だからってあんたを好きにはならない

今すぐ全部捨てて走ってここから逃げたかったのに

 百年の恋も一時に冷める、とはまさにあの瞬間のことだった。


「え、いらない」


 会社の狭い休憩室で、2人きりになったところを見計らって同期の小出こいでを呼び止めた。


 別に料理なんてたまに自炊するくらいでほとんどやらないけど、日曜日に家でお菓子とか作っちゃう私かわいくない?と、思いつきで作って持ってきたカップケーキを小出に差し出したはず。あれ、変だな、まだ私の手の中にある。


「俺、人が作ったもんだめなんだよね」


「あ、そうなんだ…」


「お前急に彼女みたいなことすんなよな、びびるわ」


「そうだよね、ごめん、あはは」


 料理とかするんだね、マジうける、と言い残して去っていった小出の背中に、ちょ、失礼なんだけど、なんて、不自然じゃないくらいの同期っぽいおどけた言葉をかけられて良かった。


 私、勘違いしてたんだ。


 同期の中で一番仲が良くて、休みの日はたまに一緒に出かけて、仕事終わりで飲みに行って、やっぱお前いないとこの仕事無理だわなんて言われて、特別な存在になったなんて勘違いしてた。


 カップケーキなんてろくに食べたこともないくせいに、名前も知らない甘ったるい声の女性シンガーの曲とか流して女子気取ってた昨日の自分にアッパーくれてやりたい。


 気持ち悪いな。小出じゃなくて、私の気持ち悪さに百年の恋も一時に冷めた。


 小出は何も悪くない。ただ普通の同期として接してくれていただけ。これからもそうしていこう。この気持ちは忘れよう。


 あーー-でもさ、ただの同期にしては距離近くなかった?それも私の勘違い?


 駅ビルの雑貨屋で買ったラッピングの袋を見ていたら、涙が出そうになる。なんで無駄にキラキラしてんだこの袋。むかつく。こんな気持ち悪いお菓子、家に持って帰るの嫌だな。ここで捨てていこう。


「それ、捨てるんだったら俺に下さい」


 ゴミ箱に向けた腕を、急に後ろから掴まれる。振り返ると、1年後輩の吉瀬きちせ君が後ろに立っていた。もしかして、見てたのかな、今の。


「いや、これ賞味期限切れてるから」


「小出さんに賞味期限切れてるお菓子あげようとしてたんですか?」


 やっぱり、見られてた。


「別に良いでしょなんでも」


「人の作ったもの食べられないなんて、嘘ですよ」


「え?」


「昨日、総務の立山たてやまさんが作ったブラウニー食べてましたから」


「あ、そう…」


 立山さん、ああ、あのおっぱい大きいかわいい子ね。誰にでも笑顔で良い子だけど、私ちょっと苦手なんだよな。キラキラ女子って感じで。


 ていうか、かわいい子が作ったブラウニーは食べるんだ。


「次のセフレ狙いですかね」


「次の?」


「人事の羽田はねださんと関係終わったらしくて」


「詳しいね…」


田口たぐちさん、小出さんにセフレいるの知ってたでしょ」


 ええ、知ってましたとも。さすがに社内にもいるのは知りませんでしたけど。


 セフレの話、休みの日に行った釣り堀で言ってたっけ。釣り堀なんてお前としかこれないわ、とか言って。大学の時の超絶ビッチな女友達と、社会人になってからアプリでマッチングした巨乳のOL。何故か2人だけだと思い込んでたわ。


 セフレはいるんだけど、特定の彼女はずっといなくてさ、なんて、わけわかんない言葉になんで安心してたんだろ。ほんとわけわかんない。なんでそんな男の彼女になんか、なりたいと思ったのかな。


「セフレいっぱいいる男なんてしょーもないですよ」


「ほんとね」


「なんで好きなんですか小出さんのこと」


「別に好きじゃないし、同期だからってみんなそれ言うね」


 何が言いたいんだこいつ。もうほっといてくれよこんな勘違い女。


 周りの同僚に、同期だし仲良いんだから付き合っちゃえ、なんて言われて浮かれてた私まで思い出させないでよ。


 小出のこと好きだったんだな、って自覚しちゃうじゃないか。


 吉瀬君は、去年プロジェクトで一緒になってからやけに絡んでくるようになった後輩だけど、どうもつかみどころがなくてよくわからないし苦手だ。


 背が高くて猫背で、いいとこのスーツ着てるのに髪の毛はたまに寝癖がついてたりする。新入社員歓迎会、一人だけ遅れてきたけど誰よりも早く帰ってたのは覚えてる。先輩の誘いは死んでも断らない小出とは正反対の、今どきの子、ってイメージ。


