ねぎは、舌で潰すことが可能なほどトロトロだ。

 私は味わいながら頷く。


「うん」

「それから人参とかジャガイモとか家にある、合いそうな野菜を入れる」

「そうだね」


 私は頷いて頬張る。今日はお肉、玉ねぎ、人参、ジャガイモ、さつまいも、ほうれん草が入っている。私が切るより少し大きめな一口大の具材は、口の中を楽しませてくれる。さつまいもの甘みが口の中で弾けた。


「で、水を入れて沸騰させる。弱火にする時に蜂蜜を加える」

「そうそう」


 私も拓実も辛すぎるものは苦手なので、カレールーは中辛だ。それでも少し辛い場合があるので、弱火で煮る時に一緒に蜂蜜を入れるのが常だ。今日のカレーは辛すぎなくて美味しい。


「最後にカレールーを数種類適当に入れたら、ケチャップとソースと醤油を隠し味程度に少々入れて温める程度に煮込む」

「合ってる! すごい! 完璧じゃん!!」


 私はお水を飲んだ後、手を叩く。お箸に持ち替えて、目玉焼きにかぶりつく。


「ん⁈ すごい! チーズだ!!」


 普通の目玉焼きにしては、ずいぶん底がカリカリ焼けているな、と思っていたら、底にチーズが敷き詰められた目玉焼きだった。一皿でいろんな味が楽しめてお得感がすごい。


「そうなんだよ。それもたまに美玲ちゃんが作ってるから、見様見真似でやってみた」

「んん。おいしい」


 私はパクッと黄身に食いつく。口の中でとろとろと黄身が流れて溢れ、カレーの辛さが中和される。そうすると、またカレーが食べたくなり、たまに白身とチーズの部分を食べながらカレーを夢中で食べる。お腹が空いていたらしい。通常より速いペースで食べ終わった。


「ふう〜。美味しかった! ごちそうさまでした!!」


 私は手を合わせる。ついでに拓実はすでに食べ終わっていた。


「おかわりはいい?」

「うん。お腹いっぱい」

「それはよかった」


 拓実は立ち上がる。

「さっき、コンビニで何か買ってたもんね。持ってこようか?」

「あっ、うん。お願いしてもいい?」


 袋の中身はお見通しだったのか、急須に入れたお茶と一緒に持ってきてくれた。机の真ん中に置いてパックを開けながら、拓実は言う。


「食べさせてあげるよ」

「正気⁈」


 拓実は一本だけ持ち上げて差し出してくる。テコでも手は離さなそうだ。こういう時は勝てないので諦めてお団子を齧りに行く。


「んー! もちもち。おいひい」


 ちょっと焦げた甘いみたらしがお団子に絡んでいる。次の2個目のお団子も食べさせてもらってもぐもぐしていると、その様子をじっと私を見ていた拓実が笑う。


「小動物みたい」

「ちょっとお!」


 私も笑いながら拓実を小突く。


 こうやって私たちの夜は過ぎていく。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

いつもの感謝の気持ちを込めて おつカレースペシャル 郷野すみれ @satono_sumire

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