 仕事はできるけど、休憩中は大体ゲームしてるか喫煙室にこもってるし。でも、何故だか男性の先輩社員にはかわいがられてるんだよな。


 小出もなんだかんだでかわいがってたっけ。昨日吉瀬がさ、とかよく会話に出てきてたから、吉瀬君本人とはそんなに親しくないのに、なんとかっていうネトゲの達人だという情報だけ頭に残ってる。


 俺も最近始めてさ、という小出の言葉で、自分も始めようかななんて、数年前に買ったままほったらかしてたゲーム機を起動させて、そのゲームをインストールまでしてたな。小出がやらなくなってから私もやらなくなってたけど。


「ねえ、小出私の事なんか言ってた?」


「それ聞いてどうするんですか」


「どうせめんどくせー勘違い女とか言ってたんでしょ」


「…小出さんがどう思われようが別に全然かまわないですけど、俺が田口さんに嫌われたくないので言いません」


 それはもう肯定だよね。そういうところなんだよ吉瀬君。


 確かに、彼女でもないのに休日にカップケーキ焼いてきたり、昔聞いた誕生日に毎年ちょっと高い文房具とか渡す女なんて勘違いでしかないよわかってるよ。


 私がろくに恋愛経験がないことがいけないのかな。みんなセフレとかいるの?彼氏とか都市伝説だと思ってたから、急にあらわれた彼氏チャンスに飛びついちゃったのかな、私。みじめな女だな。消えてしまいたい。


「黙らないでくださいよ」


「逆に、何を言えばいいのこの状況」


 腕はいつのまにか離されていたけど、潰れたカップケーキがゴミ箱の上で宙ぶらりんのまま無様にくるくる回っている。


「俺、田口さんに嫌われたくないって言いました」


「え、ああ、言ってたね」


「好かれたいってことですよ」


「は?」


 なんて?遠まわしな言いまわしすぎて何が言いたいのかわからない。謎かけかなんか?


「どうでも良い人のフォロー入らなくないですか?普通」


「フォロー?これ、フォローなの?」


「田口さんが小出さんにふられるなと思ってフォローしに来ましたけど」


「うわ、失礼なんだけど」


「そういう、その場しのぎの返しいらないです」


 なんで私今、後輩に詰められてるの?しかも同期にあげようとしてつっぱねられたカップケーキ持ったままなんですけど。


「俺セフレいないですよ」


「だからなんなの」


「元カノと連絡も取ってません」


「いや、だからなんなのって」


 なんなのその女の影ないですよアピール。微妙な顔見知りの元カノの話なんて、よっぽど酷い女か、きっつい浮気話とかでもないと聞きたくないよ。ていうか、元カノとも関係続いてるのかよ小出。


「俺にしません?田口さん、俺みたいなの好きでしょ」


「すごい自信だね」


 正直、学生時代も地味に送ってきたタイプなので、いわゆるアオハルとかも経験したことないし、男の人とそういう関係になったこともない。


 だから、こんなにぐいぐい来られると嬉しくないといえば嘘になる。吉瀬君、得体はしれないけど顔は嫌いじゃないんだよな正直。いやいやいや、告白された人のこと好きになっちゃう中学生か私は。


 男性経験が少ないから、小出みたいなタイプを好きになったのかな。セフレなんて自分はいたこともないのに、適当に話合わせて笑って。さっきまで好きだったらしいから、何を考えても小出がでてくるのうっとおしい。


 でも、まだすぐには忘れられないってことなんだろうな。


「去年のプロジェクト一緒になってから、気になってたんです」


「ここ職場だよ?」


 そう。ここは職場の休憩室。ドアもないし狭いから会話筒抜けなんだよね。幸い今は誰もいないけど、いつ誰が来てもおかしくはない。


「田口さんが小出さん好きなのも会社中が知ってたんだから良いんじゃないですか」


「うそ!?」


「そういう嘘のつけないとこが好きなんです」


 好きなんです、なんて言われたって、そんな初めてみる顔で笑ったって、まだ、あんたなんかを好きにはならない。

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